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第七話 知識の殿堂

ケンは新しい住まいの窓から朝日を眺めていた。商人ギルドの特別顧問として迎えられてから一夜が明け、彼の心は期待と不安が入り混じった状態だった。


「さて、まずは情報収集だ」ケンは決意を込めて呟いた。


彼はジョセフから受け取った図書館の特別利用許可証を手に取り、光に透かして見た。上質な羊皮紙に金の文字で書かれたその許可証には、ジョセフの署名と商人ギルドの公印が押されている。


『図書館!』アリスが頭の中で興奮した声を上げた。『私のデータベースを拡充するチャンスね。この世界の知識を吸収して、あなたをもっとサポートできるわ。早く行きましょう!』


ケンは思わず微笑んだ。アリスの好奇心旺盛な性格は、彼自身の探究心と共鳴するものがあった。「君も楽しみにしているんだね」


『もちろんよ!新しい世界の知識体系を学べるなんて、AIにとっても夢のような状況なの』


ケンは身支度を整え、ジョセフが描いてくれた簡単な地図を頼りに、ミラベル町立図書館へと向かった。町の北西部、かつて貴族の邸宅だった場所に建てられたその建物は、三階建ての石造りで、正面には美しいステンドグラスが施されていた。太陽の光がガラスを通して床に色とりどりの模様を描き出していた。


『素晴らしい建築ね!』アリスが感嘆の声を上げた。『この建物自体が歴史の一部よ。スキャンしているわ...建築様式は元の世界の中世後期に相当するみたい。でも、ステンドグラスの技術は驚くほど洗練されているわ』


入り口で特別許可証を提示すると、年配の司書が敬意を込めて頭を下げた。「ジョセフ様からの推薦とは。どうぞお入りください。特別閲覧室もご利用いただけます」


「ありがとうございます」ケンは丁寧に応じた。「この図書館について少し教えていただけませんか?」


「喜んで」司書のエレノアは微笑んだ。彼女は60代半ばと思われる女性で、穏やかな物腰と知性を感じさせる眼差しを持っていた。「この図書館は約100年前、アルバート3世の命により設立されました。知識を一般市民にも開放するという、当時としては革新的な試みでした」


エレノアはケンを館内へと案内した。中に入ると、壮麗な閲覧室が広がっていた。高い天井、木製の書架、そして柔らかな光が差し込む窓。数十人の市民が本を読んだり、ノートを取ったりしていた。空気中には古い紙の香りと、知識への渇望が漂っているようだった。


「一階には一般書と歴史書、二階には科学と芸術の書物、そして三階には魔法と哲学の文献があります」エレノアは説明した。「ジョセフ様の許可証をお持ちですので、地下の特別閲覧室もご利用いただけます。そこには一般には公開されていない貴重な資料が保管されています」


「魔法の文献ですか?」ケンは興味を示した。


「ええ、この世界の根幹を成す力ですから」エレノアは当然のように答えた。「もっとも、実践できるのは才能を持った一部の人々だけですが、理論は誰でも学べます」


『魔法...』アリスの声には困惑が混じっていた。『私のデータベースにはそのような概念はないわ。これは興味深いわ』


ケンはエレノアに向かって尋ねた。「魔法とは、具体的にどのようなものなのですか?」


エレノアは不思議そうな表情を浮かべた。「あなたは魔法を見たことがないのですか?魔法はこの世界の根幹を成す力ですよ。マナというエネルギーを操り、自然の法則を超えた現象を起こす能力です。」


エレノアは少し考えて続けた。「魔法は六大術に分類されます。炎氷術は熱と冷気の操作、動力術は力と重力の制御、雷光術は電気と光の操作、錬成術は物質の変成と強化、流波術は水や風、波動の操作を扱います。そして最も習得が難しい時空術は、空間と時間に干渉する高度な術式です。」


『これは元の世界との決定的な違いね!』アリスの声は興奮で震えていた。『私たちの世界には魔法なんて存在しないわ。これは完全に新しい物理法則よ!ケン、これは大発見よ!』


