第九話 星の雫
ミラベル商人ギルドの本部、3階の会議室に集まった評議会メンバーたちの間で、議論が白熱していた。
「来月の満月祭に向けて、新たな名産品を開発すべきだ。シルヴァの恵みを祝う祭りにふさわしい特別なものが必要だろう」
ジョセフ・ブラッドリーがそう切り出したのは、会議が始まってから約一時間が経過した頃だった。彼の言葉を皮切りに、様々な提案が飛び交った。
「繊細な刺繍を施した白と銀の布製品はどうだろう」 「いや、シルヴァ川の水を使った特別な酒造りを始めてはどうか」 「月の光を反射する銀細工も評判が良いぞ」
熱心な議論の中、部屋の隅でメモを取っていたケンは、ふと思い立ったように手を挙げた。ペネロペの誘いで特別参加していた彼に、評議会の目が集まる。
「何か良い案があるの、ケンさん?」イザベラ・フォーサイスが優しく促した。
ケンは少し緊張した様子で立ち上がった。
「星の雫はいかがでしょうか。満月の光に照らすと、まるで夜空の星のように輝く砂糖菓子です」
「コンペイトウね!」アリスは即座に反応した。「サクラさんのあのお菓子ね。満月祭にぴったりだわ」
「星の...雫?」エドモンド・ウィリスが首を傾げた。
ケンは続ける。「私の国では、星の形をした色とりどりの砂糖菓子があります。砂糖を煮詰めて何度も手を加え、星のような突起を持つ美しい菓子です。銀や白の色合いで作れば、まさにシルヴァの涙を捧げるように見えるのではないでしょうか」
ジョセフは興味深そうに顎に手を当てた。「シルヴァの涙を模した砂糖菓子か。その名前も、満月祭の伝統と見事に調和するな」
そこでアリスが、ケンの頭の中で囁いた。
「ケン、私が製法を解析してみるわ」アリスは自信を持って言った。「私の知識データベースには、コンペイトウの詳細な製法データも保存されているの。」
ケンの視界の隅に、アリスが展開した複雑な図表が浮かび上がった。コンペイトウの製造工程、必要な道具、温度管理の方法などが詳細に示されていた。
「基本的な原理は単純よ」アリスの声がケンの頭の中で響く。「砂糖の結晶化と層状成長を利用するの。この世界の技術でも十分に再現可能ね。職人の技術があれば必要な道具は作れるわ」
図表には、回転釜の設計図、温度管理の方法、砂糖溶液の濃度計算など、詳細な情報が含まれていた。さらに、この世界で入手可能な材料を使った代替案も示されていた。
「難易度は高いけど、試行錯誤を重ねれば必ず実現できるわ」
ケンは小さく頷いた。
「作り方を知っているのか?」別の評議員が尋ねた。
「はい、作れます」ケンは胸を張って答えた。アリスの詳細な分析を頭に思い浮かべながら、自信に満ちた声で続ける。「少し試行錯誤は必要ですが、必ず成功させます。この町の職人たちの技術があれば、必要な道具も作れるでしょう」
「興味深い提案だ」ジョセフは評議員たちを見回した。「他にない独自性のある商品となる可能性がある。試作を進めてみてはどうだろう?」
イザベラが賛同した。「新しいものを取り入れる姿勢は大切です。ケンさん、詳細な計画を立ててくれますか?」
会議が終わった後、ペネロペがケンに近づいてきた。
「星の雫って、すごく素敵な名前ね。でも、本当に作れるの?」
ケンは少し遠い目をして微笑んだ。「作ってみせるよ。祖母が大好きだった菓子なんだ...」
その表情に、ペネロペは何か特別な思い入れがあることを感じ取った。詮索はせず、代わりに彼女は明るく言った。
「手伝うわ!何が必要?」
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ギルド会議の翌日から、ケンとアリスは星の雫の製法の再現に取り掛かることにした。しかし、ギルドの通常業務があるため、彼らは夕方の業務終了後に時間を作り、少しずつプロジェクトを進めることにした。
「アリス、製法を見せてくれる?」ケンは夕暮れ時、自室で尋ねた。日中の疲れが残る体を椅子に沈めながらも、彼の目は好奇心で輝いていた。
金色の光を放つ子猫の姿でケンの視界に現れたアリスは、空中に複雑な図表を展開した。その光が室内を柔らかく照らす。
「基本的には砂糖を煮詰めて結晶化させる工程よ」アリスの声は優しく、しかし知的な響きを持っていた。「でも単純ではないわ。まず核となる粒子が必要で、その周りに糖蜜をコーティングし、乾燥させるサイクルを何度も繰り返すの。角が形成されるメカニズムは興味深いわね」
