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 僕の地元には、「爆走乳母車ババア」という怪人物の噂が存在する。

 曰く、ババアは乳母車を押している。

 曰く、ババアは夜の国道に出没する。

 曰く、ババアは時速百キロで疾走する。

 曰く、ババアは獲物を見つけると、どこまで追ってくる。

 話によってディテールや結末は異なるものの、大筋はだいたいこんな感じである。

 乳母車ババアに捕まると八つ裂きにされるだとか、追い越しざまにニヤリと笑みを浮かべ、それを見ると三日以内に不幸に遭うだとかいった類の、「ババアに捕まるとひどい目にあう」というニュアンスで結ばれる話が多い。

 その一方で、三つ編みの人形を投げつけると難を逃れることができる、というパターンもある。ババアは行方不明の孫を毎晩探していて、人形を孫だと思って持ち帰るから、ということらしい。

 話のバージョンは数あれど、いずれもよく聞く都市伝説の類型の域を出るものではなく、信憑性に関しては問うまでもない。

 せいぜい、僕ら中学生が、話題に詰まった時の会話のつなぎに使う程度の存在でしかないのである。


「乳母車ババアを探しに行こうぜ」

 駿介が提案したのは夏休みの初日、彼の家に何人かで泊まりに行った時のことだ。

「はぁ? お前あんな子供だまし信じてんの?」

 翔が小馬鹿にしたような口調で返す。それはそうだろう。小学生ですら一笑に付すような都市伝説を検証しようだなんて言い出すのだから。

 そんな翔の心情など察する様子もなく、駿介は話を続けた。

「いやさ、部活の先輩に聞いたんだよ。国道沿いにスーパーあるだろ」

「ああ、ヤマダマート?」

 スマホをいじっていた賢一が、画面を見つめたまま会話に混ざってきた。

「そうそう。あそこからちょっと行った花屋の前で、一ヶ月前に乳母車を押したババアを見たっていうんだよ」

「それって、ただの徘徊老人じゃないの?」

 僕が混ぜ返すと、駿介は違う違う、と右手を顔の前で振った。

「そうじゃないんだ。ニヤッと笑いかけてきたかと思うと、乳母車を押したまま、国道をとんでもないスピードで走り去ったんだってさ。俺は思ったね、こりゃ間違いなく爆走乳母車ババアだ、てな」

「ふうん。で、その先輩が直接目撃した話なの、それって?」

「いや、先輩の友達が見たらしいんだ」

 やっぱりか。

 フレンドオブフレンズ、つまり「友達の友達が体験した話なんだけど」という、都市伝説を語る上でよくある設定だ。誰かから聞いた話だから、本当かどうか保証はしない、ということだ。大方その先輩も、他の誰かから同じように伝え聞いたのだろう。

 そして駿介にもっともらしく話して聞かせたのだ。

 どこにも存在しない「誰か」が目撃した話を。

 しかし、好奇心旺盛な駿介にとって、そんなことなどどうでもいいようだ。

「せっかくの夏休みなんだからさ、思い出作りも兼ねてこれからどうよ、ってことなんだけど」

「パス」

「俺も」

「僕も」

 わずか三秒で全員から拒否されては、駿介も立つ瀬がない。

「そんなつれない事言うなよー。わかった、それじゃあアイス奢ってやるからさ。な、な。行こうぜ」

 何が彼をそこまで駆り立てるのかさっぱり理解できないが、熱い夜に冷たいアイスは魅力的である。結局その場にいた全員が、駿介の押しとアイスの誘惑に負け、国道へと足を運ぶこととなった。

 歩いて行くには遠いので、自転車を駆っての道行きである。

 風はぬるかったが、スピードが乗ればそれなりに涼しい。

 道中、コンビニに立ち寄り、アイスを買い込んだ。奢りであるのをいいことに、翔が買い物かごにハーゲンダッツを放り込んだことに駿介が憤慨したが、値段の上限を定めなかったほうが悪い。

「ところで駿介、乳母車ババア見つけてどうするんだ?」

 賢一が最中アイスを齧りながら尋ると、ポケットからスマホを取り出した。

「同じ部のやつと賭けをしてるんだよ。夏休み中に乳母車ババアを見つけられるかどうか、って。証拠写真を撮れたら俺の勝ち、ってわけだ」

 にやつく駿介を見て、僕を含めた三人は溜息を付いた。先輩の与太話を真に受けてババア探しをすること自体滑稽極まりないのに、あまつさえ、ババアを見つけて一攫千金を目論んでいるとは、到底賢い行為とは思えない。駿介の財布が夏休み明けに一気に軽くなることに、他人事ながら心配になった。

 翔が自転車を漕ぎながら器用に食べていたハーゲンダッツが空になる頃、僕たちはヤマダマートに到着した。すでにその日の営業は終わり、店の照明は残らず消えていた。

 車一台停まっていない店前の駐車場に自転車を止める。

「さてさて、それじゃあ一万円ゲットを目指して、探しますかね」

 つまりそれは同時に、賭けに負けたら一万円を散財することをも意味している。その時になったら、こいつはどうするつもりなのだろう。

 カンパを頼まれたら嫌だな、などと考えながら、駿介の背中を追う。

 ふと視線を感じて横を見ると、賢一が物言いたげな視線を僕に向けていた。

(本当にいると思う?)

