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遺跡の内部は石造りの神殿を思わせる内装であった。
地面に敷き詰められた石盤には精巧に文字が彫り込まれ歩くたびに文字が光る。光りは、彫り込まれた溝を伝い、柱に掛る松明に淡い火を灯す……。
照らし出された文字。奇妙な絵が描かれた石板。幻想的な雰囲気に樹はしばし感動を覚えた。
通路は一本道で、天上・幅、共に広く、遺跡の巨大さを実感させられる。
コツコツと足音を鳴らしながら、このダンジョンを出る事が出来たら、ダンジョンフォースに就職するのもありかもしれないなと、浮ついた気分で足を進めた。
ふと隣を歩く女の子を見る。
これくらいの歳の子なら、怖がって服の裾を掴むくらいしてもおかしくないはずだが、怖がる事も無く、街を歩くように平然としている。
「……君はダンジョンに入るのは何回目くらい?」
車内で感じた重々しい空気は無く、ゴスッ子に何気なく質問してしまう。今思えば、車内の空気はあの男から発せられていたのではないか? と、ここに来て思った。
「…………………」
好意的な笑顔まで作って質問してみたが、質問は悲しくも無視された。
あ、あれ? おっかしいな……絶対聞こえてたはずだけど、と後頭部を掻きながら別の質問を投げかけてみる。
「何が好き? 好きなブランドとかあるの?」
趣味の話しとなれば、語らずにはいられまい。
身に付けた衣類をヒントにお題を絞る事で自然と口が動くであろう……と、樹は期待に握り拳を作る。
ゴスッ子は樹の表情を、ゆ~っくりと見る。
やはり何を考えているのか分からない表情で、樹をじっと見つめた。
「……………………」
ぷいっと視線を元に戻される。
樹はガクッと肩を落とす。間違い無く反応はしたはずなのに相も変わらずのだんまり。
「なんで答えてくれないんだよ~」
思わずそんな言葉が漏れる。
「じゃあさ、名前はなんていうの? 名前くらい教えてよ。僕の名前は桃寺樹、君の名前は?」
女の子は少し考えたような素振りを見せる。
「…………アリィ」
微かに、漏れるように女の子はそう答えた。
「あ……りぃ? アリィって言うの? やった! やっと喋ってくれた!」
意思疎通できた喜びに、樹は声を出して喜んだ。
◆
体感にして二時間以上は経過したであろう、気がつけば、樹が一人で喋りそれをアリィが聞いているという構図が出来上がっていた。
社会に出て、これと言った友達も居ないまま過ごした時間を取り戻すかのように樹は喋り続けた。
会社の愚痴、自分が十代の頃の話し、最近読んだ本の感想、どうでもいい内容の話を喋り続ける。猫や犬に喋りかける人が居るように、樹もまたそういう気持ちに近かったのかもしれない。
何も喋らないアリィは、樹のお喋りを聞くでもなく聞かないでもなく、ただラジオのように聞き流す。
「――で、その時が最後のチャンスだったんだ。それ以来、彼女を見た事が――」
営業先の受付嬢に一目惚れした話をしている最中であった。
「…………少しだまって」
「えっ」
確かに、喋りすぎたという自覚はあった。数時間ぶりに喋った言葉は『少し黙って』と言うハッキリとした会話拒否。
そもそも、会話として成り立ってはいなかったし、長時間一方的に話を聞いて楽しめるわけがない。
「あ……ごめんね、喋りすぎちゃったね」
子どもに諭された気恥かしさに、引きつった笑顔を見せる。
しかし、当のアリィは樹の話を聞きたくないがために、会話を止めた訳では無かった。
“迫る事態”
ダンジョンの奥から発せられる“異様な気配”をアリィが察知する。
