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王宮研究棟にて(4)

 ヴァニエルが去ったホールには、重たい沈黙だけが残された。わずかに聞こえるエレノアの静かな吐息が、張り詰めた空気を切り裂くようだった。セドリックは迷いに迷った末、足を一歩踏み出した。


「……エレノアさん、大丈夫ですか?」


 声をかけた瞬間、エレノアの肩が小さく震えた。振り返った彼女の表情は、先ほどまでの毅然とした態度が嘘のように、どこか疲れ切ったものだった。それでも、彼女は口元に微かな笑みを浮かべてみせる。


「あら、セドリックさん。まさか、ずっと聞いていらしたの?」


 その言葉にはからかうような調子が含まれていたが、どこか痛々しさも混じっていた。その表情に、セドリックは胸が締めつけられるような感覚を覚える。


「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんです。ただ、お礼を伝えたくて追いかけてきたら……たまたま、聞いてしまって…」


 彼の言葉に、エレノアは少しだけ目を細めた。その瞳には疲労と、どこか遠いところを見るような虚無感が宿っている。


「気にしないでくださいな。これくらいのこと、慣れていますから」


 「慣れている」――その一言が、セドリックの心をさらに揺さぶった。こんなにも冷酷で醜い仕打ちを「慣れた」と言うしかないほど、彼女は追い詰められてきたのだろうか。


「……エレノアさん、どうしてそこまで耐えられるんですか?」


 セドリックの思わずこぼれた問いかけに、エレノアはふっと笑った。その笑みには、どこか達観したような寂しさがあった。


「耐える、ですって? 違いますわ。ただ見切りをつけただけのことです」


「見切り……?」


 エレノアはヴァニエルが去った方向をちらりと見やると、静かに言葉を続けた。


「彼はもう、私にとって必要な人ではありません。それだけの話ですわ。最初から期待などしていなければ、失望することもありませんもの」


 その言葉は静かで、余計な感情を込めない分、どこか冷たさすら感じさせた。だが、その背後に潜む彼女の本当の気持ちを、セドリックは感じ取っていた。


「……それでも、悔しいですよね」


 エレノアの瞳が一瞬だけ揺れた。その反応を見て、セドリックはさらに続けた。


「誰だって、こんなひどい扱いを受けたら怒るし、悲しむ。だから……無理に平気な顔をしなくていいんです」


 彼女はしばらくの間、セドリックを見つめていた。その視線には、彼の真っ直ぐな言葉に動揺している様子が窺えた。やがて彼女は小さくため息をつき、力なく笑みを浮かべた。


「あなたって、意外とお優しいのですね。でも、そうやって優しい言葉をかけられるほうが、時に傷つくものですよ」


 エレノアの言葉に、セドリックは返す言葉を失った。彼女が感じている痛みを、自分には癒せないという無力感。だが、同時に彼女のそんな姿に、目を離せなくなる自分がいることにも気づいていた。


 一方でエレノアは、再び小さく息を吐くと、わずかに微笑みを浮かべて言った。


「でも、ご心配には感謝いたしますわ。お礼を言うなら、今ここで聞かせてくださる?」


 セドリックは思わず肩を落とし、少しだけ笑った。


「そうですね……お礼を言いたかったのは本当なんです。さっきの魔道具の解析、エレノアさんのおかげで本当に助かりました」


 エレノアはその言葉に、少しだけ口元を緩めた。


「それは何よりですわ」


 エレノアの微笑みを目にしながら、セドリックは胸の中で一つの決意を固めていた。この人を見過ごすわけにはいかない。彼女の笑顔の裏にある痛みや誇り、そしてその本質にもっと近づきたい、と。


 大きく息を吸い、セドリックは静かに口を開いた。


「エレノアさん、突然の話で驚かれるかもしれませんが……俺と婚約していただけませんか?」


 その言葉に、エレノアは目を大きく見開いた。一瞬だけ驚きの表情を見せたものの、すぐに静かな微笑みに戻り、首を傾げる。


「……セドリックさん、それは何かの冗談ですの?それとも、私を慰めるつもり?」


 彼女の声にはどこか冷静な棘があったが、それ以上に、傷つきを隠そうとする響きがあった。


「冗談でも慰めでもありません。ただ、俺の本心です」


 セドリックは真摯な目で彼女を見つめ続けた。だが、エレノアは苦笑いを浮かべて首を振る。


「同情だけで手を差し伸べるのはおやめになってください。同情なんて、私にとって何の価値もありませんから」


 その言葉に、セドリックは静かにうなずき、さらに言葉を紡いだ。


「同情が全くないなんて言えば、それは嘘になります。でも、それだけじゃない。俺は、エレノアさんをもっと知りたいんです」


 エレノアはその言葉に眉を動かすも、無言で次の言葉を待つ。セドリックは彼女の反応を見て、さらに説得を続けた。


「あなたの知性や気高さに惹かれました。先ほどの魔道具の解析もそうです。俺が長い間試行錯誤しても解けなかった問題を、エレノアさんはほんの短い時間で見抜き、解決してみせた。魔道具オタクの俺が言うのもなんだけど、あれは本当にすごい。だけどそれだけじゃなくて……」


