phase4-2
少女は、なぜ自分がこの場所にいるのか、ずっと考えていた。
学校で特別成績が優秀だったわけでも、家出をするような問題児だったわけでもない。同年代の男の子から告白されたことは何度かあったけれど、それはほかの女の子たちだって回数に差はあれど同じだ。
そんな至って普通の生活を、〈街〉の中で送っていたはずなのに、いつの間にか、少女はこの場所にいた。
そして何より、ずっと自分の隣にいたはずの少年の姿が、ここにはない。代わりにいるのは、自分のような子供を犯すためだけにこの場所にやってくる男たちと、そんな男たちに媚びへつらうよくわからない大人たちだった。
地獄とも言っていい場所だった。自分と同じようにここで働かされている女の子たちは、仕事がないときは泣き叫んだり、自分の腕をひっかいたりするのに忙しかった。程度に差はあれど、自分で自分を壊すか、誰かに自分を壊されるか、少女たちにあるのはそんな差だけだった。
しかし、篠崎空莉という少女にとって、その全てが遠くの出来事のようで、現実感がなかった。
自分の隣にいた少年は、どうしてしまったのだろう。
少女にとって、それ以外はどうでもいいことだった。少年のことを考えていれば、たとえここに来る男の下敷きにされていても、苦しくはなかった。
けれど、その思考が少女の意識を日々すり減らし、少しずつ何も考えられなくしていくことに、少女は気づいていなかった。
だから、ここ数日。少女は自分が何をしていたのか、ほとんど覚えていない。ずっとぼんやりとしていたような、起きているのか、寝ているのか、判別がつかなかった。
そんな状態の少女を好んで犯したがる男たちがいて、この場所で密かに自分が人気者になっていることを、少女は当然知らない。
そして今、目の前で意味不明なことを叫びながらナイフを取り出し、それを自分の首に突き立てている男が、どうしてそんなことをしたのか、わかるはずもなかった。
「え……?」
鮮血が勢いよく吹き出し、少女を濡らしていく。
その光景に、少女は猛烈なフラッシュバックに襲われた。
既視感。
既視感。
既視感。
血を噴き出している男の像が何十にも重なり、やがてその姿が少女と顔のよく似た少年のものと重なると、頭を鈍器で殴られたような衝撃が少女を襲った。
直後、現実の風景が端子のつながったモニターのように、鮮明に映り始める。
今までぼんやりとしていた頭が、嘘のようにクリアになり、自分が何者で、ここがどのような場所なのか、はっきりとわかった。
「あ……」
少女は、男の血で染まった自分の手を見つめる。
しばらくして、少女のいる部屋の扉が大きな音を立てて乱暴に開けられた。
「うわ……こりゃひどいッスね。こんなのを、建物全体にやったんスか?」
「信司の支配を見るのは初めてか? あれは他人のパーソナルストレージのネットワークへと進入して、そこに直結している精神を直接操る技だ。」
「うへえ、いったいどんなコードを使えばそんなことができるんスかね?」
入ってきたのは、なんだか口の軽そうな若い男と、四十代ぐらいに見える渋い雰囲気をまとった男だった。
「これはあいつの特別製だ。間違っても俺たちがつかえるようなものじゃない」
「あいつとは絶対に敵対したくないッス」
「同感だ」
やがて、渋い雰囲気の男が少女のほうを向いた。若い男がその視線を追う。
「こりゃ、またひどいな。こんなに小さな女の子を……。あの女は本当に悪党ッスね。裏社会の女王って感じ」
「そうだな。とはいえ、あれはあれで演じている感じがした。おそらく、ここで生きていくためにあのような振る舞いを自分に課していたのだろう。……それが自演と言えるのかどうかは怪しいところだな」
「へえ、そんなもんなんッスか?」
「女王と言えば、あの女王様のほうがよっぽど恐ろしかったさ」
話しながら、若い男が手をかざし、コードを発生させる。すると少女を濡らしていた鮮血が瞬く間に固まり、かさぶたが剥がれるようにぱらぱらと床に落ちた。続けて若い男は厚手のガウンを出現させると、少女にかけてやった。
「……? 先輩、どうしたんスか?」
若い男が、意外そうな顔をしてもう一人の男を見た。
「いや……俺に子供がいたらこれぐらいの歳になるかと思ってな……」
「ああ、そういえば先輩って、千慧ちゃんには甘いッスもんね」
「黙れ」
若い男はわざとらしく肩をすくめると、今度は少女に向かって話し出した。
「んで、お嬢さん。これから君を保護して、俺たちの集落でごく普通の生活をしてもらうんスけど、失礼ながら、名前を教えてくれないスかね? あ、俺の名前は川村涼ッス」
