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光の中から五人は帰還した。
「おぉ、戻ったな」
数十時間ぶりに見る銀慈とローザの姿。しかし、銀慈とローザからすれば、樹達を見送って一時間も経過していない。“絶対攻略あるみ”その名が示す通り、多摩川に出現したダンジョンは即日攻略された。
ダンジョンは霞みながら、その像を薄めてゆく。
祭りの終わりを告げるように消えゆくダンジョンに、周囲のギルドは落胆の様子でぞろぞろ退散する。
落胆。稼ぎが少なかった者、ダンジョンにすら入る事が出来なかった者、仲間が返ってくると信じ待つ者、それぞれの胸中に渦巻く思いをひしひしと感じる。
「お疲れさん。ん? どうした何かあったか?」
悠然と近づく銀慈は普段の様子とは違うあるみの表情に疑問を抱く。
「…………何もなかったわ。情報も」
あるみは去り際にそう言い放つと、服を持つローゼの元へ進んだ。
「なんだぁ? おぉ、生きて帰って来れたようだな」
銀慈は不遜な態度のあるみに眉をしかめる。
そして浮かない表情の樹。
「情報は得られなかったようだな。……中で何かあったのか?」
落ち込んだ様子の樹に銀慈は声のトーンを抑え問う。
樹は、銀慈にダンジョンであったことを話した。待ち伏せをしていた男の話、あるみの過去。
樹の言葉に、銀慈は納得する。
「――なるほどな。まぁ、しかたない。あるみにはあるみの過去がある。それゆえに、ダンジョンに賭ける思いは人一倍強い。少しは丸くなったと思っていたんだがな……」
その言葉には、どこか溜息が交じる。
「情報は得られなかったが、まぁ収穫は上々って感じだな」
銀慈の視線は袋に移る。
「……適当に持って帰ってきたんだけど、大丈夫かな」
「おぉ、後は俺に任せとけ。今晩にでもバイヤーに持って行く」
銀慈との会話も終わり、樹は寒空の下、急いで服を着込む。
周囲の人々の数はまばらに、ダンジョンフォースによる機材の撤収作業が行われていた。
「ちょっと! ねぇ……」
不意に呼び止められ、樹は後ろを振り返る。
朱色のつなぎに赤いマフラー。角畑りぼんが立っていた。
冷たい風に吹かれ、鼻先と頬が淡く染まっている。
「……その、……ありがと。あの時、あなたが手を引いてくれなかったら、あたし死んじゃってたかもって思って」
りぼんは、目を合せては逸らす。
「そんな、僕も戦闘では役に立たなかったし、お互い様だよ。ありがとう」
どこか気恥かしい空気が流れる。
わざわざお礼を言いに来るなんて、律儀なところがあるんだなと樹は少し関心に思う。
「――えっと、こ、これ」
りぼんは紙を差し出した。
「え?」
差し出された名刺。裏には丸文字でアドレスが書かれてあった。
「も、もしよかったらお礼がしたいと思って……えっと、その……連絡して!」
りぼんは、そう言うとツインテールを揺らしながら走り去った。
「……お礼って」
またしても一過性の嵐のように唐突に現れ消えてゆく。
樹は後頭部を掻きながらも、手渡された名刺を眺める。
「別に気にしなくても大丈夫なのにな……」
急に風が止まり、背後に気配を感じる。
「うわっ! 何ですか!」
巨漢の銀慈が見下ろすように背後に立っていた。
「ふぅーん」
それ以上は何も言わない。ニヤリと口角を上げ、踵を返す。
「へ~。ふぅ~ん」
「ちょっと! そんなんじゃないですって!」
聞く耳持たずといった様子で銀慈は歩みを止めなかった。
「聞いて下さいよーーーーー……!」
◆
時計の針がバー内に響く。
時刻は、もう間もなく日をまたぐ。
いつも通りの一日。トレーニングに励み、ダンジョンに向かう。
いつも通りで無いとすれば、桃寺樹の存在であった。同窓会で知り合った、記憶の片隅にも残らない同級生。
日々、繰り返してきた毎日はいつしか自分の中に巣食う感情を飼いならす日常へと変化して行った。
あの時、両親を見殺しにした男に湧いた殺意。実行してたとすれば、今の私はどうなっていたのだろう。実行しなかったからこそ、時折、耐えがたい憎悪の気持に襲われる。
“そんな自分が心底嫌だ”。自己を律し、正当化する事で自我を保っていた。
今日ダンジョンに同席した、記憶の片隅にも残らない同級生に指摘されるまでは……。
銀慈はダンジョンの報酬を仕分けし、バイヤーの元へと換金しに出かけた。
広いバーを背に、一人カウンターに座り時計の音と心音を調和させる。
そっと、やさしく背中を撫でられる。細く繊細な指。ローゼだと瞬時に分かる。
「温かい飲み物入れるわ。ココアでいいかしら?」
ローゼは霧にはならずに歩いてカウンターに回る。手際良く用意しながら、
「あるみちゃんは少し……一人で背負いすぎちゃう所があるわね」
水道の音、食器の音……どこか安心感のある空気を作り出す。
「はい、どうぞ。――よかったら、話聞かせてもらえないかしら?」
湯気と一緒に広がるココアの香り。
スプーンでかき混ぜ、一口。
「…………おいしい」
ローゼの優しい笑顔。その一言を皮切りに、あるみは今日の出来事を話した。
今まで自分がしていた事は、自分の憎んでいた悪と同じではないのか? 樹の言葉にあるみは困惑していた。
「――なるほどね」
あるみはカップを握りしめたままであった。
「っふふ。桃寺くん……面白い子ね」
ローゼはクスリと笑う。
「思いつくままに行動しちゃうし、喋っちゃう。だからいろんな人や物事に振り回されちゃって、それでいて周りも彼に振り回されて。銀慈が気に入るのも少し分かる気がするわ」
あるみは、ここ数日の樹の行動を思い起こす。
「でも、自分なりの解決方法ってものを会得してるのかしらね。それが彼の根拠のない自身だったり、どこか楽そうな姿勢なのかも……ふふっ、あるみちゃんと逆ね。彼から学べる事は多いんじゃないかしら?」
「……桃寺くんから学べる事?」
「えぇ、あるみちゃんの精神力は凄いわ。並大抵じゃない努力と根性、それと胸の奥に抑えつけてる気持ち……それを、爆発させない力は尊敬するわ。でも、ほんの少しだけ周りが見えれば、あるみちゃんなら直ぐにコツが掴めるはずよ」
誰にも話した事は無かった、抑えつけた“憎悪の気持”はローゼには見破られていた。
「……私、顔に出てた?」
「いいえ、すごく上手に隠してる。でも、わたしはそういう感情に敏感なの。シェイドだし。初めて合った時から、心に闇を抱えてる子だなって思ってわ」
言わなくてごめんなさいねといった表情で、微笑む。
あるみは咎めることも、動揺することも無く静かに頷いた。
「そんな私が見て保証するわ。彼は悪い子じゃない。あるみちゃんにとって……そう、プラスになるような気がわたしにはするわ」
ローゼは初めて樹の前に姿を現した時の、樹の表情を思い出す。悪戯心でも、樹に対しての贖罪の気持ちでもなく、純粋に彼なら弐城あるみを変えられる。そんな淡い期待と、将来を想像し、ローゼはあるみに微笑んだ。




