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お互いの息使いが聞こえるほどの距離。
驚きの表情を浮かべたまま、両者は目を合せる。
少し遠くからは、ガタンゴトンと心音にも似た速度で、電車の走る音が聞こえてくる。
予想もしなかった事態に、樹はまともな判断力を失い硬直状態が続いた。時にすれば一瞬でも、それは永遠にように思われた。
「――ゴっ! ゴメンっ!」
我に返り離れようとした瞬間。
「なぁぁぁにやっとんじゃぁぁぁぁぁ!」
電柱から飛び出す影。
怒号と共に、飛び出した影は猛ダッシュで接近する。
「「!!!!」」
突然の出来事に、二人は目を丸める。
小さな人影は数メートル手前から、勢いを付けて樹に飛びかかった。
樹は咄嗟に身構える。
しかし樹の数センチ横を回転する何かが横切り、
「うぐえっ!」
“飛来した何か”に空中で撃ち落とされ、小さな影は地面に叩きつけられた。
矢継ぎ早に起こる出来ごとに、呆然とする樹とりぼん。地面には“ポリバケツの蓋”がぐるぐると回転していた。
地面に撃ち落とされた人影をりぼんが覗きこむ。
「……せ、晴士朗?」
「う、ぅぅ……」
更に電柱の陰から高身長の影がぬっと登場する。
影は、後頭部に手を回し頭を掻く。ばつの悪そうな表情の案山子鉄であった。
「はぁ?……鉄? ちょっと、どういうことよ!」
りぼんの機嫌は山の天候のように瞬時に悪くなった。
「し、し、心配で。ご、ご、ごめん」
晴士朗を介抱するためにしゃがんだ鉄の頬に、りぼんは渾身の右ストレートをお見舞いする。
「馬鹿っ!!」
一連の流れを、呆然と見ていた樹。
「……桃寺くん。大丈夫?」
背後から急に声をかけられ飛び上がる。
夕方だというのに、サングラス。そして、ブロンドの知らない女性。
「だ、誰でしょう?」
「あぁ、ごめんなさい。これじゃ分からないわね」
サングラスとウィッグを取り去り、真の姿が露になる。
「えぇぇ! 弐城さん!」
樹の言葉に、りぼんも反応する。
「なっ! なんでアンタまで居んのよ!」
あるみは、りぼんを一瞥。とりあえず無視をする。
「ちょっと! 無視するな!」
「弐城さんまで、どうして?」
「銀慈に尾行しろって言われて。急に物陰から飛び出す影が見えたから思わず……」
樹は落ちたポリバケツの蓋を見る。
「どう?」
「どうって……?」
樹はあるみの表情から、銀慈から任せられた情報収集の任務が頭を過った。
しかし、この場で任務の話を答えるわけにはいかなかった。すぐ近くにりぼんが居る。事情はどうあれ、真実を知ったりぼんは利用された事を酷く悲しむであろう。
あるみは、何も言えない樹の表情を察し、銀慈に連絡する。
「ちょっと! 説明しなさいよ! ねぇ!」
あるみは、疎ましいりぼんを制止しながら電話を続け、通話は一分ほどで終了した。
「――説明するから付いて来て」
銀慈から受けた指示。あるみは全員を事務所に連れて行った。
◆
りぼん、鉄、晴士朗は初めてのギルドマンティコアヘッドの事務所の内装に驚く。
流石個人ギルドだけあって、なんでもありの自由な雰囲気に羨望と嫉妬が交じった思いにが交錯し、キョロキョロと落着かない様子であった。
ローゼに案内され、ソファーに座らされた三人。対面する形で銀慈とあるみ、樹は二組を仲介するような形で間に座る。
銀慈は三人が落着いたところで説明を始めた。
全てを知って銀慈の話を聞くと、本当に人を騙すことに長けた男だと実感する。
騙している……というよりは“演じる”事が上手いのか、低く重い声で少々オーバーに抑揚をつけて喋る。映画さながらの緊張感、深刻さが伝わってくる。
本当に深刻な内容だけに、三人も固唾を飲んでその話を聴く。
世界の崩壊。残り少ない時間。そして、そのアーティファクトがいかに必要であるか……要点だけを絞り、議題を呈するかのように三人に事の重大さを話す。
深刻な表情で話を受け止める三人は、銀慈やローゼの正体を明かさなくてもその話を信じた。ダンジョンフォースとしての知識が、非現実な話でもすんなりと受け入れる度量を築き上げていた。「今回、あるみを起用したのは樹にも伝えていなかった。もし、何かの情報が手に入るならと、こちら側でやった事だ」と、りぼんのメンタルも傷つけない配慮付きであった。
仕組んだデート作戦も恐らく八割は遊びだったのだろう。最終どう転ぼうが、自ら出る気で今日のプランを決行したんだと銀慈の話から樹は推測する。まるで巨大な銀慈の掌の上に居るような気分になった。
話を聞き終えた三人は深刻な表情浮かべる。
「……話しは分かったわ。でもどうしてあたし達にそんな重大なことを伝えたのよ」
世界崩壊の一端であるダンジョンの情報を、ダンジョンフォース最下位の自分達のチームに伝える。事の重大さと実力が比例していない。りぼんが疑問に思わないはずも無かった。
「りぼんちゃん達なら信じれると思ってな」
不気味な笑顔を銀慈は浮かべる。
「演技くさいな……」と樹は感じながらも、どこか銀慈の思考が分かる気がしてきた。
大規模で運営されるダンジョンフォース。その末端も末端、それに加え都内一番ランクの低いチームが上部に喋ったとしても、鼻で笑われ話しは終了するだろう。意図は銀慈にしか分からなかったが、最下位のチームという利点を最大限にまで活用した手段を思っての事だろうと樹は推測した。
「あたし達なら……?」
しかし当のりぼん達は、銀慈の話を真に受けていた。
こんな直に人を信用して大丈夫か? と樹は心配になったが、そう思わせるだけの催眠にも似た銀慈の語りがあったお陰だろう。
「そう、だから近頃起こったフォースでの事件を聞かせて欲しいんだ。どんな小さな情報でもいい、それが世界を救う手がかりに繋がるかもしれん。頼む」
三人は顔を合わせ、神妙な顔を浮かべた。
「――そうねぇ、直接聞いた話じゃないけど、実験棟で事件があった話を偶然聞いたわ」
りぼんが思い出したように、事件の内容を語り始めた。