若干舌っ足らずな言葉で、若い男が話しかけてくる。口調はナンパをしている若者そのものだったけれど、しかしその軽さが、この男には裏が存在しないことを直感させた。
「わた……し、の?」
「うん、そうッス」
声がうまく出ない。篠崎空莉、と名乗ろうとして、しかしそれは自分の名前じゃない気がした。
「わた…しの、なま、え?」
少女が言うたびに、男が頷く。
「私は……」
言いかけて、不意に少女は首を横に振る。そして意を決したように、男を見上げた。
「ボクの名前は、ソラ。篠崎ソラ……です」
少女の言葉に、二人の男はそろって顔を見合わせた。
「で、おまえとしては自分が体験したことを、このまま忘れてしまってもいいのかと疑問に思っているわけか。私に言わせれば贅沢な悩みだと思うがな。それどころじゃないやつなら、とっくに精神を病んで床に伏してるだろうよ」
紗世の目の前には、妙齢に見える女性が一人回転椅子に座って足を組んでいる。
「はい。だからこそ、おかしいなって思うんです。自分でいうのもなんですけど、わたしって智晶先生みたいに気持ちの切り替えがうまいほうではないですし……すぐに忘れることができるはずがないというか……。ってあれ?」
紗世は話しているうちに自分の話の論点がずれていることに困惑する。目の前の女性は、それを呆れて見るばかりだ。
この女性は、この集落で医者みたいなことをやっていて、名前を藤宮智晶という。この集落では数少ない医術の心得のある人物だけれど、よほど重い怪我とか病気じゃないと、診察しても治療に手を貸す気はない。そのぐらい自分で直せ! というのが彼女の口癖だった。
「私はカウンセラーじゃないからな。話をまとめてからじゃないと答えは出せないぞ。まあ、目の前でうじうじ悩まれるのも鬱陶しいから最初の質問だけには答えてやる。聞いたらさっさと自分の部屋にもどるんだな」
智晶は鼻を鳴らすと、自分の頭を指さしながら話し始める。
「もともと人間が何かを忘れるっていうことは、当然だが記憶の整理のために行われる。全部の記憶が鮮明に残っていたら、時間軸がわからなくなるし、どれが大事な記憶かわからなくなるからな。言い換えればものを忘れるってことは何かを覚えるために起こる生理機能だ。
この際、後学のためにどの記憶を残すのが正しいのか、そうでないのかは置いておいて、おまえが〈街〉で体験したことをそのまま覚えていて、何かいいことはあるか?」
「それは……」
紗世は〈街〉で体験したことを思い出しかけて、しかしそれは智晶の声によって遮られた。
「ないだろう。少なくとも、おまえが今後前線に立つこともないんだ。そんなことはさっさと忘れて、ちゃんと日常生活を送ることを覚えたほうがいい。それでももし気になるなら……」
智晶は少しだけ躊躇うそぶりを見せたあと、突き放すように言った。
「そのへんは信司に聞くといい。あいつはバカだが、下手すると私より脳科学に関して詳しいからな。おまえから頼めば、懇切丁寧に話してくれることだろうよ。……っと。通信だな」
智晶は空中にモニターを表示させ、一言二言呟く。
信司が脳科学に関して詳しいというのは、とても意外だった。彼は戦闘ではこの集落で右にでるものはいないし、噂によると作戦会議でも強い発言権を持っているらしい。
とはいえ、こういった相談に脳科学がうんたらかんたら、というのは間違っている気もする。夏希に相談したときはなんだか強引に話をそらされてしまったし、どうしたものだろうか。
と、思わず紗世が二度見するぐらい露骨な舌打ちを智晶がした。
「噂をすれば何とやら、だ。信司たちが帰ってきた。何人か救出してきたってんで、治療が必要らしい。おまえも来るか?」
愚問だった。最近戦闘が何回もあって、帰ってきた彼らを治療するのが日課だった。それに、紗世としては今の自分にできることなら何でもしたかった。
「はい。先生も救出してきたひとたちには優しくしてくださいね?」
紗世の言葉に、智晶は露骨に顔をしかめた。
紗世が信司たちを見つけ、駆け寄ったとき、彼らの間にはなぜか微妙な空気が流れていた。
何かあったのだろうか? 紗世は疑問に思って、とりあえず信司に話しかける。
「おかえりなさい、信司さん。……えっと、何かあったんですか?」
信司はぱっと顔をあげて紗世の顔を見る。しかし、その一瞬後には目をそらし、あからさまに不機嫌そうな顔になった。
あ、これは絶対何かあったな。
「昨日言ってたとおり、ちょっとした突入作戦だ。詳しい話は救出した人たちを治療しながら話す。病棟の準備を頼めるか?」
顔は不機嫌そうでも、その声音はいつもと変わらず冷静だった。紗世は釈然としない気持ちを抱えながら信司の言葉に従い、戦闘メンバーの抱えてきたいくつかの担架を、智晶の管理している建物へと誘導する。