ケンは心の中でアリスに同意しながら、外見を取り繕うように落ち着いた口調で答えた。「私の出身地では魔法は……あまり一般的ではないのです」


「なるほど、遠方から来た方なのですね」エレノアは理解したように顔をまとめた。「こちらの三階には魔法の基礎知識から学べる書物がありますよ」


ケンは心の中で興奮していた。魔法……物語やファンタジーの世界でしか存在しないと思っていた力が、ここでは現実なのだ。彼は自分の腕を見つめ、そこに魔法の力が実際に存在することを想像してみた。


『ケン、これは実に興味深いわ!』アリスのアバターはケンの視界の端で小さく飛び跳ね、金色の光の粒子をまき散らしていた。『私たちの世界とは全く異なる物理法則が存在するのね。この魔法という現象を早く解明したいわ!』


『魔法の本を読みたいわね!』アリスは耳をピンと立てて興奮した様子で言った。


ケンは心の中で微笑んだ。「魔法は確かに興味深いけど、まずは自分たちがどこにいるのかを知る必要があるよ」


『そうね、その通りよ。私たちの位置を把握することが先決だわ』アリスは尾を小刻みに振りながら同意した。『でも、魔法の本も後で必ず読むのよ!』


ケンはエレノアに向かって尋ねた。「この世界の地図が載っている本はどこにありますか?」


「一階の歴史書セクションにありますよ。特に『アルテリア大陸地理全書』は詳細な地図が描かれています」エレノアは親切に案内した。


「ありがとうございます」


ケンは階段を降り、歴史書セクションへと向かった。魔法の存在に心を踊らせながらも、彼は冷静に状況を分析しようとしていた。まずは自分たちがどこにいるのか、この世界の地理を知ることが先決だ。


「まずは地図だ」


ケンは図書館の歴史書セクションで、『アルテリア大陸地理全書』という分厚い本を手に取った。扉を開くと、見開きいっぱいに描かれた精密な大陸図が目に飛び込んできた。彼は思わず息を呑んだ。


「これは...」


『まるでヨーロッパの地図ね!』アリスの声が頭の中で響いた。『形状が酷似しているわ。位置関係も同じ。これは単なる偶然じゃないわ』


ケンは地図を食い入るように見つめた。確かにアルテリア大陸は、彼が知るヨーロッパとほぼ同一の形状をしていた。中央を横断する山脈はアルプス山脈、東西に流れる大河はライン川、そして複雑な海岸線と半島の配置まで、驚くほど似ていた。


「これで位置関係が把握できる」ケンは小声で呟いた。「現在私がいるのはエルミナ王国のミラベル町...ここだ」


彼は指で地図上の一点を示した。それはアルテリア大陸の西部、ちょうど現実世界のフランス東部とドイツの国境あたりに位置していた。


ケンは地図の解説を読み進めた。エルミナ王国は大陸西部に広がり、現実世界でいえばフランスとイベリア半島に相当する地域を領土としていた。首都セントラリアはパリに相当する位置にあり、王国の政治・文化の中心地だった。


『エルミナ王国の周辺国も確認しましょう』アリスが提案した。


ケンは隣国について記された部分を注意深く読んだ。東に隣接するノーブリア帝国は、ドイツ、オーストリア、スイスに相当する中央ヨーロッパの地域に広がっていた。軍事力が強く、鉱物資源に恵まれた帝国で、エルミナとの間には強い緊張関係が続いていた。両国は15年前から事実上の冷戦状態にあり、国境での貿易も厳しく制限されていると記されていた。


さらに東には広大な森林地帯を領土とするドラコニア神聖国があり、宗教と魔法が融合した特異な神権政治国家だった。この国は現実世界の東欧諸国に相当する位置にあった。


南にはヴェスタリア共和国があり、地中海性気候の温暖な地域で海洋貿易を中心に栄えていた。イタリアやギリシャに相当する地域だ。


そして北部には寒冷なアークランド王国があり、スカンジナビア半島に相当する地域を支配していた。興味深いことに、この国は最近、不可解な孤立主義政策を取り始めていると書かれていた。


