第5話 静かにずれる
放課後、美術室の片隅で心優は筆を洗っていた。
窓の外は、少し曇った赤紫の空に夕日が差していた。
空の色は昨日と同じようで、微妙に違って見える。
昨日まで描いていた絵にふと目をやった時、不思議な違和感を覚えた。
絵の背景は、夕暮れのオレンジ色だったはず。
でも今そこに滲んでいたのは、やわらかなグレーとほんの少しの赤。
「……あれ、こんな色、使ったっけ?」
呟いて、絵の具箱を開く。
――オレンジが、ない。
代わりに、ラベルの剥がれた一本のチューブが入っていた。
心優はためらいながらも、それを少しだけパレットに出してみた。
グレーと赤と、不思議な『音のような何か』が浮かび上がる。
ただの錯覚。
そう思いたくて、心優はそっと目を閉じた。
「あ?なんだこれ」
体育祭のプログラムを作っていた慎太郎は、眉をひそめた。
データは去年の引き継ぎを使っている。自分ではいじっていない。
なのに、元々無かったはずの種目名がひとつ、プリントに混ざっていた。
『×××リレー』
文字が滲んで、はっきりと読み取れない。
「意味わかんねぇ……」
同じファイルを何度見返しても、編集履歴は残っていない。
誰かのいたずら?でも、そんな凝ったことする奴はクラスにいない。
「おかしい……」
そう言いながら、慎太郎はその種目名をマーカーで塗り潰し、改めて印刷し直した。古いプリントは破って、ゴミ箱に捨てた。
でも、放課後。
何気なくゴミ箱を覗いたとき、さっき破ったはずの紙が、綺麗なまま、そこに戻っていた。
美術室から出る前に、心優は描きかけの絵をスマホで撮った。
明日、また色が変わっているかもしれないと思ったから。
翌朝。
スマホの中の写真と実物の絵は、完全に一致していた。
「……なんだろ、やっぱり気のせいだったのかな」
誰にも言えないまま、制服の袖をそっと直す。
ふとクラスの廊下に立ったとき、聞こえた気がした。
『ゴールは記憶の向こう側』
……幻聴だよね。
笑って誤魔化して、足早に教室へ向かった。