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輪道の影から伸びた、漆黒の剣士。
【背 後 霊 型】……アーティファクトの中でも特に珍しい物で、使用者の意図と関係無く出現する“ゴースト”が自動で敵を殲滅する。
遙か次元の彼方、選ばれた【封印されし者】の戦闘技術は人類を凌駕する。
輪道の周囲を浮遊する暗銀色の宝珠。
さらに、輪道は別のアーティファクトを取り出した。
極彩色の腕輪。虹色に輝くオーラを輪道は全身に浴びる。
多くのエルトルを消費する【背 後 霊 型】のアーティファクト。エルトルを補うための【補助アーティファクト】であった。武器、防具としての性能は無いが、使用者のエルトルの底上げとしての効果がある。
「――出来れば、こいつは使いたく無かったが……目的が失敗に終わった今、そうも言ってられん」
輪道の言葉の意味。失敗……?
「どういうことだ!」
樹の言葉に、輪道は王冠を掲げる。
「更なる力を求め、盲目的にあのヴァンパイアの話を鵜呑みにした俺が馬鹿だった。強力な力を手に入れる事が出来る? はっ、笑わせてくれる……」
輪道は王冠を乾いた大地に落とした。
「!!」
「――コンバートも出来ん、ただのガラクタだ」
その言葉に樹は、
「……そ、そんな! 本物だったはず!?」
地面に転がる王冠。確かにそれは、樹がスティグに頼まれてダンジョンの最深部から取ってきた物と同じ王冠であった。
偽物であるはずがない。樹は唖然とした表情で王冠を見つめる。
輪道は動揺した樹を見据える。
「そうか、そうだったな……。身代わりに王冠を手に入れたのはお前だったな」
輪道の視線に、樹は思わず身動ぎする。
「王冠を手に入れた事による“呪い”を回避するために、使い捨ての駒として民間から人材を起用したが……お前も不運な男だ」
「呪い!?」
銀慈にもスティグにも聞かされてない話であった。
数十年で、意味が理解できる程に訳した銀慈の功績は素晴らしかった。が、もともとの所持者であるスティグは百年以上の歳月を掛け詳細に預言書を解読していた。銀慈が訳せていない詳細な部分も輪道は持ち主から聞かされていた。
自分の身にどんな呪いが降りかかったというのか……樹は輪道の言葉に取り乱す。
「忘我の呪いと聞いたが、気が触れている訳でもなさそうだ。所詮は預言、どこで歯車が狂ったか分からないが、力が得られないのなら……。――このダンジョンにも、お前達にも用は無い」
忘我……? 何かを忘れたり、我を失った事……? 樹は今まであった事を思い出していた。同窓会での出来事、銀慈に飛びかかった瞬間、ダンジョンであるみを止めた時……咄嗟に、我を失ったように行動した覚えはあったが、緊急時所以の行動。
“忘我”と言うほどのモノでも無い。
「危ないっ!!」
全身に衝撃が伝わる。
瞬間的であるが、樹は考えごとに集中する余り、目の前を見失っていた。
すぐ真横には、水中に広がった墨汁を思わせる瘴気。
樹が目を向けた先には、禍々しい漆黒の刃が振り下されていた。
剣士は、赤く光る隻眼を樹を突き飛ばしたあるみに向ける。
瘴気は垂直に漂い、気流に渦を巻きながら霧散する。
あるみに突き飛ばしてもらえなければ、頭から両断されていた。
それは樹だけではなく、抱き抱えられていたアリィも同じであった。
敵を殲滅する事を目的とする【ゴースト】には最も効率的に仕留めるため、二人一組となった樹とアリィを先手で狙ったのであった。
衝撃に緩んだ手元から解放されたアリィは急いで岩陰に走り去る。その必死さは【時喰らい】の怖ろしさを知っているようであった。
「――ッ痛、……あ、ありがとう」
戦いの最中、一瞬の油断が命取りとなる。訓練の際、あるみに何度となく習った言葉が頭をよぎった。
「桃寺くんも、アーティファクトをコンバートさせて!」
無装備。この場では最も死に近い姿に、あるみの檄が飛ぶ。
体勢を取り戻した樹はあるみの異変に気がつく。
「――! その傷……」
あるみの左肩口には深紅の血が流れ、右腕を赤く染めていた。
「大丈夫! 大丈夫だから早く!」
漆黒の刃が二人の会話を分断するように振られる。
「ッ!!」
激しい金属音。
