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第六十話 ラモスの調査

リバーデールの宿の薄暗い一室で、ラモス・ヴェラクルス教授は震える手で羽根ペンを握っていた。机の上には焦げた木材の破片、溶けたガラスの欠片、そして彼の娘エリアが描いた家族の絵が並んでいる。十歳の娘が描いた絵の中で、父親は魔法学園の黒いローブを着て誇らしげに微笑んでいた。


「同時魔法の威力合算値:計算上の3.7倍」


彼は自分のメモ帳に書かれたその数字を何度も見つめ、深い溜息をついた。三週間前の「事故」以来、この数字が彼の頭から離れることはなかった。


「なぜだ...なぜこれほどの威力が生まれたのか...」


ラモスは頭を抱えた。十六年間教壇に立ち、数百人の学生を指導してきたが、こんな現象は一度も見たことがなかった。そして何より、事故を起こしたのは彼が最も信頼していた学生、エルヴィスとエルリックのカルデロン兄弟だったのだ。


---


三週間前、ドラコニア魔法学園実習室


「それでは今日は、『グロブス・イグニス』の共同詠唱実習を行います」


ラモス教授は実習室の中央に立ち、二十人の二年生たちに指示を出していた。午後の陽光が大きな窓から差し込み、石造りの実習室を温かく照らしていた。


「共同詠唱では、二人の術者が息を合わせて同一の魔法を発動します。理論上、単独詠唱の約2倍の威力を持つ安定した火球を生成し、10分間静止状態で維持するのが今日の目標です」


エルヴィスとエルリックは最前列でペアを組んで立っていた。兄のエルヴィスは相変わらず真剣な表情で、弟のエルリックは少し緊張しているようだった。二人とも家から持参した古い教科書を大切そうに抱えている。


「カルデロン兄弟、君たちがお手本を見せてください。二人の息は普段からよく合っているし、グロブス・イグニスの個人詠唱も完璧です」


「はい、教授」エルヴィスとエルリックは同時に答え、向かい合って立った。二人の間には約2メートルの距離があり、そこに共同で火球を生成する予定だった。


ラモスは他の学生たちに向かって説明を続けた。「共同詠唱では、二人のマナ波動が調和することで、二倍の効果が生まれます。しかし制御も難しくなるため、慎重に―」


その時、エルヴィスとエルリックが詠唱を始めた。


「炎の魂よ結集し、我が意志に従う球体となれ」


二人の声が完璧に重なった。いつもの通り、美しい調和を奏でている。ラモスは満足そうに頷いた。エルヴィスの几帳面さとエルリックの直感が見事に融合し、理想的な共同詠唱だった。


二人の手のひらから放たれたマナが空間の中央で交わり始めた。最初はいつも通り、直径35cm程度の標準的なグロブス・イグニスが形成されるように見えた。


しかし―


火球が予想の2倍ではなく、異常な光を放ち始めた。ラモスは違和感を覚えたが、その時にはもう遅かった。


轟音と共に、実習室全体を揺るがす爆発が起こった。防護結界が瞬時に砕け散り、石壁に深い亀裂が走った。学生たちの悲鳴が響く中、ラモスは咄嗟に盾の魔法を展開したが、爆風の威力は共同詠唱の2倍程度という予想をはるかに超えていた。


煙が晴れた時、エルヴィスとエルリックは床に倒れていた。軽い火傷を負い、恐怖で震えている。二人の顔には、何が起こったのか理解できないという困惑の表情が浮かんでいた。


「ごめんなさい...ごめんなさい、教授...」エルヴィスが泣きそうな声で謝った。


「僕たち、何か間違えたんでしょうか...」エルリックも涙目だった。


その時のラモスの胸を締め付けた痛みは、今でも鮮明に覚えている。二人は何も悪いことをしていなかった。ただ、指示通りに魔法を使っただけだったのに。


---


三週間後、リバーデール


メモ帳をめくると、事故後の調査記録が続いている。学園内で囁かれ始めた様々な憶測、保護者からの抗議、そして何より、エルヴィスとエルリックが受けている風評被害の記録。


『カルデロン兄弟面談記録 - 事故後一週間』


ラモス: 体調はどうだ?火傷の痕は痛まないか?