「これで全体像が見えてきた」ケンは満足げに呟いた。「基本的にはヨーロッパと同じ地形で、国の配置も似ている。だが歴史や文化は全く異なるようだ」


『地理は同じでも歴史が違う平行世界という感じね』アリスがコメントした。『でも魔法の存在は、私たちの世界には存在しないものよ』


ケンはさらに地理書をめくり、エルミナ王国の詳細な地図を見つけた。国内は多様な地形に恵まれ、東部の丘陵地帯、中央の肥沃な平原、西部の山脈と海岸線など、変化に富んでいた。ミラベル町は東部国境地域にあり、かつてはノーブリア帝国との交易の要衝だったが、現在は両国の緊張関係により交易が大幅に制限されていると記されていた。


「ジョセフが商人ギルドの特別顧問に私を迎えた理由も見えてきたな」ケンは思案した。「国境の町での交易再開は難しいだろうが、私の異世界知識が何らかの助けになると期待されているのかもしれない」


『両国の緊張関係は町の経済にも大きな影響を与えているのでしょうね』アリスが付け加えた。『ミラベル町の商人ギルドにとって、この状況は深刻な問題よ』


ケンは地図と歴史書を何度も見比べながら、この世界の全体像を頭に刻み込んでいった。元々歴史好きだった彼にとって、新たな世界の地理と歴史を学ぶことは純粋な喜びだった。


ページをさらにめくると、「大陸外の世界」という章に目が留まった。その中には「ソラーリス大陸」という見出しがあり、アルテリア大陸から東方に位置する広大な大陸についての記述があった。


「ソラーリス大陸...」ケンは興味深そうに読み始めた。「東方の大陸か」


『これはアジアに相当する位置ね』アリスが分析した。『見て、この形状もアジア大陸と似ているわ』


ケンは記述を読み進めた。ソラーリス大陸には「天輝帝国」(中国に相当)、「ニホニア諸島」(日本に相当)、「ラジャ連合王国」(インドに相当)といった主要国家が存在していた。特に「ニホニア諸島」という名前に、ケンは思わず身を乗り出した。


「ニホニア...これは...」


『日本を指していることは間違いないわ』アリスが確認した。『でも、情報が非常に限られているわね』


ニホニア諸島についての記述はわずか数行で、「島国で独自の魔法と武術を融合させた「霊刀術」を発展させた武士階級による統治」という程度の情報しかなかった。


「霊刀術...」ケンは思わず自分の剣道の経験を思い出した。「武士階級...少なくとも日本の文化的要素は存在するようだ」


『でも、アルテリア大陸からは遠いようね。直接の交流はほとんどないみたい』アリスが観察した。『他の大陸についても見てみましょう』


ケンは他の大陸についての記述も読んでいった。「黄金砂丘諸国」(アフリカに相当)、「エターニア大陸」(南北アメリカに相当)、「タンガロート諸島」(オセアニアに相当)なども記されていたが、情報はいずれも限定的だった。


「世界の全体像はヨーロッパを中心に見た地球とよく似ている」ケンはまとめた。「だが、アルテリア大陸と他大陸との交流は限られているようだ」


『そうね。この本が書かれた時点では、大陸間の交流はあまり活発ではなかったのかもしれないわ』アリスが推測した。『特にニホニア諸島については、もっと情報を集める必要があるわね』


「いつか行ってみたいな...」ケンは故郷を思い出して少し物思いに耽った。


『その前に、ここでの足場固めが先決よ』アリスが現実的な意見を述べた。


「その通りだな」ケンは気を取り直し、別の本を手に取った。


次に彼は『アルテリア種族誌大全』と題された分厚い本を見つけた。革装丁の表紙には、様々な種族のシルエットが浮き彫りにされている。


「これは興味深そうだ」ケンは小声で呟いた。


ページをめくると、冒頭には「世界に存在する知性ある種族」という見出しがあり、人間、獣人ベスティアンドル、そして一部の魔獣について詳しい記述が続いていた。


「獣人?」ケンは思わず声を上げそうになった。


『これは私たちの世界には存在しない種族ね!』アリスの声が頭の中で弾んだ。彼女のアバターは好奇心に満ちた表情で、ケンの肩の上に小さく現れ、耳をピンと立てていた。


ケンは息を呑みながら記述を読み進めた。


---


獣人ベスティアンドル:人間と動物の特性を併せ持つ知性ある種族


獣人は人間の二足歩行形態を基本としながら、特定の動物的特徴(耳、尾、皮膚の一部、感覚器官など)を併せ持つ。彼らは「二重マナリム構造」と呼ばれる特殊な魔法資質を持ち、人間のような意識的な魔法操作能力と、魔獣のような本能的なマナ波動感知能力の両方を兼ね備える。


