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第三十六話 実戦の魔法

日の出と共に、イザベラの屋敷の裏庭に三人が集まっていた。ソフィアは完璧な身なりで早めに到着し、不安そうに空を見上げている。ルーカスは興奮を隠せない様子で、時折剣の素振りを繰り返していた。ケンはアリスと内部で会話しつつ、静かに待っていた。


「来たな」


低く渋い声が三人の背後から聞こえた。振り返ると、そこには長身の男が立っていた。銀灰色の短髪と鋭い眼光、右眉から頬にかけての一筋の傷が目を引く。彼の着ていた黒い革の上着の下からは、左腕の一部が見える焼け跡が覗いていた。


「グレイソン・ヴォルフだ」男は短く名乗った。「ジョセフの頼みで今日一日、お前たちに少しばかりの知恵を授ける」


「よろしくお願いします!」ルーカスは思わず頭を深く下げた。「僕はルーカス・ブライトウッドです!剣と風の魔法を学んでいます!」


グレイソンは無表情のままルーカスを見た。「声が大きい。戦場では最初に死ぬタイプだな」


ルーカスは一瞬凍りついたが、すぐに背筋を伸ばした。「どうすれば生き残れるか、教えてください」


「質問には答えるが」グレイソンは三人全員を見渡した。「俺の過去や背景を聞くな。必要ない情報だ」


彼の目がソフィアに止まった。ソフィアは一瞬眉をひそめたが、すぐに表情を正した。彼女は口には出さなかったが、「孤狼」の噂は聞いたことがあった。エルミナ王国の秘密部隊の元隊長で、両方の魔法派閥から知識を得た稀有な人物。そして何より、彼の手にかかった者は生きて帰れないという噂。


「さっそく始めよう」グレイソンは庭の端に置かれた木製の的を指した。「お前たちは死にたくないなら、まず一つのことを理解しろ」


彼は三人を鋭く見つめた。「教科書通りの魔法を真面目に使うことは、実戦では死を意味する」


「どういうことですか?」ケンが冷静に尋ねた。


「簡単な話だ」グレイソンは短く答えた。「教科書の魔法には、対抗手段の教科書もある。敵は既に対策を知っている」


彼は脇に置いてあった木の的を取り、庭の中央に設置した。「見せてやろう。ケン、基礎級の『火の矢』を的に向けて放ってみろ」


ケンは頷き、的に向かって集中した。彼の手のひらから赤橙色の炎が現れ、彼が前方に手を押し出すと、炎は矢の形になって飛んだ。火の矢は的の中心に命中し、5センチほどの焦げ跡を残した。


「標準的だな」グレイソンはわずかに頷いた。「今度は俺の番だ」


グレイソンは手を軽く上げた。ケンやルーカスがこれまで見た魔法詠唱とは違い、彼の動きはほとんど察知できないほど小さかった。一瞬の後、彼の指先から細い火の光線が放たれ、的に命中した。火の矢は的に1センチほどの小さな穴を開けた。


「見た目では威力が小さいようだが、この違いが戦闘では命取りになる」グレイソンは説明した。「表面的な火傷ではなく、実際の矢が刺さるのと同等のダメージが入る。相手の鎧や防具を貫通するためには、こういった工夫が必要だ」


「どうやって…?」ルーカスは目を見開いて質問した。


「魔法の形態を変えた。マナの集中度と波動特性を調整しただけだ」グレイソンは淡々と答えた。「もう一つ見せよう」


彼は再び手を動かした。今度は横に薄く圧縮されたような火の刃が的に向かって飛んだ。的に触れると同時に、木の的は水平に真っ二つに切断された。


「同じ基礎魔法『火の矢』だ。しかし形状を水平方向に圧縮して放てば、ナイフで切ったような鋭い切断面を作れる」


三人は言葉を失って見つめていた。これが同じ基礎魔法だとは信じがたかった。


「最後にもう一つ」グレイソンはわずかに笑みを浮かべた。


彼が指先から放った三度目の火の矢は、通常の火の矢よりも白っぽく、周囲に微かな火花が飛び、エネルギーを内包しているように見える。的に命中した瞬間、木の的は強烈な光を放ち、一瞬にして消失した。地面には焦げた円形の跡だけが残っていた。


「これは…」ソフィアが呟いた。「どのような原理で?」


「マナの波動特性を変えた」グレイソンは簡潔に答えた。「詳しく説明する時間はない。重要なのは、同じ基礎魔法でも、使い方次第で全く別物になるということだ」

「なるほど!」ルーカスが突然立ち上がり、目を輝かせた。「それって、同じ『バカ』という言葉でも、言い方や状況によって全然違う意味になるのと同じですよね?」彼は身振り手振りを交えながら続けた。


