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第五話 市場巡りの旅

翌朝、ケンが市場に到着すると、既に人だかりができていた。エドモンドが中央の広場で「市場巡りの旅」の説明をしていたのだ。ケンが驚いたのは、エドワードも腰を押さえながらも、薬草商のサラの隣に立っていたことだ。


「...そして5つの印を集めると、特別な『市場の知恵』が記された巻物を授与します。これは私たちが世代を超えて受け継いできた知識の結晶です」エドモンドが説明を終えると、エドワードが前に出た。


「さらに、今日からは特別に、私が育てている薬草の知識も共有します。各店を巡る際に、野菜と薬草の組み合わせについてのアドバイスも提供しますので、ぜひお立ち寄りください」


最初の客たちが布製の「市場パスポート」を手に各店を訪れ始めた。一組の母子連れがペネロペの店の前で立ち止まった。


「お母さん、見て!このほうれん草、色が鮮やかね」少女が声を上げた。


「確かに。でも高すぎないかしら」母親は少し躊躇いながら言った。


ペネロペは丁寧にほうれん草を手に取り、「今朝摘みたてのものです。サラさんのカモミールと合わせると、お母様の咳に効きますよ」と説明した。


エドワードが店の片隅の椅子から声を添えた。「さらに、夕食前に飲むと効果が高まります。実は私の妻も同じような咳で悩んでいましたが、この組み合わせで随分楽になりました」


母親の表情が変わった。「本当?うちの子も最近咳が出始めて…」


「パスポートをお持ちですか?」ペネロペが尋ねると、母親は頷いて布製のパスポートを差し出した。ペネロペは八百屋の印を丁寧に押した。「次はサラさんの店へどうぞ。このほうれん草とちょうど良い薬草を教えてくれますよ」


別の客、髭を蓄えた中年の男性が大根を手に取りながら尋ねた。「これは煮物に向くかね?」


「この大根は、トムのライ麦パンとの相性が抜群です。このレシピカードをどうぞ」ペネロペが言うと、エドワードが「そこに私の育てたタイムを加えると、消化を助け、体を温める効果があります。特に冬の夜には最適ですよ」と付け加えた。


男性は興味深そうに頷いた。「ふむ、それは知らなかった。冬はいつも胃の調子が悪くなるんだ。ライ麦パンと…タイムだったかな?両方試してみるとするよ」


市場の中央では、エドモンドが折り畳みの机を設置し、来場者に「市場パスポート」を配布していた。彼の机の前には多くの人が列を作り、好奇心に満ちた表情で新しい試みに参加しようとしていた。


「これはどうやって使うの?」と年配の女性が尋ねた。


「簡単ですよ」エドモンドは微笑みながら説明した。「このパスポートを持って市場の各店を巡り、それぞれの店で印をもらいます。各店では特別な知識や組み合わせのアドバイスも受けられます。5つの印を集めると、私の会計所で『市場の知恵』の巻物と交換できます」


「まるで冒険みたいね!」女性は目を輝かせた。「孫も喜びそう」


若い夫婦が隣で話していた。「僕たちは新婚でね、料理の知識があまりなくて」と夫が言った。


「それなら絶好の機会です」エドモンドが答えた。「各店のアドバイスを集めれば、一週間分の献立が完成しますよ。特に野菜と薬草、パンと肉の組み合わせを学べば、栄養バランスの取れた食事ができます」


夫婦は嬉しそうにパスポートを受け取り、まずはパン屋に向かった。トムの店では、以前よりも多くの客で賑わっていた。


「このパンを買うと、サラの店の薬草が無料でもらえるって本当?」ひとりの客が尋ねた。


「いいえ、無料ではありませんが」トムは笑いながら答えた。「私のパンとセットで買うと、サラの店で特別な割引があります。それに、私のパンに合う薬草や野菜のアドバイスも受けられますよ」


客たちは単なる買い物ではなく、「旅」を楽しんでいるようだった。店から店へと巡る中で、新たな発見や会話が生まれ、市場全体が活気づいていた。


「これ、面白いわね」と年配の女性が友人に話しかけた。「いつも同じ店で同じものを買っていたけど、こうやって巡ると新しい発見があるわ」


「本当ね」友人が答えた。「さっきサラさんに教えてもらった薬草の使い方、知らなかったわ。長年住んでいるのに、まだまだ知らないことがあるものね」


パン屋の近くでは、子供たちがパスポートを手に喜んで走り回っていた。「次はどこに行く?」「鍛冶屋さんの印がまだだよ!」と声を上げながら、彼らは市場を冒険のように楽しんでいた。


エドワードの薬草知識は特に年配の客たちに評判で、彼の周りには常に人だかりができていた。


「この季節の咳には、このハーブが効きます。煮出す時間は短めに、そして…」と丁寧に説明するエドワードの表情には、久しぶりに役に立てる喜びが溢れていた。


「あの、私は毎年冬になると関節が痛むのですが…」と年配の男性が相談すると、エドワードは自分の経験も交えながら、「それなら、こちらのショウガとターメリックを組み合わせてみてください。私自身も使っていますよ」と答えた。