 セドリックは少し間を置き、彼女の目をしっかりと見据える。


「ヴァニエルとの話を聞いていて思いました。俺なら、あなたをそんなふうに扱うなんて絶対にできない。あなたがどういう人生を歩んできたのかはまだ知らないけれど、それでも、あなたの誇りと品格をこれ以上傷つけさせたくないんです」


 その真剣な言葉に、エレノアは静かに目を伏せ、しばらくの間黙り込んだ。そして、深く息を吐いて顔を上げる。


「……セドリックさん、あなたがそんなに熱心な方だなんて思いませんでしたわ」


「それじゃ……」


「でもね、それで私が『はい、喜んで』と答えるほど単純な女だと思われても困りますの」


 エレノアはセドリックの熱意を真っ直ぐに受け止めながらも、目を細める。その視線には、どこか試すような鋭さが宿っていた。


「セドリックさん。人の心というのは案外、目に見えるものではありませんわよ」


 彼女の言葉は穏やかだったが、その中には自嘲と警戒が織り交ざっている。

 セドリックはその言葉に一瞬戸惑いながらも、まっすぐ彼女の目を見つめた。


「……そうかもしれません。でも、それでも俺は、自分が嘘をついているなんて思ったことは一度もないんです」


「ふふっ、そうおっしゃいますけど、人は往々にして、自分の気持ちを勘違いすることもありますのよ」


 エレノアはふっと微笑む。その笑顔はどこか遠いものを見ているようで、セドリックの胸を締め付けた。


「だから、もう一度聞かせてくださいな。私のどこがそんなに魅力的だと?」


 セドリックは一瞬言葉を探し、やがて少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。


「俺にとって、エレノアさんは……どんな時も自分を見失わない人に見えるんです。ついさっき出会ったばかりだけど、俺にはわかる。さっきヴァニエルがどれだけひどい言葉を投げかけたとしても、あなたは最後まで誇りを貫いた。その気高さに、俺は惹かれたんです」


 その言葉に、エレノアの表情が僅かに揺らぐ。けれど彼女は、すぐにその揺れを消し去り、静かに微笑んだ。


「……セドリックさん、あなたはずいぶんと不器用な方なのですね」


「え?」


「普通、女性に求婚するなら、もう少しロマンチックな言葉を選びませんこと?」


 その言葉には、先ほどまでの冷たさはない。彼女の言葉にはほんの少し皮肉が混じっていたが、どこか嬉しそうでもあった。セドリックはそれを受け止めながら、さらに一歩踏み込む。


「俺は、冗談や嘘をいうのは苦手です。でも、上辺の言葉だけで済ませるような人間でもありません。エレノアさんを知りたい。支えたい。これまで出会った誰とも違う、あなたという人を、もっと深く知りたいんです」


 エレノアは少しだけ目を伏せ、静かに息を吐いた。そして、再び顔を上げると、わずかに肩をすくめて軽やかに笑った。


「そこまで言われてしまったら…仕方ありませんね。……伯爵令息に手ひどく振られた同じ日に、まさか皆の憧れの次期公爵様に求婚されるなんてね」


 エレノアはおかしそうに笑う。


「でも、それはそれで運命なのかもしれません。…私は、私の直感と心を信じることにしますわ。…だから…これからどうぞ、よろしくお願いしますね、新しい婚約者さん」


 その一言を聞いた瞬間、セドリックの胸の中は歓喜で爆発しそうになった。しかし、それを悟られないように、彼は努めて冷静を装いながら、静かにうなずいた。


「ありがとうございます。すぐにでも正式に婚約の準備を進めさせてください」


エレノアは驚きつつも、どこか呆れたように微笑む。


「急ぎすぎですわ。でも……あなたらしいですわね」


 こうして、まるで運命のように、二人の関係が新たな一歩を踏み出したのだった。


そんな急な婚約、受けちゃだめだよエレノアちゃん…って思いますが、一目惚れの勢いでプロポーズしたセドリックとは違い、エレノアはきちんとセドリックの前評判を学園で聞いています。

ちょっと自棄になっていることは否めませんが、一応、誰でもいいわけじゃなかった…はず。

でも、ヴァニエルと一時期でも付き合っちゃった時点で、意外と男を見る目は無いのかも?

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