「例えば、友達に『バーカ』って冗談で言うとき」ルーカスは肩をポンと叩く仕草をした。「それから、本気で怒った時の『バカ!』」今度は眉をひそめ、声を低くした。「あとは、感動して『バカ…』と言うときとか」彼は目を細め、優しい声色で言った。


「全部同じ『バカ』という言葉なのに、全然違う意味になる。魔法も同じように、同じ基礎魔法でも、使い方次第で全く別物になるんですね!」


ソフィアとケンは、真剣な表情で熱弁を振るうルーカスを見つめていた。彼の例えは奇妙ながらも、不思議と理解しやすかった。


彼は三人の前に立ち、厳しい表情で言った。「俺はこれまで多くの場数を踏んできた。『優秀な魔法使い』と呼ばれる者たちが、一様に死んでいくのを何度も見てきた」


風が吹き、庭の木々がざわめいた。その音だけが静寂を破っていた。


「魔法学院で最高の成績を収めた奴らが、最初の実戦で倒れる。なぜだと思う?」


ケンが答えた。「予測可能だからですか」


グレイソンはわずかに頷いた。「その通りだ。教科書通りの魔法は敵に読まれる。実戦で生き残るには、自分だけの魔法を作り出し、敵を翻弄することが重要だ」


彼はルーカスを見た。「お前は風の魔法を剣と組み合わせていると聞いた。それは良い着眼点だ。あまり知られていない魔法は、対策も困難になる」


ルーカスの顔が明るくなった。「ありがとうございます!」


「感謝するのはまだ早い」グレイソンの表情は変わらなかった。「実際に魔法を修正する方法を教える前に、もう一つ言っておきたいことがある」


彼は一歩近づき、声を落とした。「俺の魔法を実際に見て生きている者は少ない。正確に言えば、お前たちが初めてかもしれん」


三人の背筋が凍りついた。それが冗談なのか本気なのか、グレイソンの表情からは読み取れなかった。


「魔法の真髄は秘密にある」彼は続けた。「自分の魔法を知られると対策される。だから、俺は決して人に本当の力を見せない。今日見せるのは、ほんのさわりだけだ」


彼は再び木の的を設置した。「さあ、本題に入ろう。まずはお前たちの魔法を見せてもらおう。そして、それをどう変えれば実戦で役立つか、教えてやる」


その日、三人は魔法の見方が根本から変わる経験をした。グレイソンの指導は厳しく、時に残酷なほど率直だったが、その一つ一つが生存に直結する実践的な知恵だった。


特にルーカスは、風の魔法と剣術を組み合わせる独自の技術について、貴重なアドバイスを受けることができた。


「風の刃を作るなら、形と密度を考えろ」グレイソンはルーカスに言った。「目に見えない風の刃は、敵が防御しづらい。そこが利点だ」


午前中の訓練が終わる頃、三人は疲れ切っていたが、魔法への理解は格段に深まっていた。


「今日教えたことは、命を守るための知識だ」グレイソンは最後にきっぱりと言った。「忘れるな。教科書は基礎を教えてくれるが、生き残る術は教えてくれない」


彼は一瞬、ルーカスを見つめた。「お前には素質がある。その素質を生かすも殺すも、自分次第だ」


「これが…本当の魔法なんだ」ルーカスはつぶやいた。「教科書には載っていない、実戦の魔法…」


「私たちは幸運だったわ」ソフィアは静かに言った。「あの人の知識は、通常は得られないものよ」


ケンはアリスの分析を頭の中で聞きながら、空を見上げた。『彼の技術は驚異的ね』アリスが言った。『基礎魔法の波動構造を微妙に変えることで、全く異なる効果を生み出している。これは私たちの魔法理解にとって革命的な発見よ』


「そうだね」ケンは小声で答えた。「僕たちもこれから、自分たちだけの魔法を作っていかなければ」


そして、彼は三人に背を向け、立ち去ろうとした。


「質問があります」ケンが突然声をかけた。「なぜ私たちにここまで教えてくれるのですか?通常は秘密にしているはずの技術を」


グレイソンは立ち止まり、振り返った。「ジョセフへの借りがあるからだ。それだけだ」


彼はそれ以上何も言わず、庭の中央へと歩き出した。「だが教えることはまだある。攻撃魔法について話そう」彼の声は冷静かつ厳しかった。三人は互いに視線を交わし、次の教えを受ける心構えを固めた。

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