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phase1-2

 結果的に言えば、紗世の心配はかなりの割合で杞憂だった。


 昨日友人を刺したことや、校門で騒々しく誕生日を祝福したことなど無かったかのように、理奈はいつも通りの調子で紗世と接した。


「自分の誕生日を忘れるなんて、紗世らしいなあ。七夕が誕生日なのに、どうして忘れるの?」


「だって、昨日はテレビも見ていなかったし、お母さんも仕事だったから……」


「それって、いつも親に言われて誕生日に気が付くってこと?」


「う……」


 痛いところをつかれて押し黙る紗世を、理奈は嗜虐的な笑みで見据える。


「そんなだったら、コードを使って誕生日のことも覚えちゃえばいいのに。まあ、そんなことに使ってもなんか違うし、ストレージの無駄だけどね」


 理奈が言うように、パーソナル・ストレージにコードを使って入力してしまえば、もうその情報を忘れることはなくなる。とはいえ、ストレージ自体が人間の記憶領域なので限界はあるし、そもそもそれは記憶を詰め込むためだけのものではない。


 いや、今。理奈はなんて言った?


――コードを使って誕生日のことも覚えちゃえばいいのに。


 紗世は思わず、机に頬杖をついて笑っている理奈を凝視する。


「……なに?」


「え……いや、理奈はいつも何をストレージに入れてるのかなって」


 昨日まで心配していたことを話すのは気が引けるので、紗世は適当な質問でごまかす。


 しかし、一瞬。理奈の瞳が、揺れた。


 数ヶ月とはいえ、比較的長い時間理奈と一緒にいる紗世が始めてみる「困惑」の表情だった。意外すぎる反応に、紗世は一緒になって困惑してしまう。


「はーい。おはようございます」


 と、紗世のクラスを担当する先生が、野太い声とともに教室に入ってきた。そこでこの話は中断されて、紗世は理奈の席の前から自分の席へと向かう。


 担任は教卓につくと、教卓から出てきた宙に浮かぶ疑似モニターを操作し、紙でできた出欠確認のための手帳を出現させる。


 普段何気なく行われている行為をなんとなく眺めながら、紗世はなぜか、その行為に違和感を覚えた。


 なんだろう、と考えてみるけれど、そこにはなんの怪しいことはないし、本当にいつも通りの光景だった。


 紗世はなんだか釈然としない気持ちのまま、授業への準備を始めた。







 この学校の授業は本当に実技が多い。


 数学の授業だって何かのレクリエーションみたいにやるぐらい、紙とペンではなく、なにかしら体を動かさなければならない。


 というのも当然と言えば当然で、コード技術によってストレージに知識を書き込むことができるのだから、ただ単に座学を行う必要はない。K地区やM地区の学校ではそういうわけではないらしいけれど、曜日によっては、授業がすべて終わる頃にはくたくたになってしまう。


 もちろん、そんな授業も楽しいと紗世は思う。体を動かせば気持ちもすっきりするし、健康にもいいのだ。


「ねえ、紗世。私ね、あなたに誕生日プレゼントを用意したの。ちょっと、一緒に来てくれるかな?」


 そんなこんなで、気持ちのよい疲労感を伴って帰る支度をしていた紗世に、理奈はそう話しかけてきた。


「来てって……どこに?」


 紗世が訪ねると、理奈はわざとらしく人差し指を口にあてた。


「秘密。とにかく、七時ごろに迎えにいくから。ちょっと遊びに行くくらいの準備はしておいて」


 そう言う理奈の顔はとても楽しそうで、同時に断りがたい雰囲気を醸し出していた。特に断る理由もなく、また友人がなにか準備してくれるというのはどこかおもしろそうだった。


「うん。わかった」


 紗世が二つ返事で了解すると、理奈はスキップでもしそうなほど軽やかな足取りで去っていく。それにしても、今日の理奈はとても機嫌がいい。なにかいいことでもあったのだろうか。


