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Heartbeat が聴こえる

作者: ユエ

 ――孤独には慣れていた 寧ろ望んでいた

    誰かを思いやる事なんて煩わしくて


 バンプの『K』を聴きながら、通学の電車に揺られる。

 そう、誰かを思いやるなんて煩わしい。だって自分のことだけで精一杯だ。思いやるのは余裕のある奴がすること。

 隣に佇む、その余裕のある奴――大林 勉を見上げてそう思った。一緒に登下校するようになったのは中二になってすぐだったから、もうすぐ一ヶ月になる。

 なんでわざわざ遠回りまでする! いつもクラスで一人ぼっちなのが可哀相だから? 委員長だから? こんなことするのは何の為なんだよ……。

 ――イライラする。こいつの気持ちの在り処がわからない。

 睨むように見てると大林の瞳とかち合った。慌てて視線を外す。

「ユウキ、なに聴いてるの?」

 こいつは、いつも頭にアクセントを置いて名前を呼んでくる。ユウキ、と。それは家族や他の誰とも違う。胸の中に木霊する呼び方だった。

「……バンプの『K』」

 呟くように言った言葉に、泣きボクロのある少し下がった目元を和らげながら尋ねてくる。

「それって有名なアーティストの曲?」

 大林の視線を意識してしまう。だけど頬が火照っていく理由は、車内の人混みとその熱気のせいにした。

「BUMP OF CHICKENの曲だよ。黒猫が主人公の。有名だろ。他にも、天体観測とかカルマとか……」

 ポツポツと挙げていく曲名を相槌まじりに聞いている。その穏やかな態度は、こいつの心の余裕が表れてるんだと思った。

 突然ガタン、と車体が大きく揺れた。咄嗟のことでバランスを崩してしまう。ヤバイ、と思ったら強い力に腕を引っ張られてそのまま抱きすくめられた。黒い布地とそれに留まる校章を模った金ボタンが目に飛び込んでくる。

「ユウキ、大丈夫?」

 とくん――。

 まただ。この独特なアクセントで呼ばれると、心が不安定になるのに甘い疼きも感じてしまう。こいつに呼ばれたときだけの感覚。こんな感覚を何て言えばいいんだ。

「…………」

 目を閉じて答えないでいると大林が言葉を続ける。

「気をつけないと。『女の子』なんだから」

 急に不快な想いが全身を駆け抜けた。思いきり腕を突っ張って大林の身体から離れる。

「あたしを……女扱いするな!」

 言い放ったとき、ちょうど学校の最寄り駅に着いて後ろの扉が開いた。あたしは目も合わせずに、そのまま降りる。

 早鐘のように鳴る鼓動だけがやけに耳についた。


 みんなが変わり始めたと感じたのは中学に入学した頃。それまであたしたちには違いなんてなかった。男子と女子に分けられることはあっても、それは単に性別だけの問題で、みんな同じ『子供』って存在だった。

 でも、みんなが男や女になりだしてから、あたしたちの世界は変わりだした。今まで何でもなかったはずのことを恥ずかしがったり、男子があたしたちを見てニヤニヤしたり。女子は男子の目を意識しだした。一つだった世界は急に二つに分かれてしまい、あたしだけがその変化から取り残されてる。だから女扱いされるのにも慣れない。みんな何でもないことのように変わっていく。あたしだけが、戸惑ってる。

 ――どうすれば上手く変われる?


 四限目を終えるチャイムが鳴った。大林の声で礼をすると途端に教室が騒がしくなる。購買に急ぐ者や机を寄せてお弁当を広げるグループがある。

 あたしが食堂に向かおうと席を立つと、そこに大林が近づいてきた。昼食の度に誘いにくる。断っても勝手に付いてくるから、今では気にしないことにしていた。でも、今日は他に数人の女の子も一緒だ。

「食堂だろ? 一緒に食べよう」

 周りの子は明らかに嫌そうな顔をしている。モテるんだから当たり前か。

 大林 勉を一言で表すなら、それは『スマート』だと思う。勉強も運動も遊びも万事要領よくやってしまう。あたしみたいな自分の事もままならい人間には羨ましい限りだ。これで顔もイイのだから、モテないはずがない。だから大林と楽しい時間を過ごしたい彼女たちからすれば、あたしが邪魔なんだろう。彼女たちは大林を男として見てるんだから。