エルヴィス: 身体は大丈夫です。でも...みんなが僕たちを見る目が変わりました。


エルリック: 「危険な双子」って陰で言われてるんです。食堂でも一人で座ってるし...


ラモス: 君たちは何も悪くない。これは事故だったんだ。共同詠唱は完璧だった。


エルヴィス: でも、実際に爆発は起きました。いつもと同じように詠唱したのに、なぜこんなことが...


エルリック: 僕たち、何か間違えたんでしょうか?詠唱は普段通りだったのに、なぜ火球が爆発したんでしょう?


ラモス: 君たちの詠唱に問題はなかった。むしろ、あれほど息の合った共同詠唱を見たのは初めてだった。


エルヴィス: でも結果的に、みんなを危険な目に遭わせました。もし他の生徒が怪我をしていたら...


エルリック: 僕たち、家に帰った方がいいんでしょうか?父さんと母さんに迷惑をかけてばかりで...


その時の二人の表情を思い出すと、ラモスの胸が痛んだ。特にエルヴィスの自責の念に満ちた瞳と、エルリックが必死に涙を堪えていた姿は忘れられない。


彼は机の引き出しから一通の手紙を取り出した。カルデロン家の両親からの手紙だった。便箋は安物で、インクも薄い。それでも、息子たちへの愛情と教授への感謝が行間に滲み出ていた。


『ラモス教授へ

いつもエルヴィスとエルリックがお世話になっております。

息子たちから事故のことを聞き、私たちも大変心配しております。

二人は毎晩、自分たちのせいで他の学生が危険な目に遭ったと言って泣いています。

学園を辞めて家に帰ると言い出していますが、教授はどうお考えでしょうか。

私たちは農民で、魔法のことはよくわかりません。

でも、息子たちが一生懸命勉強していることだけは知っています。

畑仕事の合間に、二人が魔法の練習をしている姿を思い浮かべると、

私たちも頑張らなければと思うのです。

もしよろしければ、息子たちに声をかけていただけませんでしょうか。

カルデロン・マルティン、同妻イサベル』


ラモスは手紙を胸に押し当てた。カルデロン夫妻に何度も会ったことがある。日に焼けた素朴な夫婦で、双子の学費を捻出するために朝から晩まで働いている。エルヴィスとエルリックがいかに家族を大切に思い、期待に応えようとしているかを知っているだけに、今の状況が辛かった。


---


『事故後二週間目の面談記録』


ラモス: 最近、食事は取れているか?


エルヴィス: はい...でも、あまり食欲が...


エルリック: 夜も眠れません。夢の中でまた爆発が起こるんです。


ラモス: 魔法の実習は?


エルヴィス: 自主的に参加を控えています。また同じことが起きたら...


エルリック: 僕、もう魔法を使うのが怖いんです。手を上げるだけで体が震えて...


ラモス: 分かった。無理をする必要はない。今は休んでいなさい。


エルヴィス: 教授、本当に申し訳ありません。先生の指導が悪かったんじゃないんです。僕たちが...


ラモス: エルヴィス、君たちは私の最優秀の学生だ。この三年間、君たちほど真面目で努力家の生徒を見たことがない。自分を責めてはいけない。


しかし、いくら励ましても二人の心の傷は深かった。特にエルヴィスは責任感が強すぎて、すべてを自分のせいだと思い込んでいる。エルリックも明るさを失い、以前のような屈託のない笑顔を見せなくなった。


---


ラモスは立ち上がり、窓から夕日を眺めた。リバーデールの街並みが黄金色に染まっている。彼は十七年前の記憶を思い出していた。


自分がまだ学生だった頃、親友のディエゴと一緒に危険な魔法実験を行い、制御を失った魔法でディエゴを失ったのだ。あの時の自責の念、悔恨、そして無力感。エルヴィスとエルリックの表情を見ていると、当時の自分の心境が蘇ってくる。