 昨日のあの出来事から、すっかり理奈のことを心配していた紗世は、拍子抜けするほどあっけらかんとした友人に対して、なんだか肩すかしをくらった気分だった。


「あなたたち二人って、ほんと仲良しよねえ」


 不意に、後ろから声をかけられる。振り返ると、そこには三人のクラスメイト。皐と、その友人の女の子二人だった。


「最近はけっこう一緒に勉強しているんでしょ? なんていうか、恋人みたいな感じ?」


 その二人のうちの一人が、からかうように顔を近づけて言った言葉に、紗世は思わず赤面する。


「そ、そんなんじゃないよ……」


「そう? でも、理奈ちゃんは紗世のことをじーっと見てることがけっこうあるよ」


「え?」


 知らなかった。


「ねえ、どうなの? 紗世は理奈のこと、どう思っているのよ?」


「い、いやいやいやいや。あ、あれだよ、ほっとけないというか……なんというか……」


 紗世のしどろもどろな返事に、彼女たちは顔を見合わせて笑う。その光景に、紗世は自分が変な解釈――具体的には百合路線――の仕方をするように誘導され、余計なことを言ってしまったと気がつく。


「やっぱりね。まあでも、保護欲をちゃんと持っているのはいいことだわ。将来、きっといいお嫁さんになれるわよ」


 そうやって皐にからかわれて、紗世はまたしても顔を赤らめることになった。


 それから、他愛のない世間話に花を咲かせる。


 紗世は、友人が少ないわけではない。むしろ、同じ学年の女の子たちとは一通り面識がある。とはいえ、固まったグループにいることはあまりないし、つかず離れずな関係を維持していることが多かった。その中では、ある意味理奈との関係は少し普通ではないかもしれないなと、紗世は彼女たちとの会話の中でおぼろげながらも思っていた。







 紗世は一人暮らしをしているわけではない。


 けれど、今の生活はどちらかというとそれに近かった。弁護士である母は毎日いくつか離れた地区にある仕事場に出ばっていて、夕時になっても帰ってこないこともざらにあった。


 三年前までは、そんなこともなかったのに。不慮の事故でお父さんが帰ってこなかったあの日以来、お母さんはなんだか無理しているように見える。


 紗世は壁を軽く叩き、据え付けられているストレージに届いたメールを確認する。


『紗世へ。今日はどうも仕事が集中していて、帰るのは遅くになりそうです。せっかくの誕生日なのにごめんね。仕事場の近くにあるケーキを買っていくので楽しみにしていて頂戴』


 紗世はふっとため息をつく。どうやら今日も、夕飯は自分で作らなければならないらしい。誕生日だというのに。


 まあ、仕事で忙しいお母さんにそんな無理は言えない。


 そのまま食品を保存してあるストレージを確認して、紗世は少し眉をひそめた。


「買わなきゃ」


 せっかくの誕生日なのだし、ちょっとは豪華なものを作りたかったのに、ストレージの中の食品は見事に使い尽くされていた。


 とはいえ、逆に考えればこれを口実にして好きなものを買えるのだ。紗世は気を取り直して、今度は通販サイトのモニターを呼び出す。


 この前、学校の学習用のコードの中で「イタリア料理」の項目があったので、ストレージにインストールしていたのだ。覚えたはいいもののなかなか出番がなかったので、今日こそはと勢い込んだ。


 誕生日の夕食が自分の料理とはいささかわびしい気がするけれど、自分で自分へのご褒美を用意するというのも、なかなか大人っぽい感じがした。


 そんなことを考えながら、どの料理を作るか、そのためにはどの食材を使わなければならないかと計画し、紗世はインストールしたコードの通り、手際よく料理を作っていく。


――結果。


「作りすぎた……」


 テーブルの上にずらりと並んだ料理に、紗世は半ば呆然としつつ唸る。


 まあ、食品といえどもコードにして保存してしまえば腐ることも、味が落ちることもない。明日あたりにお母さんに披露して、驚かせてみようか。


 いや、それよりも何食わぬ顔で食品用のストレージに突っ込んでおいて、それを見たときにお母さんの反応を楽しんでみようか。


 どちらにせよ現実逃避ぎみに考えながら、とかく自分が食べる分だけのパスタとその他もろもろの料理を皿にまとめていく。


 自分で作った誕生日記念料理は、控えめに言ってもかなりおいしかった。初めてでこれが作れてしまうのだから、コードは本当に魔法のような技術だ。


 とはいえ、一人で夕食を食べるのはちょっと寂しい。やっぱり食卓は囲むものだと思う。けれど、紗世はそれを悲観していなかった。「仕事で」帰ってこない母親に対して心配したり、不満を抱いたりできることは、セカイが平和である証なのだから。