「……遠慮しとく。これから図書室に行くし」

 食堂の予定を自分の中でキャンセルしてドアに向かう。

 なのに、後ろで大林が「僕も図書室に行くから、また今度ね」と女の子たちに言い、あたしの傍に寄ってきた。女の子からのあからさまな不満の声を背に浴びながら教室を出た。

「ついてくるな」

 隣を歩く大林に声だけで威嚇する。

「僕も図書室に行きたいだけだよ」

 嘘ばっかり。泣きボクロのある男は性悪だっていうが本当だ。

 廊下の突き当たりにある階段のところまで来ると下り階段ではなく屋上への階段を上る。でもそれにも、大林はついてきた。

「おい、図書室に行きたいんだろ。それなら下の階じゃないか」

「ユウキと話をしたいから、ユウキの行くところが僕の行き先」

 彼の言葉に感情を乱される。もう構うなと思いながら、その言葉に言い知れぬ想いも抱いてしまう。

 ――これは、何?

 屋上への扉を開けると強い風が頬に触れた。向こうで男子数人が円になってバレーボールをしてる以外は人がいない。

 肩に掛かる髪が風になびかないように押さえつつフェンスに寄りかかった。

「話ってなに?」

 素っ気ない声を装う。乱された心がまだ少し動揺していたから。

 向かいに立つ大林は、風のままに髪をなびかせている。ギリギリ生活指導に注意されない程度の茶髪が日に透けている。本当の優等生は上手に校則も破るみたいだ。

 少し考えるような表情をしながら薄い唇が開いた。

「……今朝のってどんな歌」

 今朝の? 『K』のことか。

「そんなの、どうだっていいだろ」

 一体どうしたいんだ。話したいことがあったんじゃないのか。あたしに何を求めてる。大林の気持ちは捉えどころがない。だからイライラさせられる。でも、彼の気持ちの在り処を知りたいとあたしは思ってる。今も……ううん、いつだって。

 大きな背をあたしに合わせるように屈ませながら、大林が瞳を覗きこんでくる。

「知りたいからじゃダメ?」

 目を細め口角を上げて笑う顔は猫みたいだ。その顔に自分自身でも気づけないところまで見透かされてしまうような気になる。

「……ひとりぼっちの黒猫が絵描きに拾われて、幸せに暮らしてたんだ。けど貧しい生活のせいで絵描きが死んじゃって、そいつの最後の手紙を恋人に届けてから黒猫も死んじゃうって歌」

 簡単に内容を説明する。その間もずっと視線を注がれる。見えない糸に絡まれたように、心が捉われてしまいそう。

 「『K』ってタイトルは?」

 低い穏やかな声が訊いてくる。心地いい音のはずなのに、あたしの気持ちは落ち着かない。

「え……絵描きが黒猫にholly night――聖なる夜って名前をつけたんだ。そして、死んだときに恋人がその名前に『K』を足してholly knight――聖なる騎士ってつけて埋葬してあげたからだよ」

 どんどん熱くなる頬を風が撫でる。同じ風に煽られ、校庭の木々が揺れる。そのざわめきは、あたしに同調してる気がした。こんな訳わかんない自分は嫌だ。でも……自分じゃもう、どうしようも出来ない。

 大林から顔を隠そうと俯いていると、危ない、と向こうのほうから声がした。

 振向く暇もないまま、あたしは大林に引き寄せられた。不意の温もりと彼の匂いに抱かれてしまう。

 どくん――。

 鼓動が何かを訴えかけた。

 大林の腕の中でまどろみに身を任すような心地でいると数人の男子が近づいて来て、二人の傍に転がったボールを拾う。

「すいません」

 その言葉で、自分が大林に抱きしめられたままだと気づいて、恥ずかしさから顔を上げられなくなる。

 いいよ、と大林が軽く答え、男子らはボールを持って元の場所に戻っていった。

「ユウキ、大丈夫?」

 今朝と同じ言葉をかけられた。なのに、反発を覚えない。むしろ違った想いさえ抱いてしまい、ちょっと困る。陽に照らされた制服越しにお互いの体温を感じて、あたしの意識の底が揺らいだ。

