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銀慈と呼ばれた男は、天に向かって大きくため息をつく。
あるみ驚きにずり落ちたメガネを直しながら、まだ希望を持つように樹に問う。
「じゃあ、どうしてあの時、あんな話しを?」
「そ、それは……」
見栄を張ったなどと答える事は出来ない。ましてや、カッコつけようと思ったなんて、この場では口が裂けても言えなかった。
顔を赤らめ俯いたまま答えない樹の代わりに、銀慈はため息交じりに、
「あるみ……お前は本当にあれだな……」
含みを交え、樹のあるみに対する好意を見抜いた。
見抜かれたのか、前例があったのかは分からなかったが、樹は何も言えずに座りこんだままであった。
あるみは分からない、といった表情で銀慈を睨む。
「しかしまぁ、そういう理由か……」
銀慈は二度目のため息をつく。
期待していた結果では無かった事に、そして単に見栄を張っただけの樹という存在をつまらなく感じているのか、気だるそうに頬を掻きながら樹を見下ろす。
「――で、いつまでそうしてるつもりだ?」
何の芸も出来ない動物を見るような目で、冷たく言い放つ。
樹は黙ってゆっくりと立ち上がった。
「そうだ、それでいい。ウォーカーとしての資質があるなら、ダンジョンフォースで相手してもらえ。もっと良い女が他にいるだろうよ」
銀慈はそう言い、財布から一万円取り出す。
「怒鳴って悪かったな。夢の五千万には程遠いが……ホラ、これで美味いもんでも食って忘れろ、な」
大きな指でぶっきらぼうに、樹の胸ポケットに一万円をねじ込む。
銀慈の侮辱した態度。
沈黙し、我慢していた樹の中に、屈辱感から怒りがこみ上げる。
「……いらない」
樹は静かに呟く。
「――あ?」
小さく呟かれた言葉。
それでもピリッと伝わる苛立ちの気配に、銀慈も共鳴する。
「こんなお金受け取れない!」
樹は会社で口封じに渡されたお金を思い出していた。
ねじ込まれた一万円を銀慈に突き返す。
大きな圧力に逆らえず、押しつぶされるだけの人生。些細な出来事が不運を呼び、ねじ伏せられ、黙殺され、生のあるまま無と扱われる。
生死を賭けたダンジョンでの経験も、無として扱われるなら……そんな思いが、樹を奮い立たたせた。
「――それに、半分は本当なんだ! ダンジョンにも入ったし、依頼だってこなした! 死ぬ思いだってした! ……はっきり言わなかった事は謝る、でもっ、」
「でも?」
銀慈は樹の前に立ちはだかり、見下す様に威圧する。
「……でも? なんだって?」
巨大な威圧の壁。口ごもりながらも恐怖心を振り払い、
「ぼ、僕にだって“誇り”はある! 全て無かったように言われるくらいなっ…………ッ!」
銀慈の苛立ちがジワリとにじみ出るのが分かった。
サングラスから覗く肉食獣を思わせる双眸。樹は思わず後ずさりする。
「“誇り”か……なぁ、小僧。チャンスってもん分かるか?」
「……チャンス?」
樹は突然問われた質問に困惑する。
「…………。まぁ分かりやすく、生きるか死ぬかって選択肢があって、生き残る可能性を潰してまで、どうしてまた自ら死に向かって飛びこむ?」
「な、なんの話を……」
「お前さんは黙って金を受け取り、静かにこの場を立ち去っていたなら、死なずに済んだと言う話だよ。そんなくだらない“誇り”とやらの為に――」
会話の傍ら、銀慈は自らの腰の後ろに手を当て何かを取りす。
――拳銃……。
間接照明に照らされ拳銃は鈍く光る。
「銀慈!」
あるみは咄嗟に叫ぶ。
銀慈は指を指しあるみを牽制する。
「動くな。これはあるみ、お前のミスでもあるんだ。どうせ事故物件だ、今更“仏”が増えたところでどうって事は無い。後始末は俺がする」
拳銃は真っすぐに樹に向けられた。
なぜ、この男は銃を持っているのだろう? そんな疑問も、納得させてしまうほどの佇まい。
樹は静かに目を瞑り後悔した。
楯突く相手を間違えた……。
これが、社長であれば銃を突き付けられることはなかっただろう。
親、教師、クラスメイト、比較的穏便に済ませてきた人生はどこで狂ってしまったのか……。
大金を手に入れた慢心があったのかもしれない。酒が入っていたとは言え、同窓会での一件を思い出す。
チャンス(機会)、そんなもの今まであったであろうか? どこか人生の節々であったかもしれないが思い出せない。弐城あるみと出会えた事、そして、会えるために自分がした行動……どうしてそこまでして……。
向けられた銃口は静かに銀慈の合図を待つ。
距離にして約二メートル、発射されれば頭を射ぬき間違い無く死ぬであろう。
駆け巡る思考。樹の額から一筋の汗が流れる。
向けられた死の瞬間。
駆け巡った思考はタイムスリップをしたように、過去経験した苦い思い出が想起される。
自分の人生に掲げる事の出来る“誇り”。
咄嗟に口に出たが、誇れる出来ごと何て何一つなかった……が、
「…………」
樹はゆっくりと目を開く。
どうしてあんな言葉が出たのか、少し分かった。
ダンジョンで生と死の狭間を経験し、そして今、また生と死の狭間に立たされている。
そこでは気がつかなかったが、今痛烈に思う命の尊さ。
初めて握った、“誇り”という名の旗。
今まで死んでいたような人生。ダンジョンを生き延びた事が“誇り”であった。
どうせ安い人生だ。安い旗でも掲げてがむしゃらに抵抗して死んでやろう。
一か八か、樹は上体を逸らしながら一歩踏み出す。
樹の体は銃口から逸れ、勢いに任せて銀慈に接近する。
「うわぁぁぁぁぁぁっっッ!」
あるみは驚きに目を見開き、銀慈は動かずに銃口を向けたままであった。
銀慈の右腕に飛びかかり、拳銃を下ろさせようとする。
しかし、巨大な樹木のように銀慈の腕は微動だにしなかった。
「なっ!」
「……それが、お前の答えか」
静かに、そして重く囁かれた言葉。永久凍土に放り出されたように全身を凍りつかせる。
つと、銀慈の右手から拳銃が手放される。
静かに落ちゆく拳銃を素早く左手で空中キャッチ。腕にしがみつく樹を振り落とすと、額に銃口を突き付ける。
「どちらを選んでも死ぬ瞬間、己の運命を切り開くのも、また己ということ。――ひとまずは、合格だ」
にやりと笑みを浮かべ、低く言い放つと銀慈は拳銃を素早く腰に戻した。