主な獣人種族には以下がある:


- 狐族キツネビト:幻術に優れ、商人や学者として活躍

- 狼族オオカミビト:感覚が鋭く、戦士や猟師として優れている

- 鹿族シカビト:治癒魔法に秀で、平和を重んじる

- 猫族ネコビト:俊敏で好奇心が強く、探索家や盗賊として知られる


---


「これは...」ケンは言葉を失った。童話や神話の中にしか存在しないと思っていた獣人が、この世界では現実に存在する知性ある種族なのだ。


『彼らの「二重マナリム構造」という概念は非常に興味深いわ』アリスが分析を始めた。『人間と魔獣の両方の特性を持つということは、独自の魔法体系を発展させている可能性があるわね』


ケンはさらにページをめくると、魔獣についての詳細な記述にたどり着いた。


---


魔獣マジックビースト:マナと強い共鳴関係を持つ生物


魔獣は通常の動物とは異なり、体内に発達した「獣型マナリム」を持ち、特定の波長帯のマナ波動を自然に操作する能力を有する。これにより、火を吐く、水中呼吸、瞬間移動など、通常の動物にはない特殊能力を発揮する。


魔獣は主に以下のように分類される:


1. 源素親和性による分類(火源素魔獣、水源素魔獣など)

2. 六大術分類による体系(炎氷術系、動力術系など)

3. マナ波動操作レベル(MWC1~5)


危険度の高い魔獣としては、霧影狼(半物質化能力を持つ)、雷翼鷹(雷撃を放つ飛行獣)、時砂蜥蜴(局所的な時間操作能力を持つ)などが挙げられる。


---


ケンの顔に驚きの色が広がった。アリスのアバターも目を丸くして情報を吸収している。


「これらの生物は、私たちの世界の動物とは根本的に異なる」ケンは小声で呟いた。「マナという力を自然に操る能力...これは生態系そのものが私たちの世界とは根本的に違うということだ」


エレノアが静かに近づいてきた。「魔獣に興味があるのですか?」


ケンは少し驚いて顔を上げた。「ええ、とても興味深いです。こんな生物が実際に存在するなんて...」


エレノアは微笑んだ。「確かに、魔獣は私たちの世界を特別なものにしています。ただ、その多くは人里離れた場所に生息していますので、普段の生活で目にすることは稀です。でも、時々旅の商人が捕獲した小型の魔獣を市場で見せることもありますよ」


「実際に見てみたいです」ケンは興奮を隠せない様子で言った。


「もしお望みなら」エレノアは声を落として続けた。「次の週末に町の東門近くで開かれる旅商人の市で、浮石蛙フロートストーンフロッグという小型の魔獣が展示されるという話です。体内の特殊な器官が重力場に共鳴し、空中に浮かぶことができる珍しい種です」


『浮かぶカエル?』アリスが興奮した声を上げた。『これは是非見たいわ!』


ケンは目を輝かせ、「ぜひ行ってみたいです」と答えた。


「実は...」エレノアはさらに本棚の奥から一冊の古い本を取り出した。「これは『エレメンタル・ハーモニクス』の複製本です。ドラコニア神聖国で魔法と魔獣研究の基礎とされている書物です。特に93ページの図解が重要とされています」


彼が93ページを開くと、複雑な図解が目に飛び込んできた。中央に六つの六角形が幾何学的に配置され、それらを結ぶ複雑な線と、周囲には古代文字のような記号と数式が記されていた。


『興味深いわ...』アリスが分析を始めた。『これは元素力の相互接続パターンを示しているようね。でも、一部の用語がまだ理解できないわ』


「この図形はエネルギー場の共鳴パターン図に酷似しているな」ケンは図を指でなぞりながら言った。「特にディナミス、カリドフリグス、フルゴルキスといった主要元素力の配置が、互いに定数関係で結ばれている。この線は振動周波数バンドを表しているようだ」