 夕食を終えて食器を洗いながら、紗世は朝感じたあの違和感について考えを巡らせていた。

 いつもなら、あんな違和感を感じることはなかった。担任が教卓のストレージから出欠表を取り出して書き込む動作なんかに。


 いったい、あの違和感はなんなのだろう。


 と、その時、玄関チャイムが鳴る。紗世はその考えを霧散させ、返事をしつつ玄関に向かう。


「こんばんわ、紗世。今日は、とっても素敵なところにつれていってあげるね」


 扉を開けると、花のような笑みを顔いっぱいに咲かせた理奈が、バッグを片手に立っていた。







「ねえ、今どこに向かってるの?」


 理奈に手を引かれながら、紗世は困惑気味に訪ねる。理奈は本当に機嫌がよく、鼻歌でも聞こえてきそうなほどだった。


「そうだねえ、ヒントは今日が何の日かってこと」


 そう言いながらも、理奈は紗世の手を強く引っ張っていく。これで紗世と理奈が異性だったらどう見てもカップルだ。紗世は昼間のことを思い出しそうになって、それから逃げるように理奈のなぞかけについて考えを巡らせた。


「七夕……だよね」


 理奈は答えず、どんどん前へと進んでいく。


 やがてたどり着いたのは、天高くそびえるビル。電車を乗りついで駅から徒歩十分のところにある、いかにも会社勤めの人間が通いそうな建物だった。


 理奈は紗世の手を引きながら、自動ドアの手前で何かを操作し、我が物顔でそこに入っていく。


「ちょっと、理奈。まずいって……ここってどこかの会社の私有地だよ」


 紗世はそう言ったけれど、カウンターのような場所にも受付員はいない。理奈みたいにずかずかと入っていくのもどうかと思うけれど、二人以外に人がいないことに紗世は違和感を覚え始める。


 しかし、紗世の懸念に対する理奈の言葉は、もっと驚くべきものだった


「買ったの」


「え……」


 理奈は怒られた子供が悪びれるようにぺろっと舌を出した。


「ここはもともと買い手がつかなくてね。維持費だけでも結構お金がかかるから、管理者がどうしても手放さなければならなかったの。だから、私が買ってあげたってこと」


 信じられない話だった。理奈の両親がどんな仕事をしているのかは知らないけれど、少なくともG地区の一般人には無理だ。もし高校生の身でそんなことができるのは、T地区の住民ぐらいで……。


「というのは、冗談」


 しかし理奈があっさりと撤回したため、紗世は驚きで上がっていた肩をがっくりと落とした。


 そうこうしているうちに、紗世はビル内のエレベーターに乗せられてしまう。理奈は迷い無く屋上へ行くボタンを押し、それから何も言わず、エレベーターが上昇するに任せた。


 やがてエレベーターの扉が開くと、理奈は来たときと同じように紗世の手を引き、走り出す。


 紗世は辟易としながらも、しかし屋上から見える景色に一瞬にして目を奪われた。


 立ち並ぶ高層ビルと、それを取り巻く大小さまざまな店。それぞれがそれぞれの光を放ち、地上を星空のようにきらびやかに飾っている。そしてなにより、空には本物の星が、それこそ銀砂のように輝いていた。


「ここはね、コードによってほかの光源をうまく屈折させて、夜景はそのままに星空を堪能できるようになっているんだ。私が社長だったら、絶対にここをオフィスにするのにね」


 理奈はなんだか自慢するように言う。


「きれい……」


 遠くにはこの〈街〉を象徴する〈エーテルタワー〉が見え、そこから放たれる電飾の光が、まるで天へと光の柱を突き立てているようだった。どこもかしこも光輝いていて、紗世は星空を漂っているような気分になった。