だからこそ、彼は二人を救いたかった。自分ができなかった「真実の解明」を今度こそ成し遂げたいと思っていた。


「君たちは悪くない」彼は窓ガラスに向かって小さく呟いた。「必ず証明してみせる」


---


机に戻ると、学園からの報告書の山が待っていた。エレミア大神官派の保守的な神官たちが、事故を「新しい魔法理論の危険性を示す証拠」として利用しようとしているという内容だった。


『学内風評調査報告』

・ 「カルデロン兄弟はノーブリア帝国のスパイ説」

・「反体制派による破壊工作説」

・ 「双子の魔法は呪われている説」

・ 「マナ波動理論が危険な魔法を生み出している説」


どれも根拠のない憶測ばかりだったが、これらの噂は学園内で既成事実のように語られ始めていた。特に保守派の学生たちは、エルヴィスとエルリックを避けるようになり、食堂では孤立している状況だった。


ラモスの拳が震えた。教育者として、これほど悔しいことはなかった。無実の学生たちが不当な扱いを受けている。しかも、彼らは反論することもできずに、ただ耐えるしかない状況に追い込まれているのだ。


彼は娘エリアの絵をもう一度見つめた。「お父さんは魔法の先生で、みんなを守ってるの」と娘が誇らしげに話していたことを思い出す。


「守れていない...」彼は呟いた。「私は教師として、何も守れていない」


---


アルカディア帰着


翌日の夕方、ラモスはドラコニア魔法学園に戻った。石造りの立派な校舎、整備された中庭、活気ある学生たちの姿。しかし彼の心は重かった。


学園長のセバスチャン・ドラコニアが出迎えた。セバスチャンは大神官セラフィムの甥であり、比較的穏健な人物だが、政治的な配慮も必要な立場にあった。


「お疲れ様でした、ラモス教授。調査の進展はありましたか?」


「申し訳ありません、学園長。リバーデールでも決定的な手がかりは得られませんでした」ラモスは頭を下げた。「しかし、共同詠唱による『グロブス・イグニス』が異常な威力を発揮したという事実だけは確認できました。なぜそうなったのか、まったく見当もつきません」


「やはり...」セバスチャンは眉をひそめた。「保守派はこの事故をマナ波動理論への攻撃材料にしようとしています。『新しい理論が危険な魔法を生み出している』と。テロの可能性は?」


「絶対にありません」ラモスは強い口調で反論した。「エルヴィスとエルリックを三年間指導してきた私が断言します。彼らの共同詠唱は教科書通り、むしろ模範的でした。故意にこのような危険な行為をするはずがありません」


「しかし、学内では様々な噂が...」


「根拠のない憶測です」ラモスは拳を握りしめた。「ノーブリア帝国のスパイ説や、反体制派の陰謀説など、すべて事実無根です。彼らはただの農家の子供で、家族を支えるために一生懸命勉強している優秀な学生なのです」


セバスチャンは困惑した表情を浮かべた。学園長として、政治的な配慮と学生の保護の間で板挟みになっているのが見て取れた。


「分かりました。しかし、保護者からの苦情も多数寄せられています。安全対策の見直しを求める声も...」


「学園長」ラモスは真剣な眼差しで言った。「私は教師として、無実の学生を守る義務があります。真実を明らかにするまで、この調査を続けさせてください」


セバスチャンは長い間考えた後、頷いた。「分かりました。ただし、これ以上学園の秩序を乱さないよう、慎重に進めてください」


---


その夜、ラモスは研究室に籠もった。机の上には過去三年間のエルヴィスとエルリックの成績表、実習記録、そして彼らが書いた魔法理論のレポートが山積みになっていた。


エルヴィスの几帳面な字で書かれたレポート「火系魔法の安全な制御について」。エルリックの創意工夫に満ちた実験報告書「双子による連携魔法の可能性」。どれも真摯な学習への取り組みを示している。


「この子たちが悪いはずがない...」


ラモスは頭を抱えた。グロブス・イグニスの共同詠唱は標準的な2年生カリキュラムだった。これまで何百回も行われてきた実習で、一度も事故が起きたことはない。エルヴィスとエルリックの詠唱も完璧だった。それなのに、なぜあんな爆発が起きたのか?