あるみは、即座に反応し漆黒の一太刀を受け止める。数滴の血が乾いた大地に落ちた。
樹はポケットをまさぐり、腕輪と指輪を探し出す。
銀慈に渡されたアーティファクト。名前すらないアーティファクトであったが、数週間共にし、愛着がしみ込んだ装備。
腕輪と指輪は、樹のエルトルを感じ取ると瞬時に“黒い鎧”と“幅の広い刀剣”に変化した。
あるみの訓練を受け取得した、簡単な身体強化。全身の細胞を活性化させ、樹は力強く剣を握った。未熟ながらも一端のダンジョンウォーカーとして素質を見せる。
白い太刀筋と、漆黒の太刀筋が交差する中、樹は輪道に向かって走る。
「うォォォォ!!」
数週間前とは別人のような気迫。しかし、輪道とは力は雲泥の差であった。
「…………」
輪道は無言で片手を地面に当てる。
【土魔法】。魔術師としての素質は無かったが、それでも秀才と呼ばれた男。補助アーティファクトの助けを借り、魔術師をも凌駕する集中力とイメージ力を現実にぶつける。
地面は荒々しく剣山のように尖り、樹に向け、恐ろしいスピードで迫る。
「!!」
咄嗟に回避するも、第二、第三の【地 走 り】が樹を襲う。
「くっ!」
樹は転がり回避するだけで精一杯であった。
輪道を中心に、放射線状に放たれる大地を操る呪文【地 走 り】。さらに輪道オリジナルの造形を加えた【地 走 り】は、荒々しく針山のように尖り、輪道に近づく事すら容易では無くなった。
「だめだ……僕じゃどうしようも……」
余りの力の差に歴然とし、戦意を削がれる。
「――伏せて!」
叫びにも似た一声。
純白の日本刀に似た刀剣【浄 化】。あるみは、いつか番兵を両断した“抜刀の構え”を取る。
樹は言われた通りに、地面に腹ばいになって伏せた。
瞬間。三日月に似た刃斬が頭上をかすめる。
円弧を描く様に切り裂かれた斬撃は、目の前の剣山を刈り取り漆黒の剣士をも両断する。
あるみは切り開かれた剣山を凝視する。
土埃の中から極彩色の波紋を纏った輪道が露になった。
「【防御魔法】……!? それも四重……」
四重に張り巡らされた【防御魔法】。
あるみの斬劇は三層まで切断し、残る一層で消滅。輪道は無傷であった。
「ほぉ、母親よりも使いこなしているようだな、【時喰らい】だけでは時間がかかりそうだ」
両断された漆黒の剣士は霧散し、輪道の元に集まる。
「……仕方が無い」
集まった黒い霧は、輪道の体に吸収されてゆく。
「あれは……?」
「――桃寺くんは離れて、それよりも王冠を!」
血を滴らせ、あるみは地面に落ちる王冠を指差す。
「くっ……うぅ、ぐっ……」
【背 後 霊 型】の真髄。
それは、ゴーストを身体に憑依させることでゴーストの持つ強大な力をその身に宿す事。輪道の場合、代償として捧げられるものは時間であった。
『ぐぉオアぁオぉォあァァぁっッッッ……』
鬼哭啾啾。輪道の頭髪には白いラインが数本入り、苦悶の表情に老化を示す皺が刻まれる。吸収される黒い霧。全身を赤い雷が駆け巡り、【補助アーティファクト】は力の限界を迎え粉々に砕け散る。
輪道を中心に、爆風にも似た突風が周囲を一掃する。
「くッ!」
「うわぁっ!!」
小石が散弾され飛んでくる。
思わず目を、顔を防いだが、二人は素早く目を見開き状況を確かめた。
力無く、全身をダラリと脱力した輪道。赤い雷が全身を駆け巡っていた。
数十メートル先だが、全身に伝わるただならぬ気配。ダンジョンで出くわしたモンスターとは一味も二味も違う嫌な気配であった。
ゆっくりと顔を上げた輪道。頭髪は海藻のように揺らめき、両目は深紅に変化していた。全身の血管が膨張し、身体には奇妙な柄の印が浮かび上がる。
左肩には浮遊した宝珠が不気味な色に煌き、輪道に力を与えている。
『――数年振りに使うが……』
輪道はひと呼吸し、身に溢れる力を実感する。
全身は悪魔を思わせる風貌に、そして、声は、地声と低音が混ざった異様な声に変化していた。
『この心地良さ……やはり中毒性がある』
握りしめた拳。赤い雷が軽く走る。
そんな輪道を見て、あるみは歯を食いしばる。
目の前の輪道の姿。それはまさに父と母の命を奪った悪魔の姿であった。
「――桃寺くんは王冠をお願い」
あるみの視線は、憎き悪魔の姿を捉えて離さなかった。