「ほら、これが、天の川」


 理奈は星空を指さして、楽しそうに笑う。


「七夕は、天の川に隔てられた織姫様と彦星様が、一年に一度再会することのできる日。いまごろ、彼らは他愛のない話でもしているんだろうね」


 知識としては知っていたけれど、実際に天の川を見るのは初めてだった。紗世は感激して、理奈に微笑みかける。


「素敵なプレゼントだねっ! ありがとう。最初はびっくりしたけど、ここに来てよかった」


 理奈は満足げに頷き、その笑顔のまま言葉を発する。


「紗世はさ……」


 しかし、そのすぐ後には笑みが消え、真剣な表情になっている。


「この世界が、どういうふうに見えてる?」


「え? とってもきれいだと思うよ?」


 この景色のことを聞かれたのだと思って、紗世そう答えた。


「そう……。確かに、きれいだね。じゃあ、どうしてこの〈街〉から見えるすべての星空を、こんなふうにしないのかな?」


 問われて、はっとする。その疑問は、紗世は感じていたあの違和感にぴったりと当てはまったのだ。


 そして、紗世はその疑問への答えをしばし考え、全く考えつかないことがわかる。それだけに、理奈の問いはこのセカイがどこかおかしいのではないかと紗世に思わせた。


「そう、この〈街〉を形作っているコード技術さえあれば、そんなことは朝飯前なはず。けれど、この〈街〉はそんなことはしないで、ただ街明かりが星の光を妨害するままにしている」


 いつのまにか、理奈の顔にはあの邪悪な笑みがちらつき始めていた。


「この世界は、進むことをやめたんだ。『科学万能説』って知ってる? 二世紀前、まだ人類がコードを発明していなかったとき、何でも科学で解決できるっていう考え方を非難するためにするために使われた言葉なんだ。そんなはずはないってね。


 歴史ではコード技術が世界を救ったってことになっている。それは事実だし、私たちの生活はほとんどコードに頼りきっている。でも、コードは人類が飛躍するための技術ではなくて、すべての科学技術に代用がきくというだけのものだった。ううん、本当はもっと進化することができたのに、そうしなかったんだ」


 理奈は回れ右をし、遠くにそびえる〈エーテルタワー〉を仰ぎ見た。


「世界は、回っている。物質も、エネルギーも、循環する。この世界は、あえてコードを使わないで、前時代の科学技術を使って経済を回しているんだ。コストはかかる。けれどそれはコードによって緩衝できる。コードによるネットワークがあれば、インターネットなんていらない。でも、パーソナルコンピューターという製品の市場があれば、それだけ企業は儲かる……」


 理奈の言葉が、紗世の感じた違和感の正体を代弁していた。学校の出欠表なんて、コードによる通信からしてみれば無用の長物。コードを使って汚れを分解すれば、洗剤なんていらないのだ。


「そうやって、無意味な循環を起こして、この世界は回っている。まるで、大昔の官僚主義のようにね。だから、この世界に『革命』は起こらない。産業革命、情報革命、エネルギー革命、二世紀前まではあたりまえにあったことが、この世界には存在しない」


「どうして……」


 紗世の声に、理奈はもう一度紗世に向き合う。


「どうして、理奈はそんなことを知っているの……」


 理奈の言っていることは理解できた。理解できてしまった。けれど、どうしてそんな考え方が生まれてきてしまうのか紗世にはわからなかった。そして、怖かった。このセカイを否定でもしてしまいそうな話が。それを淡々とはなすのが、理奈というクラスメイトだという事実が。


「私ね……」


 紗世の問いに、理奈は少し顔を俯かせる。紗世が一度も見たことのない、寂しげな笑みを浮かべながら。


「T地区にいたんだ。でも、逃げてきた」


 紗世は、思わず理奈を二度見するように凝視してしまう。


 〈街〉に存在する六つの地区階級の中で、T地区は市民が住める最高の階級の場所だ。政治や軍隊を動かす役職を担い、それと同時に高い地位と財産が保証される。紗世の住んでいるこのG地区はその一個下の階級だけれど、その特権には雲泥の差がある。紗世にとって、T地区とはまさに雲の上の場所だった。


 理奈は、そんな場所から逃げてきたのだという。


「もっとも制御すべきものは、無知な群衆ではない。知識を、そして特権を持った者たち。この〈街〉では、暗黙のうちにそんなルールができている。


 T地区には教育機関そのものが存在しない。だって、必要な知識はすべてストレージにインストールすればいいんだから。けれど、それにはもっと大きな理由がある」


 理奈は、後ろに手を組み、上目づかい気味に紗世を見据える。


「会社の重役が、もし会社のお金を横領して自分のために使っていたとしたら、それはなんのせいだと思う?」


 その口調は平坦なものだったけれど、その媚びるような目は何かを願っているように見えた。


「それは……どう考えてもその人が悪いよね。それを見ていなかったほかの人も悪いけど……」


「そう、特権を持っている人に何か悪いことを起こす『やる気』さえあれば、何だってできる。後になって発覚することはあっても、それを止めることは誰にもできない」


 紗世の答えに理奈は顔をぱっと上げ、満足げな表情を見せる。けれど、そこには心なしか悲しげなものが混じっていた。


「だから、T地区の市民は、ある一定以上の年齢になったらとあるコードをインストールされる。それは知識を拾得するためのものではなくて、絶対に社会に対して反逆をしないようになる脳の回路を植え付けるためのもの」