「……だから、あたしを女扱いするなって」

 腕を突っ張って離れようとしたけど、何かに髪を引っ張られる。

「痛っ」

 見ると学ランの第二ボタンに髪が絡まっていた。

「あ、ごめん。今とるよ」

 髪を解く為に、大林の長い指が金ボタンにかかる。金に添えられた桜色の爪が、あたしの瞳にはどこか艶やかなものに映った。そんなこと考えてるなんて悟られたくなくて、

「別に。髪を引きちぎったほうが早い」

 そう言って髪を引っ張ろうとした手を、やんわりと大林が制する。

「ダメだよ」

 細い身体つきなのに、あたしを掴んだ腕は力強くて彼が男なんだと思い知らされる。

「……はなして」

 言葉が上擦ってしまう。口の中が乾いて、身体中に不可思議な熱が拡がる。自分の中の何かが変わろうとしていた。

「どうしても早く取りたいなら――」

 大林が髪の絡んだ金ボタンを掴んで、そのまま制服から引きちぎる。同時に裏ボタンの外れる鈍い音がした。注がれる日差しに煌く金ボタンを指に挟んで見せながら、

「ほら、とれた」

 そう言った彼の、やっぱり猫みたいに見える笑顔を見た途端―― どっくん ――胸のうちで一際大きい鼓動が鳴り渡った。

 その瞬間、どうしようもない力が、あたしの中にある大林への意味を書き換え、書き加えていく。泣きボクロのある少し下がった目元も、柔らかそうな茶髪も、口角を大きく上げる薄い唇も。その全てが愛すべきものに変わっていく。分からなかった想いにも名前が付けられた。初めて知る想いばかりで頭がクラクラする。でも、気恥ずかしさの中に喜びが潜んでいる。そこには、女としての自分がいた。

 あたしは、大林に『ユウキ』と呼ばれることが嬉しかったんだ。どうしてあんなに彼の気持ちが気になったのか。なんで、大林の前だと鼓動が高鳴っていたのか。それらが集約する答えは一つしかない。

 ――大林に、恋をした。

 あんなにも惑っていたのに、こんなに呆気なく変化は訪れた。大林を自分と違う存在――男として見てることも、今は何だか自然に思える。

 あたしは真直ぐに彼を見据えた。そして笑顔で、

「ありがとう、大林」

 そう言った。思えば一ヶ月も一緒に登下校してたのに、ちゃんと名前を呼んだのは初めてだった。

 彼は呆けたようにあたしを見つめている。

「今……名前呼んだ?」

「わ、悪いか」

「悪くない! 全然、悪くない!」

 大林が慌てたように手も頭もブンブン振る。そしてあたしを見つめながら、

「……なんか、ユウキって猫みたいだ」

 どこが? と思ってると、

「最初はツンとしてるのに、懐くと可愛い感じとかが」

 また恥ずかしいことを言ってくる。でも今度は、大林も顔がほんのり赤い気がする。可愛いなんて面と向かって言われ、

「お、大林の笑い顔こそ猫っぽいぞ」

 大いに狼狽した声を返した。いま多分……いや、絶対に顔が真っ赤だ。

 顔の火照りを冷ますように手で顔を扇いでいるあたしに、じゃあさ、と大林が猫みたいな笑顔で優しくこう言った。

「『僕らよく似てる』のかも」

 『K』のフレーズと同じことを。偶然だろうけど、それは絵描きが黒猫に出会った時に言った言葉。二人のはじまりの言葉だった。さすが、何でもスマートにこなす大林らしい、と笑いが込み上げてくる。でも、こんな風に始まるのも悪くない。

 黒猫にとっての絵描きみたいに、いつだって大林はあたしに幸せをくれる。だから、いつも傍に居て欲しい。ユウキ、と呼んで欲しい。それだけで聴こえてくる。今も大林の前で高鳴り続けるあたしの鼓動―― Heartbeat ――が。


こんにちは、ユエです

今回は恋になるまでのお話です。

心の成長は外見の成長と違って視認できない分だけ、わかりづらいと思います。その為に戸惑いや不安に駆られることも多いんではないでしょうか。

よろしければ、ご意見ご感想をお聞かせください。


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