担架で運ばれる人をちらっと見て、紗世は思わず息をのんだ。
みんな、年端もいかない少女たちだったのだ。紗世と同じぐらいの女の子もいれば、もっと小さな、小学生ぐらいに見える子もいる。これはいったいどういうことだろうと思って、もしかして信司たちの間の微妙な空気はこれが原因なのではないかと想像する。何らかのコードを使ったのか、全員眠らされているけれど、その表情はやつれていて、とてもいい夢を見ているようには見えない。
信司たち戦闘メンバーの手際はとてもよく、数分足らずで救出した少女たちをベッドに寝かせ終えることができた。それからは智晶と協力して、彼女たちが重い外傷とか、感染症とかを患っていないか、軽く診察する。
信司が入ってきたのは、その診断の最中だった。
「おう、信司。だいたいの予想はついているが、こりゃいったい、どんな場所を襲撃すればこんなやつらを救出できるんだ?」
智晶が診察をしつつ、投げやりな態度で声を放る。その手からはコードの輝きが放たれ、少女たちの神経や細胞に異常がないか調べるのに忙しい。
「売春宿だ。しかも未成年を雇っている、胸くそ悪い場所だ」
紗世はその言葉に驚き、思わずコードを放っていた手を止める。
「え……そんな、それって……」
何か言わなければならない言葉がありそうだったけれど、しかしそれはうまく形にならない。
「ここは〈街〉の外の世界だ」
そんな紗世の様子を見つつ、信司は平坦な声で言った。
「当然、警察も裁判所も、留置所もない。集落の中での犯罪行為なら、ある程度裁くことはできるが、そうでないなら、捕まえて牢に入れるってことは不可能だ。
今回、俺たちが襲撃した売春宿は、主に二つの重大な犯罪をしている。一つは、〈街〉から脱出してきた人材の誘拐、もう一つは、彼女たちに不当な役割を押しつけたってことだ」
「そ、それじゃあ、この人たちは……。そうだ、売春宿だったんでしょ、それじゃあ、この人たちのおなかの中には……」
紗世が青ざめながら言うと、信司はかぶりを振った。
「それはない。紗世さんのいうようなことは、ここでは絶対に起こらない」
「え……」
彼女たちがやらされてきたことを考えれば、妊娠のひとつぐらいしていてもおかしくはない。しかし信司は、それは絶対にないという。それは安堵するべきことではあるのだけれど、紗世は激しく疑問に思った。
「紗世さんには、二つほど黙っていたことがあるんだ」
信司は、視線を地面にとどめながら呟いた。
「〈街〉の外に出て、いろいろと混乱しているだろうから、まだ言うつもりはなかったんだ。だけど、もう言った方がいいだろうな……」
それから、信司は紗世の目を真っ直ぐに射抜く。
「このセカイ……〈街〉の外の領域では、俺たちは新たな生命を生むことはできない。医学的にいえば、受精卵ができないんだ。この世界を〈情報化〉しているコード群が、それを許さない。だから、俺たちの次の世代というのがここには存在しない。あるのは、新しく〈街〉から追放された、はぐれものだけだ」
信司の説明は、実に単純明快だった。紗世は過たず彼の言いたいことを理解した。
けれど、紗世にとって、それはなんとなくしか理解できない、実感のない話だった。なにせ、まだ高校二年生。十七歳になったばかりなのだから。
「それと、もう一つ」
次に信司は、ベッドに寝かされている少女の一人に近寄った。
「彼らは、おそらく心に取り返しのつかない傷を負っている。このまま集落に住んでも、馴染むことは難しいだろう。だから、ちょっとした『処置』をするんだ」
言いながら、信司は手をかざし、少女へと輝くコードを放つ。
「俺の力を使って、〈街〉の中にいたころの人格と、これからこの集落にすむ人格を、直接的に繋げるんだ。これで、彼らははじめから自分がこの集落にいたような錯覚を覚える。そうして、早くこの集落になじめるようにするんだ」
紗世は、その言葉にはっとした。それは、この集落にきてからの自分と、そっくりそのままだったのだ。まるで、〈街〉から追い出されたことが、夢の中のできごとのように思えてきたりするのは……。
「もしかして……それを、わたしにも……?」
信司は、ゆっくりと頷いた。
「ああ、そうだ」
「え……そんな……」
紗世が呆然としている間に、信司は救出してきた少女たちに、そのコードをそそぎ込んでいく。
もし、そのコードが自分に使われていなかったら、どうなっていただろう。それは、わからない。けれど、皐が死んでしまったとき、紗世はその場から動けなかったのだ。
