王立学園(1)
翌朝、セドリックは公爵家近くの広場に馬車を停め、いつもの静けさとともに立っていた。冬の冷たい空気が頬を撫で、澄み渡る青空からは柔らかな朝日が降り注いでいる。朝日が、雪解け水のように地面を輝かせ、静かなる希望の光を運んでくる中、セドリックはふと自分の胸中を見つめた。
彼の内心には、昨日の公爵家での挨拶の一コマが、心に深く刻まれていた。エレノアは堂々たる佇まいと、揺るぎない気品を保ちつつ、時に厳しい言葉も交えて、公爵家に自らの存在を示した。その姿は、セドリックにとって何よりも誇らしく、また愛おしいものだった。
「お待たせしました、セドリックさん」
エレノアが微笑みながら近づいてくる。その姿はどこか凛とした美しさがあり、セドリックは思わず少し視線を逸らした。
「いや、俺が早く着きすぎただけだ。それより寒くないか?」
とセドリックは軽く咳払いをしながら答えた。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。セドリックさんこそ、薄着ではありませんか?」
「これは慣れてるから平気だよ。さあ、馬車に乗ろう」
二人は待機していた公爵家の馬車に乗り込んだ。エレノアが隣に座ると、セドリックはどこか心が落ち着くのを感じた。昨晩、公爵夫妻との挨拶を無事に終えたことで、これからは堂々とエレノアと一緒にいられる――その事実が何よりも嬉しかった。
馬車の中では、学園に戻ったらどの授業が始まるのか、あるいはキャサリンがどんな風に再登場するのかなど、他愛のない会話が続いた。エレノアの柔らかな笑い声が響くたびに、セドリックの心は温かくなる。
やがて学園に到着し、二人は別々の教室へと向かうことになった。
「それでは、また後で」
エレノアが微笑む。
「……ああ、また後でな」
セドリックは手を振り返しつつ、ほんの少し名残惜しそうに彼女の後ろ姿を見送った。
教室に入ると、セドリックの友人たちが早速声をかけてきた。
「おいセドリック、昨日学園に来てないと思ったら、ついにお前も婚約者ができたんだって?」
「……誰から聞いたんだよ、それ」
セドリックは迷惑そうに眉を顰めたが、その表情には微かに嬉しさが滲んでいる。
「やっぱり本当なんだな!あ!朝一緒に馬車から降りた令嬢が婚約者なんだろ!お前が結婚なんて想像できなかったけど、どんな人なんだよ?」
別の友人が興味津々に尋ねる。
「……知的で、優れた才能を持った人だよ。自分の意見をしっかり持っていて、それを堂々と貫けるところがすごいんだ。あと……そうだな、意外と親しみやすいところもある」
その言葉に友人たちは目を丸くした。
「お前がそこまで言うなんて、相当惚れてるな!」
「いや、そんなつもりじゃ――」
セドリックが言いかけると、別の友人がすかさず口を挟んだ。
「惚気かよ!セドリック、お前もそういう奴になったのか!」
「うるさい」
セドリックはやや強めに言い返したが、頬が微かに赤く染まっているのを隠しきれなかった。それを見た友人たちは大笑いし、さらに茶化し始める。
「おいおい、あの冷静なセドリックがここまで変わるなんて、すげえな!」
「そりゃ婚約者がこんなに魅力的なら、しょうがないか!」
セドリックはため息をつきつつ、少しだけ微笑んだ。彼らにからかわれるのは面倒だったが、どこか悪い気はしなかった。
「…ということは、セドリックもついに『脱・王女待ち』したってことだな」
「脱・王女待ち?」
セドリックが訝しげに聞き返すと、友人は苦笑いを浮かべた。
「ああほら、あわよくば王家と縁続きになろうと、高位貴族の令嬢令息たちは婚約者を保留にし続けてただろ?でももう今は最終学年、卒業もすぐそこに近づいている。王女と思しき例の令嬢も、どんな令息にアプローチされてもとりつく島もない。だから、最近は高位貴族といえど、皆婚活をして相手探ししてるんだ。めでたく相手が決まった令嬢令息を揶揄、および祝して「脱・王女、王子待ち」って言ってるんだ」
なるほど、最近学園が妙に色めきだっていたのは、そう言うことだったのか。とセドリックは感心する。
「セドリックはいいよなあ。俺なんて、両親が毎日うるさいんだよ。『そろそろ相手を見つけろ』だの、『あのノエル嬢に近づいてみたらどうだ』だのさ」
友人が苦々しく続ける。
「俺も嫌いじゃないんだけどな、あんな高嶺の花、どうしろってんだよ。俺は普通に暮らしたいだけなんだが」
「まあ、お前の気持ちはわかるよ」
セドリックは苦笑しながら頷いた。かつて同じように両親から婚約の話を急かされていた自分を思い出し、彼の苦労に共感したのだ。
「お前も大変だろうけど、焦らなくていいんじゃないか?」
とセドリックが言うと、友人は肩をすくめてため息をついた。
「お前がそれを言うなよ。もう素敵な婚約者がいるんだからな」
セドリックは言葉を返さなかったが、心の中でエレノアの笑顔を思い浮かべていた。その表情は、どこか穏やかで幸福そうだった。