「何が...何が原因なんだ...」


時計が真夜中を過ぎた頃、ラモスは窓から夜空を見上げた。七つの星が特に明るく輝いている。まるで何かを暗示しているかのように。


その時、研究室のドアがノックされた。深夜にしては珍しい。ドアを開けると、そこには涙を浮かべたエルヴィスとエルリックが立っていた。


「教授...眠れなくて...」エルリックが震え声で言った。


「また悪夢を見ました」エルヴィスも疲れ切った表情だった。「爆発の夢で...今度は本当に誰かが死んでしまって...」


ラモスは二人を研究室に招き入れ、温かい茶を入れた。暖炉の火が二人の顔を優しく照らしている。


「教授」エルヴィスが口を開いた。「僕たち、本当に学園にいていいんでしょうか?みんなに迷惑をかけて...」


「そんなことを言うな」ラモスは強く言った。「君たちは私の誇りだ。この三年間、どれだけ多くの後輩たちが君たちを見習ってきたか分からない」


「でも...」


「エルヴィス、エルリック、よく聞きなさい」ラモスは二人の前に座った。「私にも息子がいたら、君たちのような子に育ってほしいと思う。それほど君たちを誇りに思っているんだ」


二人の目に涙が浮かんだ。長い間、誰からも理解されないと感じていた二人にとって、教授の言葉は救いだった。


「必ず真実を明らかにする」ラモスは約束した。「そして君たちの名誉を回復し、堂々と胸を張って学園生活を続けられるようにしてみせる」


---


翌朝、ラモスは学園の掲示板で一つの告知を見つけた。


『公開実証実験のお知らせ

ヴェルデン教授とエルミナ王国からの研究者による

マナ波動理論の実証実験が行われます

場所:アルカディア円形劇場

時間:明日午前10時』


「ヴェルデン教授とエルミナから来た研究者...」ラモスは呟いた。


もしかすると、この実験が何か新しい視点を提供してくれるかもしれない。もしエルヴィスとエルリックの事件が科学的に説明されれば、二人の名誉も回復され、彼らを苦しめている風評被害も止むだろう。


「行ってみるべきだな」


彼は決意した。教師として、そして一人の人間として、愛する教え子たちを救うために。


ラモスは研究室の窓から中庭を見下ろした。そこではエルヴィスとエルリックが、他の学生たちから離れた隅の方で、静かに教科書を読んでいた。二人の姿は小さく見えて、なんだか心細そうだった。


「エルヴィス、エルリック...もう少しだけ待ってくれ」彼は心の中で呟いた。「必ず君たちを守ってみせる」


アルカディア円形劇場に向かう道すがら、ラモスは複雑な心境だった。伝統を重んじるドラコニアの学者として、エルミナの理論を聞くことには抵抗があった。しかし、彼の教え子たちの名誉を守るためにも、真実を知る必要があった。


「もし、この実験で答えが見つかったら...」


彼は胸ポケットに入れた娘の絵と、エルヴィスとエルリックからの感謝の手紙を確かめた。それが彼の決意を新たにしてくれた。


円形劇場に入ると、そこには想像以上の人々が集まっていた。ラモスは目立たない席に着き、メモ帳を取り出した。


「何か...何か見落としている要素があるはずだ」


舞台の上では、若い研究者たちが実験の準備をしていた。彼らの中に、答えがあることを願いながら、ラモスは固唾を呑んで見守った。


教師としての責任感と、一人の父親としての愛情、そして科学者としての純粋な探求心が、彼の心の中で一つになっていた。

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