 言いながら、理奈は顔を歪めた。先ほど悲しみだと思っていたものはそんな冷えきった感情ではなく、怯えのようだった。


「そんなの、私は嫌だった! 人間は、否応なしに社会に反逆するものなんだ。『革命』は、あって当然なものなのに、それを奪われてしまうなんて、怖くて仕方がなかった!」


 苦いものを吐くようにして唐突に紡がれた言葉に、紗世は呆然とするしかなかった。自分のすぐ近くにいた友人が、こんな過去を背負っていたなんて。


 けれど、紗世は少し違和感を覚えた。今日は、自分の誕生日なのだ。理奈のではない。それは、こんな話をするきっかけになるのだろうか。


 理奈は自分を落ち着かせるようにふーっと息をつき、話を続ける。


「でもね、私はこの世界に『革命』を起こせるものを見つけることができたんだ。『革命』に必要な力と、そしてそれを成し遂げられる人をね」


 理奈は紗世にずいっと近づき、その手を取った。突然の行動に、紗世はびっくりして理奈の顔を見る。さっきまでの怯えはもう一片もなく、ただ無邪気な喜びがそこにあった。


「本当は私が『革命』を起こそうと思っていた。でもね、私じゃだめなんだ。私には、人々に慕われる力がない。


 だから、ずっと探していたんだ。『革命』を起こすことのできる才能を持った人を、そして、この『力』を持つことのできる器を」


 紗世の手は、顔の高さまで持ち上げられる。


「こーんなにかわいくて、優しい人間が、この世界にどれだけいるのかな? 友人に刺されたというのに、その人を恐れずに心配まですることのできる女の子が?」


 言いながら、理奈は紗世に舐め回すような視線を向ける。一介の高校生が持つにはねっとりとしすぎた感情を向けられて、紗世は思わず後ずさろうとして、理奈の手に阻まれる。


「紗世なら、『革命』を起こすことができる。ううん、紗世じゃなきゃだめなんだ」


 言ううち、理奈を中心として色とりどりの光が溢れ始める。それらは複雑な文字列を構成し、ビルの屋上に電子回路のような、あるいはおとぎ話に登場するような魔法陣のような図形を描いていく。


「この〈ポルガノクス〉は、あなたにこそふさわしい。ほら、これが本当の誕生日プレゼント。『革命の力』だよ」


 理奈は言い終えると、その場に片膝をつく。そして、おとぎ話に登場する騎士がその主である王女にするように、うやうやしく、紗世の手の甲にくちづけた。


 その瞬間、屋上に描かれた複雑な図形が、一斉に紗世に向かって折り畳まれていく。紗世は悲鳴をあげ、目をつぶった。


 そして、もう一つの『セカイ』を見た。


 意味が、価値が、すべての観測される情報が、紗世のそばを横切って流れていく。大河の流れの中に一人投げ込まれ、全身をもみくちゃにされるようだった。


 そして、唐突に理解した。


――これが、『世界』なんだ!


 ついで、そこからつまみ上げられるような浮遊感があって、紗世は目を開ける。目の前には片手を突き出した理奈の姿があって、そこから光で構成された文字列が湧き出ていた。


 それを確認した瞬間、紗世の体は空中へ放り投げられた。紗世はなにが起こったのかわからぬまま、ビルの屋上から落ちていく。


 その間にも、紗世のすぐ横を何かもわからぬ存在が無数に駆け抜けていく。あまりにも現実感のない光景に、紗世は自分が地面へとものすごい勢いで落下していることに気づけなかった。


 やがて、背中を軽くたたかれるような感覚とともに、視界はいつもの世界を写しだす。〈エーテルタワー〉によって落下のエネルギーをコードに変換されたことで、無傷のまま地面に大の字になった紗世は、そのまま長いこと星の見えない夜空を眺めていた。



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