毒
ブログを開設して五年になる。
取り上げている内容は、日々の他愛もない出来事が中心で、あとは見聞きしたニュースの雑感や、贔屓にしているミュージシャンの新譜や、観た映画や読んだ書籍の拙いレビューを、気が向いた時に時折綴る程度である。
友人に勧められてSNSに手を出したこともあったが、数ヶ月で止めてしまった。
「ネットを通じて、色々な人と関わりを持てるから面白いよ。新しい知識に触れることもできるし、自分に無い価値観があるってことにも気付かされるしね」
とは、勧めてくれた友人の言であるが、どうにも私にとっては性に合わなかった。他人との繋がりを楽しめない以上、居心地の悪さに堪えてまで続ける意義は無い。
そもそもブログにしても、不特定多数に情報を発信する意図などまるでなく、日記帳の延長程度のつもりで続けているのだ。何年か経った時に見返して、当時の私が何を考えて何を感じたかを顧みるための、いわばタイムカプセルのような位置付けなのである。
「そんなんなら、チラシの裏にでも書いてればいいのに」
友人はそう言うが、文章の編集が楽で、画像もアップロードできる点は、紙ベースの日記帳には無い便宜である。
更新作業にはもっぱら自宅のパソコンを使用するが、時には出先からスマホで行うこともある。旅行に出掛けた時に抱いた所感を、色褪せず新鮮なうちにテキストに留めておくことができる。この手軽さも、日記帳には無い利点のひとつだと感じていた。
行き帰りの電車で、ブックマークからブログを呼び出して、コメント欄を眺めたりもする。他人と積極的に関わるのは面倒だが、コメントが付くのは素直に嬉しい。
(それにしてもなあ……)
コメント履歴には、慰めや同情、気助けの
文言が並ぶ。可愛がっていた猫が死んで、辛い心境を吐露した記事を昨日書いた。それに対するコメントだ。
暗い記事は、昨日ばかりではない。ここのところ私の周りで、気が塞ぐような出来事が立て続けに起きている。
仕事のミスや怪我、財布や所有物の紛失、親の入院など、一つ一つを取れば「よくあること」と片付けられるが、これらが一時期に集中すれば落ち込みたくもなるし、愚痴の一つだってこぼしたくもなる。
そのせいもあってか、最近体調も芳しくない。座っている椅子から転げ落ちそうになるほどの目眩に襲われたり、何を食べても吐き戻しそうになる。かてて加えて、夜もなかなか寝付けず、睡眠導入剤の世話になっているほどだった。
今日にしても通勤中に目眩を起こし、危うく階段から転げ落ちるところだった。
(最近、何もうまくいかないなあ……)
知らず深い溜息を付いた時、車内アナウンスが最寄り駅の到着を告げた。
私はスマホをバッグへ戻し、席を立った。
そのメールを受け取ったのは、休日の昼下がりだった。差出人は「みや」とあったが、全く心当りが無い。
「あなたのブログ、良からぬ連中にウォッチされてますよ。この掲示板です。↓」
私のブログが見張られている?
見ず知らずの人がわざわざメールで私に知らせるということは、傍目にも看過できないほど深刻な状況なのだろう。
鉛を飲み込んだような重苦しい不快感を覚えながら、短い文章の後ろに貼られたリンク先をクリックする。
掲示板のタイトルを見るなり、心臓が跳ね上がった。
「『さらさらラムネ』蔵宗沙羅 呪殺掲示板」
頭頂から爪先に一直線に寒気が走り、血の気が引いていくのが分かる。指は震え、マウスの操作がおぼつかない。
「さらさらラムネ」は私の本名、蔵宗沙羅をもじって付けた。たまたま同名のブログではない、紛れも無く私のブログだ。
だが私は、ブログの中で本名は一切明かしていない。ハンドルネームも、本名からは連想できない「ビードロ猫」という名を使用している。
どうやって本名を知り得たのだろう?
しかし問題は、そこではない。
呪殺、という不穏な単語が引っかかる。私は掲示板をつぶさにチェックした。
どのスレッドを開いてみても、罵詈雑言や中傷、嘲笑に満ち溢れたレスばかりだ。私に向けられた悪意に、吐き気がこみ上げてくる。
それでもスレッドの数は多くなかったので、目当てのスレッドを見つけるのにさほど苦労しなかった。
「蔵宗沙羅 呪殺スレ」
スレッドが立った日付は、私の周りでトラブルや不幸が増えた時期とほとんど一致していた。
スレッドの先頭には、どうやって調べあげたのか、私の本名だけでなく、年齢、出身地、略歴、家族構成などが一つの誤りもなく書き連ねられていた。
そのスレッドに私を揶揄するレスはなく、「呪殺師」なる人物がひたすらに私を呪うだけの内容だった。
レスは「蔵宗沙羅 愁悶のうちに畢命すべし」の文句と、呪言と思しき漢字の羅列で構成され、毎日午前一時きっかりに一日も欠かさず書き込まれていた。
無論、その行為に茶々を入れるレスは存在しない。
会ったことも話したこともない人間を呪い殺すために、毎日休まずに念じ続ける。
この「呪殺師」なる人物が、どんな仕儀で呪殺という行為に至ったのか。
ディスプレイ越しからそれを読み取ることは叶わなかったが、呪言に散見される「憎」「獄」「鬼」といった不吉な文字から、純粋に私の死を願っていることは強く伝わってきた。
掲示板を見ながら、自問する。
(私、誰かに恨まれるような事した?)
首を振る。心当りがない。
少なくとも、不特定多数に罵られたり、呪い殺したくなるほどの怨嗟を抱かせる行為をした覚えは、全くない。
底が見えない悪念に、怖気が走った。
事実確認を終えた私は、ブログの管理画面を開き、「掲示板の住人の皆様へ」というタイトルで新しい記事を作成した。
掲題通り、件の掲示板の利用者へ、そして「呪殺師」への呼びかけである。
なぜこんな行為に及ぶのですか?
なぜ私を呪い殺そうとしているのですか?
私に何か恨みつらみでもあるのですか?
これ以上エスカレートするようなら、警察に相談します。
掲示板で他人を呪殺しようとする行為がどのような罪状に相当するのかは分からないが、「私が掲示板の存在に気付いた警告してきた」という事実が伝われば十分だった。
数日後、私は再び「蔵宗沙羅 呪殺掲示板」を訪れた。
正直気は進まないが、どのような反応があったのか、向こうがどのような出方をしてくるのかを知りたかったからだ。
掲示板は跡形もなく消えていた。
悪意を存分に吐き出していた住人も「呪殺師」もどこにもおらず、黒地に赤文字で、
「呪殺失敗 対象の識認につき撤退」
と表示されたページが残されているのみであった。