樹は、どこか緊迫したアリィの横顔を気にする。
「ごめん、怒るほど嫌だったかな……」
樹には、ダンジョンの奥から発せられる“異様な気配”も、アリィの緊迫した表情も察する事が出来なかった。
「……さがって」
アリィの力強い押しのけに思わず間抜けな声が漏れる。
「うわっ!」
樹は地面の刻印に足を取られ、後方に尻もちをつく形で倒れ込む。
訳の分からないまま、前方に視線がゆく。
アリィの緊迫した表情が瞬時に理解できた。
明かりの灯されてないダンジョンの暗闇から蒼い火の玉が二つ、恐ろしいスピードで接近する。
その姿を確認した時、樹は尻もちをついたまま恐怖に動けなかった。
鎧に蒼い炎が纏わりついた姿。
足などは無く、炎内部に見える髑髏の陰影が敵対心を剥き出しにした表情を浮かべ、低空飛行で接近する。
ダンジョンの奥から現れた幽騎兵は、二人の周りをぐるぐると回り攻撃の隙を窺う。
二体ともロングソードを装備していた。
「!」
樹の油断した気配を察知した幽騎兵は接近し、両手に構えたロングソードを振りかぶる。
今まさに振り下ろさんとしたところで、樹の目の前に一面に炎の壁が出現した。
紅蓮の炎が二体の幽騎兵を包む。
「うわッ! 熱ッっつ!!」
アリィの口元からは滴る火炎が地面に数滴落ちる。
幽騎兵の鎧は真っ赤に発熱し、ボタボタと地面に煙を立て溶けてゆく。
どろどろに溶けながらも幽騎兵は最後の力を振り絞り動こうとしていた。
アリィはさらに大きく息を吸い込み、高温のブレスを放つ。
止めの一撃を食らった幽騎兵は跡形もなく蒸発した。
「!!」
樹は目の前の光景に恐怖を覚えた。
「――……まだ来る……アーティファクトを」
火を吐いた口で、アリィは樹に指示をした。
樹は震える手でポケットから指輪を探す。
アリィの言葉通り奥から更に幽騎兵現れる。
先程より多い六体の幽騎兵。どこかで観察していたのか、アリィの炎が届かない範囲まで上昇。分散し、隊列を上空で整える。
幽騎兵は二人を囲むように剣を構え、四方八方から同時攻撃を仕掛けた。
――そして、未だ尻もちをついたままの樹。
やっとの事で取り出した指輪を震える手ではめる。
上空からは六本の剣先が完全包囲で二人を襲う。
樹は咄嗟に指輪をはめた手を上空にかざした。
指輪は白銀色に輝き、瞬時に全身を覆う鎧へと変化する。
「なっ!!」
樹のかざされた手から半円状のドームが出現し、二人を包み込む。
幽騎兵の勢いのある攻撃は、半円状のドームに弾き飛ばされる。
柱にぶつかったもの、壁際まで飛ばされたもの、はじかれたロングソードが胸部に刺さったもの、幽騎兵の陣営は一瞬にして崩壊した。
攻撃の当たったカ所は、極彩色の波紋が広がっている。
「こ、これは……?」
樹は、それがバリアに似た物だと瞬時に分かった。
もう片方の指輪を装備すると、戦棍に変化した。
一メートルほどの長さ、柄頭は禍々しい形状をし、中央には赤く光る魔石が輝いていた。
重量は思ったほど感じられない。
樹はバリアを解除し、怯んだ幽騎兵に殴打を加えた。
激しい金属音。幽騎兵の装甲はスチール缶のように凹む。
樹は初めての戦闘に、必死になってメイスを振り回す。
――気が付けば、鎧の残骸が辺りには散らばっていた。幽騎兵を動かす蒼い炎も消え、辺りは静寂が戻っていた。
全身は中世の鎧を思わせるような白銀の鎧と、両手に握られたメイス。
肩で息をしながら、突然の戦闘に未だ何が起こったのか理解できていない樹を置いて、アリィはスタスタと歩き出した。
「……えぇ、嘘だろ。ハァ、はァ……ちょ、ちょっと待ってよー」
樹はスカートを左右に揺らすアリィの後ろを、息も絶え絶え情けなく追いかけた。