 まさか。

 僕が無言で首を振ると、賢一は溜息をつく。そうだよな、という彼の心の声が聞こえてきそうだ。

「うーん、見つからないな」

 件の花屋の前で、駿介が鵜の目鷹の目で周辺を見回している。

 そんなに簡単に見つかるわけないだろう、と内心ツッコミを入れる。そもそも、乳母車で爆走する老婆など、実在するほうがどうかしている。

 ひとまず、振りでもいいから探すだけ探して、駿介にはとっとと諦めをつけてもらおう。

 そう考えながら、僕も周りに視線を巡らせた。

 街灯も疎らな国道は、時折通りかかる車やバイク以外は、猫一匹見当たらない。まして乳母車を押す老婆など、影も形もない。

(そりゃそうだよな)

 頃合いを見て、駿介に家に帰るよう促そう。

 そう考え始めた時、翔が短く「あ」と声を上げた。

 彼の視線の先を辿ると、いつからそこにあったのだろう、一台の乳母車があった。

 どこも傷んではいないが、古めかしい作りの乳母車である。少なくとも、若いお母さんが好んで使うようなデザインではないように思う。

「あったあった! 乳母車だ!」

 声を弾ませながら、駿介が乳母車を写真に収める。確かに、乳母車はここにある。しかし、決定的なモノが足りない。

「……ババアがいねえな」

 そう、件の話は、乳母車を押して高速で疾駆する老婆がいないと成り立たない。これではただ、旧式の乳母車を発見しただけでしかないのだ。

「くっそー! ババア、出てきてくれー!」

 近所迷惑などどこ吹く風、駿介は大声で喚きながら、何を思ったか乳母車を押して車道に飛び出し、走り回りだした。

「おお、なんだこの乳母車。車輪がすっげえ軽いぞ」

 妙な感想を述べながら、走る足を止めようとしない。そんな駿介を見ていた僕らは、知らず笑い声を上げた。

 駿介は乳母車をガラガラ押しながら、楕円を描く軌道で車道を走り回っている。

「おおい、ババアー!」

 傍から見たら、年増好きの中学生が奇行に走っているようにしか見えない。近所の住人に通報されては堪らないし、何より車が来たりしたら危険だ。

「おい、そろそろ止めようぜ」

 笑いを収めることなく、翔が駿介の方へ歩み寄る。

「おおい駿介、もういいだろ。夜も遅いんだし、そろそろ止めようぜ」

 ところが、翔の制止に応じることなく、駿介は走るのを止めようとしない。相変わらず、車道をぐるぐると周回し続けている。

「おい、駿介!」

 翔が苛立ったように強めに言った時、僕は気付いた。

 駿介が喚くのを止めていることに。

 ただ無言で、乳母車を押し続けているのだ。

「なあ、だんだん早くなってね?」

 賢一の言う通り、駿介のスピードはもう、人間が出せる速度を超えてしまっているように見える。

 楕円の軌道も、目に見えて大きくなっている。車道の端から端まで使って、ぐるぐる回り続けているのだ。

「駿介!」

 僕が声を上げると、駿介が振り返った。

 泣き出しそうな表情になっている。

「誰か、止めてくれー!」

 めちゃくちゃな速さで足を動かしながら、駿介が悲痛な叫びを上げた。

 しかし止めようにも、このスピードだ。下手に飛び出したら、僕らが大怪我を負いかねない。

 躊躇している間にも駿介の速度は徐々に、しかし確実に上がり続ける。猛スピードで同じ場所を回り続ける様は、まるでジムカーナだ。

「これじゃあ、『爆走乳母車駿介』じゃんか」

 ぽつりと賢一が呟いたが、僕も翔も笑わなかった。

「止めてくれえええ!」

 絶叫を残して、駿介が国道の彼方へと走り去っていった。あっという間もなくその姿が見えなくなる。

「やばい、追いかけるぞ」

 自転車を止めてあるヤマダマートに向かって、賢一が駆け出した。慌てて僕も翔もあとに続く。

 だが、あんな速度で走っていた駿介を、どうやって探せばいいのか。

 自転車でほうぼうを探し回ったが、駿介を見つけることはできず、とうとう朝になった。

「どうする?」

「……とりあえず一旦家に帰って、出直そう」

 僕の提案に、翔も賢一も頷き、めいめい自宅へと帰っていった。


 駿介は、夏休みが明けても見つからなかった。

 親や学校には、「一緒に遊んでいるうちに姿が見えなくなった」と話した。

 もちろん、真相など語れるはずもない。


 駿介が失踪してから三ヶ月ほど経った頃、彼の家の近くに古びた乳母車が転がっていたことを人伝てに聞いた。

 覆いはぼろぼろに破れ、錆びついた把手を握りしめた腕の骨がぶら下がっていたという。

 

 駿介は今も「行方不明」のままだ。

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