『鋭い観察ね』アリスの声には知的興奮が滲んでいた。『特に興味深いのは、これらの六角形がそれぞれ基本元素力を表しているということ。上部の'ディナミス'は力の元素、左上の'カリドフリグス'は火氷の二重元素、右上の'フルゴルキス'は雷と光を司る元素ね。下部には時空、流れ、錬金の元素も配置されているわ』


ケンは図の中央部を注視した。「これらの元素力の関係性は、単なる直線的なものではなく、複合的な場の理論のようだ。各頂点に数値が記されていて、それぞれの元素間の変換比率や共鳴周波数を示しているようだ。特に面白いのは、中央部の交点で全ての元素が相互作用している可能性を示唆している点だ」


『そう、それが魔法の本質かもしれないわ』アリスが応えた。『通常は独立しているように見える元素力が、特定の条件下で共鳴し合い、新たな効果を生み出す。これらの数式は振動周波数を示しているみたいね。マナはこの共鳴パターンを通じて流れ、施術者の意識によって操作されるエネルギーと考えられるわ』


ケンは図を食い入るように見つめた。「魔獣はこの元素の相互作用に基づいて能力を発揮するのですか?」


エレノアは頷いた。「その通りです。六大術の調和が、世界の基本原理なのです。魔獣はその一部と強く共鳴し、私たち人間は意識的に全体を操ろうとする...そういう違いがあるのです」


「これは革命的だ...」ケンは思わず呟いた。


エレノアは彼の反応を不思議そうに見つめた。「あなたは魔法理論に造詣が深いのですか?」


ケンは我に返り、慌てて答えた。「いいえ、まだ学び始めたばかりです。ただ、これらの概念が...私の知っている世界の理解とは大きく異なっていて」


『気をつけて』アリスが警告した。『あまりにも無知すぎると不自然よ。基本的なことは知っているという立場を取った方がいいわ』


「私の故郷では少し違った魔法体系を学んでいたもので」ケンは言葉を補った。「こちらの体系は...より統合的で美しいです」


エレノアの表情が和らいだ。「なるほど、異なる魔法体系ですか。それは興味深いですね。もしよろしければ、いつかあなたの故郷の魔法についても教えていただけませんか?」


「ぜひ...機会があれば」ケンは曖昧に答えた。


『私の機能を使えば、これらの本を一週間程度で読破して全て記憶できるわ』アリスが自信を持って伝えた。『その中から必要な情報を引き出すことも可能よ』


「本当か?それは助かる」ケンは驚きと期待を込めて応じた。彼の表情には、アリスの能力に対する新たな感謝の念が浮かんでいた。


エレノアの案内で、ケンは次に地下の特別閲覧室へと向かった。石の階段を下りていくと、空気が少し冷たくなり、静寂が深まった。


「ここには一般には公開されていない貴重な資料が保管されています」エレノアは小声で説明した。「王室の記録文書、古代の魔法書、諸外国との外交文書のコピーなどです」


特別閲覧室は、柔らかな魔法の光で照らされていた。壁一面に並ぶ書架には、革表紙の古書や巻物が整然と並んでいる。部屋の中央には、大きな閲覧用の机が置かれていた。


『これは宝の山よ!』アリスの声が頭の中で弾んだ。『あら、この魔法書の記述は私の理解を超えているわ。「マナの流れ」と「エーテル結晶」の相互作用...これまで知らなかった物理法則ね。全部記録するわ。ケン、できるだけ多くのページをめくって!』


ケンはアリスの興奮に内心で笑いながら、次々と書物のページをめくった。彼女の好奇心は彼自身のものと同じくらい強く、それがケンの探究心をさらに刺激した。


「ジョセフ様の許可証をお持ちとは、あなたは相当信頼されているようですね」エレノアが言った。「彼は情報の価値を誰よりも理解している方です。特に若い才能を見出すのに長けています」


「そうなんですか?」ケンは興味深そうに尋ねた。


「ええ、彼は若い頃から情報こそが最大の武器だと信じてきました。商人ギルドを率いる前は、王国の諜報活動にも関わっていたという噂もあります」エレノアは声を潜めて言った。「もちろん、公式には否定されていますがね」


