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「…………」
長い沈黙が続く。
ダンジョンが異次元から送られてきた兵器? とてもじゃないが、ダンジョンウォーカーになったばかりの樹に理解の追いつく話ではなかった。
「まぁ、気持ちは分からんでも無いがな」
銀慈は足を組み、ソファーに深くもたれる。
しばらく沈黙していた樹は小さく答えた。
「トイレに行っていいですか……? ちょっと顔も洗いたいです」
「……まぁ、いいだろう。話しは戻って来てからでも。――あるみ」
言われずとも、といった風に。
「下の階は使えないから、上へ。ついて来て」
立ち上がり二人は一度外に出る。
シャッター脇の階段を上に上がり、ドアを開けた。
「うわっ凄……」
こっちこそ、事務所と言わんばかりの空間であったが、見渡す限りにトレーニング器具が置かれある。事務では無くジムであった。
「仕切りの扉の奥が、洗面所とトイレになってるわ。タオルは引き出しの新しいのを使って」
「ありがとう」
「じゃあ先に戻ってるから……その」
「ん?」
「ごめんなさい、私がちゃんと聞いていれば……こんなことに巻き込んでしまって」
申し訳なさそうな表情に、いたたまれなくなる。
「そんな! 元は僕が……その、ちゃんと話さなかったから……変な見栄を張ってしまってごめん。でも大丈夫! ホント、どうってことないよ!」
時計の音だけが部屋に響く。
「そう……じゃあ、先に戻ってるわ」
「う、うん」
逃げる気力を削がれてしまった……。
恐ろしい風貌のヴァンパイア。世界の崩壊。到底信じられない話しが津波となって樹に押し寄せた。
逃げ出したい。
そんな思いは、あるみの表情に負けてしまう。
「……あの表情はずるいわ」
大きくため息をつき、仕切りの奥の扉を開く。
湿度のある洗面所特有のにおい。
シンクの隣には洗濯機が置かれ、奥に扉が二つ。シャワールームとトイレとドアに記載されていた。
ふと洗剤の良い香りに、顔を向ける。
「うわっ!」
目の前にズラリと干されるトレーニングウェア、スポーツ用タイツ。そして下着。
あるみの物だと想像させられる物ばかりで思わず目を背けてしまう。
いそいそと用を済ませ、引き出しからタオルを取り出し、ジャブジャブと顔を洗う。
二月の冷えた水で気を引き締める。
――信じられない話しの連続。
手に残る異様な感触が生々しく冷水で必要以上に手を洗う。
銀慈の話している内容は本当なのだろうか? そんな疑問が再度頭をよぎる。
顔を拭き、洗面所を後に………………………
しなかった。
扉の手前で足が止まる。
理性では分かっていても、身体が動かない。生唾を飲み込み、部屋干しされた衣類に目が行く。
わりとセクシーな下着。
これだと透けてしまうんじゃないか? この部分が紐だなんて! こんなデザインもあるのか……様々な憶測が瞬時に脳裏をよぎった。
衝動的に、手触りを確かめたくなる。
生唾を飲み込み下着に手を伸ばした……
「あら、意外とムッツリさんなのね」
聞き慣れぬ女性の声。
樹は驚いた猫のように、飛び上がる。
「ふふふふふ」
黒いドレスを身に纏った妖艶な女性。長く艶のある紫紺色の髪に長いまつ毛から覗く赤々とした瞳。豊満な胸にスレンダーなくびれ、ヒップラインから足先までは見事な曲線を描いていた。
いたずらに微笑む姿は、美の魔女、はたまた艶麗な女神のようであった。
見られては一番まずい現場を見られた樹は口から言葉が出て来ない。
「さぁ~、どうしましょ。あるみちゃんに話しちゃおうかしら」
頬に手を当て、にんまりと微笑む。
「すみません! ごめんなさい! ……ゆるしてください!!」
後悔先に立たず。
樹は両膝を地面に付けた。いったいこの女性は何所から入って来たのだろう、それほどに自分はあるみの下着に夢中になっていたのか……、と自省を込め、
「あら?」
「お願いします……どうか、どうかッッ!!」
土下座をした。額をリノリウムの床にゴツンと付け、許しを乞う。