昼過ぎ、商人ギルドの幹部たちが視察に訪れた。彼らは厳しい表情で各店を巡り、最終的にケンとエドモンドの前に立った。


「これが噂の『市場巡りの旅』か」年配のギルド幹部が言った。「最初は単なる売り上げ争奪戦になると危惧していたが...」


彼は周囲を見回した。各店の商人たちが互いの商品について説明し合い、客たちも店から店へと笑顔で移動している。


「これは予想外だ。単なる商売の枠を超えている」幹部は続けた。「これは...知識と人々をつなぐ新たな形だ」


ギルド副幹部の物資調達責任者、ヘンリー・グリーンウッドは腕を組んで市場を見渡した。「確かにユニークな試みだ。特にこの『パスポート』のアイデアは秀逸だな。お客が自発的に全ての店を訪れるよう仕向けている」


もう一人の外交担当主任のウィリアム・スターリングは「伝統的な商売の形を変えることには抵抗もあったが、これは実に興味深い」と付け加えた。「特に若い客層の参加が目立つことに注目している」


ギルドの承認を得て、「市場巡りの旅」は正式にミラベル町の取り組みとして認められることになった。夕方近く、一日の商いを終えた商人たちが集まった。


「信じられないわ」サラは興奮した様子で言った。「今日は先月一ヶ月分の売上があったわ」


「私の店も」パン屋のトムも頷いた。「しかも、普段売れない新商品も、野菜との組み合わせで人気になった」


肉屋のジョージが加わった。「客が増えただけじゃない。みんな今日は楽しそうだった。『明日も来るよ』って言ってくれる人もいたんだ」


ペネロペはケンに近づき、小さな声で言った。「ありがとうございます。今日の売上で、母の新しい薬を買うことができます」


彼女の目には涙が光っていた。それは悲しみの涙ではなく、希望の涙だった。


ケンは微笑んだ。「これはまだ始まりに過ぎません。この『市場巡りの旅』が成長すれば、もっとたくさんの可能性が生まれるでしょう」


『素晴らしいわ、ケン』アリスの声が頭の中で響いた。『あなたは単に問題を解決しただけでなく、人々の協力の仕方そのものを変えたのね』


エドモンドが近づいてきて、肩を叩いた。「君のようなアイデアマンは、このミラベル町に必要だ。ぜひ今後も協力してほしい」


夕暮れの市場は、朝とは全く違う雰囲気に包まれていた。店主たちは疲れてはいたが、その表情には達成感と希望が満ちていた。明日への期待が、市場全体を明るく照らしているようだった。


ケンはペネロペの店を最後に訪れた。彼女は母親に特別な薬草茶を飲ませていた。エドワードがその横で、誇らしげに見守っていた。


「母の顔色が良くなりました」ペネロペは嬉しそうに報告した。「サラさんの薬草と父の育てた薬草を組み合わせたお茶が効いているようです」


「それは良かった」ケンは心から言った。エドワードは静かに頷き、「今日は久しぶりに役に立てた気がする」と小さな声で呟いた。


「でも...」ペネロペは恥ずかしそうに続けた。「なぜ、見知らぬ私たちを助けてくれたのですか?」


ケンは少し考えてから答えた。目が遠くを見つめ、どこか懐かしむような表情になった。「私の故郷にも、かつて衰退した商店街があってね。再生のきっかけは、数軒の古いお店が始めた週末市場だったんだよ。最初は小さな動きだったけど、徐々に広がっていったんだ」


彼は手のひらを開いて見せた。「一本の糸は簡単に切れるけど、多くの糸が編み合わさった織物は強い。私の国には『三人寄れば文殊の知恵』という言葉があるんだ。皆の知恵と力が合わさると、想像以上の変化を起こせるんだよ」


ケンは少し照れくさそうに笑った。「それに...迷ったら動く、というのが私のモットーなんです。行動しなかった後悔より、失敗する勇気を取りたいと思って」彼は一瞬、剣道の構えを取るような仕草をした。「剣道で教わった『一本気』の精神です。迷いなく、全力で一つのことに打ち込む」


「剣道」のことは分からないペネロペだったが、思わずケンの真摯な表情に見入っていた。彼の言葉には不思議な説得力があり、自然と心を打たれるものがあった。


「明日も素晴らしい一日になるよ」ケンは夕焼けを見上げながら言った。その目には、何か大きなことの始まりを感じる期待の輝きがあった。


ペネロペは静かに頷いた。「はい。そして、その明日のために、今日も一歩前進できました」彼女の頬は、夕陽の赤さだけではない色に染まっていた。


市場の灯りが一つずつ消えていく中、新たな希望の光が、ミラベル町に広がり始めていた。

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