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第四十七話 道の詩人の物語

温灯蛾たちが静かに森の縁へと戻り始め、彼らの柔らかな光は少しずつ遠ざかっていった。焚き火の炎だけが闇の中で踊り、五人の旅人たちの顔を照らしていた。カーターが竪琴の調弦を終えると、彼の指が繊細に弦を爪弾き、静かな夜の空気に美しい音色が広がった。


「道中の楽しみといえば、やはり物語だな」カーターは微笑みながら言った。「旅の宿でも、商人のキャラバンでも、一日の終わりには必ず誰かが物語を語る。それが旅の伝統ってものさ」


ルーカスは焚き火の近くに座り直し、期待に満ちた目でカーターを見つめた。「どんな物語を聞かせてくれるんですか?冒険譚ですか?それとも恋物語?」


カーターは笑いながら腰に下げていた銀製のフラスコを取り出し、一口飲んだ。「今夜は...」彼は竪琴の音色を少し暗いものに変えた。「私自身の物語を少しだけ聞かせようか」


皆の注目が彼に集まった。焚き火の炎が彼の風格ある顔を照らし、その目には遠い記憶の光が宿っているようだった。


「実はね」カーターは片手で長いポニーテールを後ろに流しながら続けた。「私はこんな風に馬車を走らせる前は、まったく違う人生を歩んでいたんだ」


五人の目がカーターに向けられた。彼は焚き火をじっと見つめ、静かに語り始めた。


「二十代の頃は、ノーブリア帝国の国境警備隊に所属していた。あれは兵士というには少し大げさかもしれないが、それでも剣の扱いや魔法防御の基本は叩き込まれたものさ」


カーターは右腕の袖をまくり上げた。そこには帝国の軍隊で与えられる銀の腕輪の跡が薄く残っていた。


「戦争は好きじゃなかったし、人を傷つけるのはもっと嫌いだった。だがね、国境警備の仕事は人々を守ることでもあった。何より、あの頃見たこの世界の広さが忘れられなくてね」


ソフィアが静かに尋ねた。「それで商人になったんですか?」


「いや、すぐにではないよ」カーターは頭を軽く振った。「除隊してから約5年間は放浪の旅人だった。各地の村を巡り、小さな仕事をしては次の場所へ移動する。そんな生活だった」


彼は再びフラスコに口をつけ、一口飲んだ。


「そんな旅の途中で、人生を変える出来事に遭遇したんだ」彼の声はより静かに、しかし芯のある響きを帯びていた。「それは今から約10年前、アークランド王国の東部にある『青い谷』と呼ばれる地方での話だ」


トーマスが身を乗り出した。「青い谷ですか?あそこは...」


「そう、今では誰も住んでいない」カーターはトーマスの言葉を引き継いだ。「私が到着する少し前までは、約60人が暮らす小さな村だった。『ブルーヘブン』という名の村だ」


彼の目には遠い記憶を見つめる光が宿った。


「私が村に着いたとき、そこには人の気配がなかった。家々は無傷で、食事の準備途中のものもあれば、仕事場に道具が出しっぱなしのところもあった。まるで全員が何かの合図で一斉に村を出たかのようだった」


「集団失踪...」ケンは思わず言葉を漏らした。


「その通りだ」カーターはケンを見つめた。


夜の空気が一層冷たく感じられた。ルーカスは身震いし、ソフィアは眉を寄せた。エリーナは思わず筆記用具を手に取り、カーターの話を記録し始めた。彼女の目は真剣で、一言も聞き逃すまいという決意が感じられた。


「何が起きたと思いますか?」トーマスが尋ねた。


「王国の調査隊は『山賊の仕業』と結論づけた」カーターは苦笑した。「だが、貴重品は何一つ盗まれておらず、血痕ひとつ見つからなかった」


ケンの頭の中でアリスが情報を分析しているのが感じられた。


「分析を実行中よ。集団失踪事件のパターンを探ってるんだけど、アルテリア大陸の歴史には似たような事例がいくつかあるみたい。ただ、確定的な結論を出すにはもう少し情報が必要だね。とりあえず未解明現象として記録しておくわ」


「その後、私は商船の乗組員となり、河川交易の技術を学んだ。やがてリバーデールの商業ギルドで認められ、今では自分の馬車を持つまでになった」カーターは話題を変え、明るい声で続けた。「人生とは面白いものだよ。若い頃は剣を持ち、今は手綱を持っている。どちらも旅をする点では同じだがね」


エリーナは「青い谷」と「ブルーヘブン」に印をつけ、「後で調査」と小さくメモした。彼女の記録癖はここでも役立っていた。


カーターは立ち上がり、馬車から小さな竪琴を取り出した。


「さて、重たい話はこのくらいにして」カーターの指が弦を爪弾くと、美しい音色が夜の森に響いた。「旅は物語と音楽で彩るものさ。次は各地の商人から聞いた『七つの海の恋物語』をお聞かせしようか」


ルーカスは興奮した様子で手をたたき、ソフィアも期待に満ちた表情で身を乗り出した。エリーナは筆記用具を置き、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。ケンは笑顔を見せながらも、カーターが語った失踪事件の謎について考えずにはいられなかった。トーマスは物思いにふける表情で、静かに夜空を見上げていた。