――しかし洗面所には、しんとした空気が流れる。
異変に気が付いた樹はそっと顔を上げ、あたりを見渡すが、黒いドレスの女性の姿は無かった。
気のせい……? もうすっかり訳が分からないまま、階段を下り、地下のバーに戻る。
「遅かったな。逃げ出したかと思ったぞ」
木製の階段を下りる樹に銀慈が声をかける。
あるみも、少し心配してたようで安堵の表情に変わる。
もちろん逃げ出したかったのだけど……と内心思いながら、ふと銀慈の隣に黒い靄があることに気が付く。
黒い靄は、形を作り、先程の黒いドレスの女性に変化した。にこやかな顔で樹に手を振っている。
「うわ! また出た!」
「ん? なんだローゼ。もう出て来たのか?」
「ふふふふ」
「だ、誰なんですか! っていうか人じゃない?」
浮いたように漂う姿に、思わず声を上げる。
「まぁ人間じゃねぇな、幽霊でもねぇし……言うなら『シェイド』だ」
シェイド。影のモンスターであることは分かる。
ローゼと呼ばれた女性は黒い蒸気となり瞬時に樹に近づく。
「よろしく、桃寺くん。……今日の事は秘密にしておいてあげるわ」
官能的に、そっと耳元で囁かれる。
「名前はローゼ。このギルドのメンバーだ」
出会った瞬間から弱みを握られてしまった。
◆
席には、ローゼを加えた四人が座る。
ローゼに至っては、ソファーが全く沈み込んでおらず座っているのかも定かではない。
「どこまで話したかな……」
「世界が終っちゃう、ってところまでよ」
その場に居なかったはずのローゼがそっと答える。恐らく、影となって部屋に入った時から話を聞いていたのであろう、となると一部始終ローゼは見聞きしていた事になる。
「おぉそうだったそうだった。頼みたい依頼だが、お前さんには『クルードの王冠』の情報を集めてもらいたい」
「くる……なんです?」
「クルードの王冠。預言書にも記されているアーティファクトだ」
王冠……。初めて入ったダンジョンで手に入れたアーティファクトは王冠であった事を思い出す。
「その王冠が何の役に?」
「――三週間後に現れる巨大ダンジョンを封じるのに必要だ。『クルードの王の力を借り、巨大なる魔人を封じよ』と書いてある……『封じれなかった場合、第二の災厄が地上に降りそそぎ地上から一つの国が滅する』これ以上は燃えちまって読む事が出来ない」
銀慈は焼失した裏側を樹に見せる。
「第二って……第一があったって事?」
「第一の災厄はアラスカに現れたレッドドラゴンだ。偶然にもこれはアメリカ空軍が迅速に行動したおかげで被害は甚大にならずに済んだ……全てが予言通りじゃない、それでも名だたる難関ダンジョンはいくつか記されている。的中率は八割ほどだ」
それらは、樹もあるみもまだ生まれて無い時代の話しであった。ネットで少し調べれば当時の記事や、証言、写真などをまとめたページはいくつか出て来る。
レッドドラゴンの事件は、有名な事件で樹も知っている。
「そんなの無理だ……世界中の何所を探せばいいかも分からないのに! 不可能だよ!」
「いや、見込みはある。その王冠が眠るダンジョンは数日前に、“日本”で出たばかりだ」
「……数日前?」
「俺たちは預言書に書かれてある通りに、王冠が眠るダンジョンに行ったんだがダンジョンは既に消滅していた。どう考えてもおかしいが、偶然攻略されてしまったんだろう、まだ国内にあるはずだ、俺はダンジョン専門のバイヤーに声をかけて王冠が流通したら譲ってほしいと声をかけてある。お前さんとあるみは他のダンジョンのギルドを当たって欲しい。俺は昼間歩く事が出来ないからな」
銀慈の言葉にドキリとする。
「お、王冠のアーティファクトって珍しい物なんですか?」
「大抵は指輪や腕輪、ネックレスにブローチ、そうだな近いものでティアラとかあるが、王冠は聞いたこともない」
暗い顔の樹を見たあるみは声をかける。
「どうしたの? 何か知ってる事でも?」
引きつった表情で樹は、
「そ……その、王冠のダンジョン……攻略したの僕、かも……しれないです」
周囲の顔色をうかがういながら、樹はそっと手を上げた。