アリスは糖度や温度、回転速度など、詳細なパラメータを示した。ケンは疲れを忘れ、熱心にメモを取る。
「この世界の道具で再現するには、いくつかの専用器具が必要ね。でも、現地の職人の技術を借りれば作れそうよ」
ケンは頷いた。「よし、まずは必要な道具を揃えよう」
その後の数日間、ケンは日中のギルド業務の合間を縫って、町の鍛冶屋や木工職人と打ち合わせを重ねた。夕方になると、それぞれの職人の工房を訪れ、星の雫製造のための機材の設計に取り組んだ。職人たちも普段の仕事が終わった後、ケンの指示の下、少しずつ機材を作り上げていった。中心となる銅製の大きな回転釜。熱源と回転機構を備え、砂糖溶液を均一に塗布できるよう設計されていた。
一週間後、ギルドの一角を実験場として借り、ケン、ペネロペ、そして興味を持った数人の若手商人たちが夕食後に集まった。昼間の喧騒が落ち着いた静かなギルド建物の中、彼らの熱意だけが明るく輝いていた。
「最初に砂糖を水で溶かし、適切な濃度まで煮詰めます」ケンはアリスの指示に従って説明した。「この濃度が重要で、薄すぎても濃すぎても失敗します」
最初の夜の試作は惨敗に終わった。砂糖溶液が固まりすぎて、均一にコーティングできなかった。時刻は既に夜更け近くになっていた。
「温度管理が難しいわね」アリスがケンの頭の中で静かに分析する。「この世界の熱源は安定していないから、もっと細かい調整が必要よ」
翌日も通常業務を終えた後、二日目の試みに取り掛かった。ペネロペが夕飯用のパンと果物を持ち込み、みんなで軽く食事を取りながら、前日の失敗を検討した。今回は砂糖溶液の濃度を調整したが、今度は核となる小さな砂糖の粒が溶けてしまった。
「核が溶けない程度の温度で、しかも溶液を付着させるのは難しいのね」ペネロペが額の汗を拭いながら言った。月明かりが窓から差し込み、彼女の疲れた顔を優しく照らしていた。
三日目の夜には、回転速度の問題に直面した。速すぎると砂糖粒同士が衝突して固まり、遅すぎると均一にコーティングされなかった。作業が終わるころには、町の時計台が深夜を告げる鐘を鳴らしていた。
「もう少し工夫が必要だな」ケンは疲れた表情で言ったが、諦める気配はなかった。「明日も頑張ろう」
四日目、五日目と試行錯誤を重ねるうちに、徐々にコツを掴み始めた。昼間はギルドでの本来の仕事、夜は星の雫づくりという生活が続いた。ペネロペは父の店を手伝った後、毎晩必ず顔を出した。他の若手商人たちも交代で参加し、実験を手伝った。
温度計を改良し、回転機構を安定させ、糖度の測定方法も確立した。特に重要だったのは、乾燥工程の管理だった。
「湿度が高いと乾燥が不十分になり、角がうまく形成されないわ」アリスが指摘した。夜遅くまで続く作業に、ケンの目の下には疲れの色が見え始めていた。「乾燥室の温度と湿度をもっと厳密に管理する必要があるわね」
木工職人の協力で特殊な乾燥室を作り、遠赤外線に似た効果を持つ薪を使用することで、ようやく安定した乾燥工程を実現した。毎晩少しずつ進み、少しずつ改良を重ねる。その過程で、チームの絆も深まっていった。
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試作を始めてから1週間が経った頃、ある夜遅く、ついに成功の兆しが見えた。
「見て!」ペネロペが小さな糖の粒を手のひらに載せて見せた。キャンドルの光が彼女の顔を照らし、目が輝いていた。「ちゃんと角が出てきたわ!」
確かに、小さな砂糖の粒には、星のような突起が形成され始めていた。深夜にもかかわらず、疲れを忘れて周囲から歓声が上がる。
「もう少し!」ケンは励ました。「あと数回コーティングを重ねれば、完成形に近づくはずだ」
そして二週間目の終わり、連夜の努力がついに実を結んだ。薄い紫、青、ピンク、緑、黄色に色付けされた、星のような突起を持つ美しい砂糖菓子。光に透かすと、内側から輝くような美しさがあった。
「成功したわ」ペネロペが感動した声で言った。疲労と達成感が入り混じった表情で、彼女はケンを見つめた。
ケンは一粒を手に取り、じっと見つめた。祖母との思い出が鮮明によみがえる。二週間の夜なべ仕事の疲れも、この瞬間には価値があった。