カーターの竪琴の音色と豊かな声が夜の闇に溶け込み、彼らの不安を優しく包み込んでいった。物語は遠い海辺の町から始まり、嵐の夜に出会った若い船乗りと商人の娘の恋の行方へと続いていく。五人は物語に引き込まれ、しばしの間、旅の疲れも緊張も忘れていた。


トーマスはいつの間にか眠りに落ち、エリーナも頭を垂れてまどろんでいた。ソフィアはまだ目を開けてカーターの語りに耳を傾けていたが、次第に彼女の瞳も重くなっていった。


「皆さん、そろそろお休みになったほうがいいですよ」カーターは竪琴の演奏を終え、優しく言った。「明日は早い出発になります。夜が明ける前に出立して、日中にエルストの森を抜けたいと思いますから」


ケンは焚き火に小枝を投げ入れながら頷いた。「今日はありがとう、カーターさん。素晴らしい物語でした」


「若者たちの旅に同行できるのは楽しいものだよ」カーターは竪琴を片付けながら言った。「あなたたちの冒険をいつか物語にして語り継げるかもしれないね」


ルーカスは大きくあくびをしながらも、「僕の英雄的な活躍を忘れないでくださいね」と冗談めかして言った。


カーターは彼の肩を優しく叩いた。「もちろん。『勇敢な剣士ルーカスの冒険』として伝えよう」


皆が就寝の準備をしている間、ケンは少し離れた場所でアリスと会話していた。


「アリス、カーターの話した集団失踪について何か思い当たることはある?」


「明確なマッチングはないね」アリスの声は慎重だった。「でも、エルミナ王国とノーブリア帝国の古書に記載されている『異界の門』の伝説と似てるところがあるみたい。これらの伝説では、特定の条件下で『彼方の世界』との通路が開くとされてるんだ」


「僕たちの世界からここに来たようにね」ケンは静かに言った。


「そうだね。ただし、これはあくまで仮説の段階。カーターの話した失踪事件の詳細についてもっと情報が必要だね」


「ケン」ソフィアの声が静かに聞こえた。彼女は毛布を体に巻き、焚き火の近くに座っていた。「まだ起きてるの?」


ケンは彼女の方に歩み寄り、隣に座った。「うん、少し考え事をしていたんだ」


「カーターの話?」ソフィアは鋭く見抜いた。


「そう」ケンは正直に答えた。「集団失踪事件が気になって...」


ソフィアは小さく頷いた。「実は...ドラコニア神聖国の古文書庫には、似たような事例の記録があるの。伝承でも一晩で村全体が消えたという記録が残されているわ」


「何が原因だと考えられているの?」


「様々な説があるけど」ソフィアは少し声を落とした。「一つの説によれば、それは『魔族の呼び声』によるものとされているわ」


「魔族...」ケンはその言葉を噛みしめるように繰り返した。図書館で読んだことがある言葉だった。


「ただの伝説かもしれないけど」ソフィアは続けた。「マナの流れが乱れると、時々不可解な現象が起きるってこともあるの。特に北部のアークランド王国では、ここ数年そういった報告が増えているらしいわ」


「アークランド王国...」ケンは思い出した。「じゃあ、カーターが話していた青い谷も関係あるのかな」


ソフィアは肩をすくめた。「わからないわ。でも、ドラコニア魔法化学院に着いたら、もっと調べることができるかもしれないわね」


ケンの頭の中でアリスの声が静かに響いた。


「ケン、興味深いことに、あなたの世界でも似たような集団失踪の伝説があるわ」アリスの金色の毛が思考の光の粒子でキラキラと輝いた。「例えば、1590年のロアノーク植民地の消失事件。117人の入植者が姿を消し、『CROATOAN』という謎の文字だけが残されたの。そして18世紀のイギリスでは『フェアリー・リング』と呼ばれる現象で村人が消えたという記録もあるのよ」


アリスの耳がピンと立ち、分析モードに入った様子だった。


「特に注目すべきは、古代ケルト文化の『シーによる誘拐』の伝説ね。これは妖精族が人間を異界に連れ去るというもので、被害者は物理的痕跡を残さずに消失するの。カーターの話した状況と驚くほど一致してるわ」


「さらに興味深いのは」アリスの尾が思考に合わせて小さく揺れた。「あなたの時代の量子物理学研究で『並行次元間の自然発生的転移現象』という理論があったでしょう?マナの流れというこの世界独特のエネルギーが、もしかするとそういった次元間の『扉』を開く鍵になっているのかもしれないわね」


アリスは少し耳を傾げ、慎重な口調で付け加えた。「ただし、これらはあくまで伝承や理論の段階よ。科学的な検証を行うには、もっと多くのデータと証拠が必要ね。パターンの類似性は興味深いけれど、因果関係を証明するには実証的な分析が不可欠だわ」


二人は静かに焚き火を見つめた。炎は次第に小さくなり、夜の冷気が忍び寄ってきた。


「もう休みましょう」ソフィアは立ち上がり、自分の寝床へと向かった。「明日は長い一日になるわ」


ケンも自分の寝床に戻り、横になった。頭上には星々が輝き、遠くではエルストの森からの風が木々をさやさやと揺らしていた。明日は森を抜け、リバーデールへと向かう。そして、その先には彼らの本当の目的地、ドラコニア魔法化学院が待っている。


彼は目を閉じながら、今日の温灯蛾の美しさと、カーターの不思議な物語を思い出していた。この世界はまだまだ謎に満ちている。彼らの前に広がる道は、まだ見ぬ冒険と謎に満ちていた。

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