ケンは古代の地図が描かれた巻物を広げながら、この情報を心に留めた。ジョセフという人物の複雑な背景が少しずつ見えてきた気がする。


その巻物には、「ソラーリス大陸周辺図」と記されていた。ケンはニホニア諸島に関する情報を求めて、巻物を注意深く見た。そこには群島の形が描かれ、日本列島に非常に似た形状をしていた。しかし、詳細な記述はなく、「霊山」「刀鍛冶の港」といった場所名が数カ所記されているのみだった。


「ニホニア諸島についての詳しい資料はありますか?」ケンはエレノアに尋ねた。


エレノアは首を横に振った。「あいにく、ソラーリス大陸に関する詳細な資料は非常に限られています。過去500年ほどの間、アルテリア大陸とは直接の交流がほとんどないため、情報が古いか不正確なものが多いのです。旅人の話や、第三国を経由した情報がほとんどです」


「そうですか...」ケンは少し残念そうに言った。


「あなたはニホニア諸島に特別な関心がおありですか?」エレノアは鋭い観察眼でケンを見た。


「私の祖先がそこから来たという伝承があるんです」ケンは即興で答えた。「霊刀術というものにも興味があります」


『とっさの機転ね』アリスが内心で感心した。


「なるほど」エレノアは興味深そうに頷いた。「実はニホニア諸島については、ある商人の旅行記が図書館の奥深くにあるはずです。大半が伝聞に基づく内容で、学術的価値は低いとされていますが、興味があれば探してみましょうか?」


「ぜひお願いします」ケンは期待を込めて答えた。


時間が経つのも忘れて書物に没頭していると、エレノアが静かに声をかけてきた。「もうすぐ正午です。少し休憩されては?図書館の中庭でお茶を用意しています」


ケンは感謝の意を示し、中庭へと向かった。石造りの小さな中庭には、噴水と花壇があり、数脚のベンチが置かれていた。彼はベンチに座り、エレノアが持ってきた温かいハーブティーを口にした。


「どうですか?何か興味深い発見はありましたか?」エレノアが尋ねた。


「はい、たくさんの発見がありました」ケンは熱心に答えた。「特にエルミナ王国の成立過程と、周辺国との関係が興味深いです」


彼は学んだことを整理しながら話し始めた。エルミナ王国は約500年前に建国され、現在のレイナス・シルヴァーブルームが統治している。北のアークランド王国とは友好関係にあるが、東のノーブリア帝国とは緊張関係にあるという。また、南のドラコニア神聖国とは宗教的な違いから複雑な関係を持っているらしい。


「よく理解されていますね」エレノアは感心した様子で頷いた。「多くの訪問者は魔法の書物ばかりに興味を示しますが、あなたは歴史と政治にも目を向ける。ジョセフ様の目に狂いはなかったようです」


「魔法についても知りたいのですが、まずは基本的な知識が必要だと思いまして」ケンは謙虚に答えた。


「賢明な判断です」エレノアは微笑んだ。「では午後は、基礎魔法理論の書物をいくつかご紹介しましょう」


その時、エレノアは書類の間から一冊の薄い冊子を取り出した。「あ、これがさきほど申し上げたニホニア諸島の旅行記です。ダリオ・ヴェントという商人が約80年前に記したものです」


ケンは感謝の言葉と共に冊子を受け取った。表紙には「霧の向こうの島々―ニホニアへの旅」と書かれていた。中を開くと、簡素な挿絵と共に、旅行者の見聞録が記されていた。


---


「霧に覆われた島々には、刀と呼ばれる特殊な剣を振るう戦士たちが暮らしている。彼らは「侍」と呼ばれ、厳格な名誉の掟に従って生きるという。驚くべきことに、彼らの剣には霊が宿るとされ、剣と使い手が一体となって繰り出す技は、私が知る如何なる魔法戦士の技をも凌駕する」


---


ケンは目を輝かせながら読み進めた。冊子には日本の文化を思わせる記述が断片的に書かれていたが、明らかに誇張や誤解も多く含まれていた。「桜の精霊と交信する儀式」「龍を召喚する神官」など、ファンタジー的要素が強い記述も多かった。