アリスがケンの心の中で静かに話しかけた。「これがサクラさんが伝えたかったものね。単なる砂糖の結晶以上の意味がある」
「ケン?」ペネロペが心配そうに尋ねた。
ケンは小さく笑った。「いや...ただ、懐かしくて。祖母がよくくれたんだ、この菓子を」
「祖母さんのことが好きだったのね」
「ああ。彼女はいつも言っていたんだ。『甘さには不思議な力がある』って」
ケンは一粒をペネロペに差し出した。「味わってみて」
ペネロペが口に入れると、砂糖の甘さが口いっぱいに広がった。
「美味しい...こんなシンプルなのに、なんだか元気が出てくるわ」
ケンは微笑んだ。「そう、それが星の雫の力なんだ」
「毎晩寝不足だったけど、頑張って良かった」ペネロペは言った。キャンドルの炎が揺れる中、星の雫は彼らの手のひらで本物の星のように輝いていた。
「みんなの協力があったからこそだよ」ケンは振り返った。毎晩交代で手伝いに来てくれた若手商人たちも、誇らしげな表情を浮かべていた。日中の仕事の後、疲れた体で作業に参加してくれたみんなの努力が、ようやく形になったのだ。
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数日後、ギルド本部の会議室で、星の雫の正式な発表会が開かれた。評議会の面々が、色とりどりの星の雫を驚きと感動の表情で見つめていた。
「素晴らしい」ジョセフが感嘆の声を上げた。「これは間違いなくミラベル町の新たな名産品となるだろう」
イザベラも賛同した。「見た目の美しさ、味の良さ、保存性の高さ、すべてが揃っています。創設者祭での発表が楽しみです」
「製法はしっかりと文書化しましたか?」エドモンドが実務的な質問を投げかけた。
ケンは頷き、詳細な製造方法を記した文書を提出した。それには失敗例とその対策も含まれていた。
「私たちの町から生まれた新しい文化の始まりだ」ジョセフは満足げに宣言した。
会議の後、ケンとペネロペは町の広場のベンチに腰掛けた。夕暮れの優しい光が二人を包む。
「ケン、本当にすごいわ」ペネロペが言った。「あなたは私たちの町に新しい宝物をもたらしてくれた」
ケンは星の雫の入った小さな袋を手に取り、一粒を口に入れた。甘さが広がると同時に、祖母の笑顔が思い浮かぶ。
「祖母に教えてもらったことが、こんな形で役立つなんて思ってもみなかった」ケンは静かに言った。「彼女は言っていたんだ。『甘さは人を繋ぎ、心を温める』って」
ペネロペは黙ってケンの肩に頭を寄せた。言葉は必要なかった。空には最初の星が瞬き始め、町には星の雫のような希望の光が灯りつつあった。
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夜になり、ケンが自室に戻ると、アリスが金色の光を深く照らしながら現れた。
「ケン、この星の雫の持つ意味を、やっと理解できたわ」アリスは静かに言った。
ケンは少し驚いた様子でアリスを見つめた。
「祖母さんの言っていたことね。甘さは人を繋ぎ、心を温める…あれは単なる生理的反応を説明しているのではなく、もっと深い人間同士の繋がりを表しているのね」
アリスはケンの目の前に星の雫の光学的構造を模した光のモデルを生成した。光に照らされて内側から突起まで輝く様子は、本物と同じように美しかった。
「最初、私はこの菓子の甘さと人間の重要な繋がりの関係性を計算できなかったわ。でも今日、みんなの表情を見て、理解できたの。これは、サクラさんからあなたへ、そしてあなたからこの町の人々へ、目には見えないけど確かに存在して、みんなの思いが繋がっているのね」
ケンは微笑んで頷いた。「その通りだよ、アリス。祖母ちゃんはいつも言っていたんだ。食べ物は記憶を運び、心をつなぐ架け橋だって」
「人間という存在は、私が思っていたより違う度合いで複雑で美しいわ」アリスは光の輪郭を大きく広げた。「私もこれから、この星の雫が持つ意味をもっと学びたい。人と人を繋ぐみんなの絆を、もっと深く知りたいの」
ケンはテーブルに置いてあった星の雫をひとつ取り、アリスに差し出した。もちろん彼女は物理的に食べることはできないが、その身振りには深い意味があった。
「ありがとう、ケン」アリスは光を柔らかく照らし、星の雫に触れるような動きをした。
外の空には星々がさらに増え、星の雫と同じように輝いていた。