紗世が複雑な表情を浮かべているのを知ってか知らずか、信司は淡々とした声で言葉を次いだ。
「もし、本来の自分の姿を知りたかったら、今日の十七時にダムの西の端に来るんだ。それがどんな姿だろうと、俺たちは紗世さんを見捨てない」
まるで、同じような人間を何度も見たことがある、とでも言いたげな口調だった。そして、それを拒否する人間がいるということも。
「わたし、は……」
震える声で、一つの結論を言おうとしたとき、信司が素っ頓狂な声をあげた。
「な……」
「どうした、信司」
智晶が問うと、信司は眠っている少女を見下ろしながら、難しそうな顔をした。
「こいつ……今から数時間前と、今のアイデンティティの相違が異常だ。まるで、別の人間のようになっている。これでは〈街〉にいたころの記憶と人格が繋がらない」
「そうか、ならしばらく経過を見ることだな。どんな患者もすぐに直せるとは思わない方がいいぞ」
「……肝に銘じておく」
どうやら、救出してきた人はそれで最後のようだった。信司は紗世のほうを振り向きもせず、足早にその場から立ち去った。
「まったく、毎度のことながら思わせぶりなやつだ。あんまり気にしない方がいいぞ? ……まあ、それもおまえ自身の問題だけどな」
智晶は顔をしかめながら言い、それからふっと表情をゆるめた。
「人間の心ってのは一朝一夕で変わるもんじゃない。すべての事実は、いつかは受け入れられるようになるもんだ」
「はい。でも……。智晶さんが信司に相談したほうがいいって言ってたのは、このことだったんですね」
「まあな」
智晶はばつがわるそうな顔で答えた。
夕刻。紗世は信司に言われたとおり、奈川渡ダムの西の端に来ていた。紗世はその場所になにがあるのか知っていたけれど、そこで信司が何をするつもりなのかは、まったく見当もつかなかった。
そこは隣の山を望む絶壁に面した、墓地だった。山の裾のから顔を出す夕日が、墓石の一つ一つを、切なげに照らしている。
辺りを見渡して、紗世はそこに黒いコートを着た人物を見つける。
彼は、並び立つ墓石を、じっと眺めていた。
紗世が近寄ると、信司は何の前触れもなく、話し出す。
「こいつは、前川修。銃器とコードを組み合わせた戦闘が得意で、優秀な狙撃手だった。だが〈街〉の軍隊に挟み撃ちにされたときに、誰にも助けを求めずにやつらをくい止め、そして死んだ。後にも先にも、そんなやつだったのさ。自分一人で、何でも背負うような……」
信司は別の墓石に視線を移し、口を開く。
「こいつは草之伸吾。俺たちよりもぜんぜん年上なのに、物腰が低くて、性格も柔らかかった。〈街〉の軍隊に包囲された集落があって、それを助けにいこうと言い出したんだ。危険すぎたから、俺は反対した。だけど、こいつはたった一人で助けにいったんだ。結果、十数人をこちらに転送し、こいつは死んだ。今でも、俺たちの判断は正しかったと思っているが、こいつの判断も間違っていたとはどうしても思えない」
そこまで話して、信司はようやく紗世へと視線を向ける。その光を瞳に湛えているのが、いつも厳しい表情をしている信司だということが信じられないほど、優しさのある視線だった。
「旅をいていれば、それが正しい行為だったのか、判断がつかないこともある。仲間の命が関わっていれば、なおさらだ。だからこそ、彼らは俺たちに大切なことを教えてくれる。紗世さんにも、そんな人間がいるだろう?」
一瞬、紗世は何を言われているのかわからなかった。けれど、その瞬間信司の瞳に宿った、「あの光」を見た瞬間、それは理解を越えて共感へと至った。
信司は、その手からコードを発生させ、その場に一人の人間を出現させる。
「弔ってやれ。いつまでも、時を凍らせておくわけにはいかない。彼女の為にも、紗世さんのためにも」
紗世は、彼女の姿を見て、驚き、そして信司の顔を見た。
「ずっと、持っていたの?」
「ああ。いつか、ちゃんとしたセカイを紗世さんが取り戻すためには、そのひとが必要だと思った。それに、俺は紗世さんを彼女から遠ざけた。だから、俺が持っているべきだったんだ」
彼女――少しくすんだ金髪を持つ、皐という名の少女。
彼女との思い出が、走馬燈みたいに次々と紗世の頭の中を抜けていった。学校で、家で、近所のお店で、彼女と、あの〈街〉で出会った友達たちと、過ごした日々。
真夏の湿気をはらんだ風が、皐の持っていたものを遠くに運んでいくような気がした。もうずっと前のことに思える、一ヶ月も前に失われたそれ。
紗世は、皐の前に膝を折り、耐えきれなくなって泣き出した。
「ごめんね、わたし……生きてる。この……世界で……」
2/9一部修正。
紗代の誕生日から一か月経っている。初夏×、真夏○