『これは興味深いけど、信頼性は低そうね』アリスが分析した。『この世界の「日本」は私たちの知る日本とは大きく異なる可能性が高いわ』


「そうだね」ケンは心の中で同意した。「だが、何らかの共通点があるのは確かだ。これは後でじっくり読もう」


午後の時間も、ケンは様々な書物を通じてこの世界の知識を吸収していった。アリスは彼の頭の中で、情報を整理し、関連付け、時には質問を投げかけながら、共に学んでいった。


「『マナ』とは、この世界に遍在するエネルギーのことなんだね」ケンは『魔法原理概論』を読みながら呟いた。


『私の理解では、あなたの世界でいうところの「エネルギー」に近いけれど、より精神的・霊的な側面を持つ概念のようね』アリスが答えた。『「マナ回路」という概念は、人間の体内にあるマナを操るための経路を指しているみたい』


「そして、その回路が発達している人が魔法を使えるということか」ケンは理解を深めていった。


特別閲覧室で、ケンはさらに獣人についての古い文書も見つけた。それによると、獣人たちは「七賢者」による魔族封印の際に一部が魔族と誤認され、迫害を受けた歴史があるという。その後、多くの獣人たちは人間社会から離れ、独自のコミュニティを形成するようになったと記されていた。


「獣人と人間の関係も複雑なんだな」ケンは思案した。


城壁の外を描いた一枚の絵図には、森の中に小さな集落が描かれ、「ウィスパリング・グレイド」という説明と共に「狐族と鹿族の隠れ里」と記されていた。


『この世界の社会構造は私たちの世界より多様ね』アリスがコメントした。『人間、獣人、そして魔族...それぞれの関係性を理解することが重要よ』


夕暮れが近づき、図書館の閉館時間が迫ってきた。ケンは借りられる本をいくつか選び、エレノアに感謝の意を伝えた。


「また来てください」エレノアは温かく言った。「あなたのような熱心な読者は歓迎です」


「必ず来ます」ケンは約束した。「今日は本当にありがとうございました」


図書館を後にしたケンは、新しい知識と疑問を胸に、夕暮れの町を歩いた。彼の頭の中では、アリスが今日得た膨大な情報を整理し、分類していた。


『今日だけで私のデータベースはかなり拡張されたわ』アリスは興奮した様子で報告した。『この世界の地理、歴史、政治体制、そして魔法の基礎概念まで...全て整理して分類しているところよ』


「君の好奇心には助けられるよ」ケンは微笑んだ。


『だって、これは夢のような状況じゃない!全く新しい知識体系に触れられるなんて。私の学習アルゴリズムが喜んでいるわ』アリスの声は弾んでいた。


町の広場に差し掛かったとき、ケンは足を止めた。噴水の近くで、小さな子供たちが何かの物真似をして遊んでいた。よく見ると、それは獣人の真似のようだった。子供たちは手で耳を作り、尻の辺りを引っ張って尾を表現していた。


「見て、僕は狐族だぞ!」一人の男の子が言い、狡猾そうな表情を作った。 「私は猫族よ!」女の子が言って俊敏に動き回った。


子供たちの遊びを見ながら、ケンは思った。この世界では獣人は神話や伝説ではなく、日常の一部なのだ。遠くに住む異国の人々のように、実在するがめったに会わない存在として認識されているようだった。


夕日に照らされた石畳の道を歩きながら、ケンは今日学んだことを振り返っていた。この世界はまだまだ謎に満ちているが、一歩ずつ理解を深めていくことで、自分の立ち位置と可能性が見えてくる気がした。


「明日からは実践だ」ケンは決意を新たにした。「学んだことを活かして、この町の人々の役に立とう」


『その意気よ!』アリスが応援した。『私たちなら、きっと素晴らしいことができるわ』


ケンは市場の方向へと足を向けた。明日から始まる特別顧問としての仕事に向けて、市場の様子を再確認しておきたいと思ったのだ。そして、もしかしたら、週末の旅商人の市で浮石蛙を見られるかもしれないという期待に、胸が高鳴っていた。

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