王宮研究棟にて(2)
「……君は?」
セドリックの口を衝いて出た質問に、少女は一歩下がって礼をした。
「エレノア・ハモンド、と申します」
名前に聞き覚えがあった。学園の中で何度か耳にしたことがある。確か、魔術の成績がかなり優秀だと評判の女子生徒だったはずだ。しかし、セドリックは彼女と直接言葉を交わした記憶はない。
学園には「身分を問わず、学びの場では皆平等であるべきだ」という建前があるため、生徒たちはお互いに身分を公にすることはなかった。だが、あくまでもそれは建前であり、「平等」を謳いつつも実際は「身分の低いものが用もなく高位貴族に話してはならない」など、暗黙の了解も存在している。学園とはいえ、腐っても小さな社交場なのだ。
故に、実際には貴族令息や令嬢の間では、幼少期からの付き合いや社交の場を通じて、お互いの家柄をある程度把握しているのが現実だ。
セドリックが彼女の身分を知らないということは、エレノアはおそらく平民だろう。学園においても、平民出身の特待生はまれに存在しており、彼女はその一人だと考えるのが自然だった。
「君がどうしてここに?」
セドリックは警戒心を隠さずに問いかけた。王宮の研究室は、許可された者以外が自由に出入りできる場所ではない。
「待ち合わせをしておりまして…。少し早めに着いてしまったので、こちらに立ち寄らせていただきました。どうやら、お邪魔してしまったようですね」
エレノアは柔らかな微笑みを浮かべながら答えた。
彼女の態度には物腰の柔らかさがありながらも、どこか芯の強さを感じさせるものがあった。セドリックはそれを、どことなく心地よく感じた。声色も、いつもセドリックに寄ってたかる令嬢たちのあまったるいそれとは違い、凛々しく、好ましかった。
「それで、熱変換の部分をお悩みだとお見受けしましたが……よろしければ拝見しても?」
セドリックは一瞬戸惑ったものの、今の自分が問題を抱えているのは事実だ。それに、このまま行き詰まっているくらいなら、彼女の意見を聞いてみるのも悪くないかもしれない。
「……まあ、見てみるといい」
彼が魔道具の問題箇所を示すと、エレノアは真剣な表情で図面に目を通し始めた。時折頷きながら、細かい部分まで確認している様子は、ただの学生とは思えないほど手際が良い。セドリックはそんな彼女の軽やかな手さばきに見惚れていた。
「……ここですね。変換式の出力部分で、エネルギーが分散しすぎています。これでは、制御が追いつかないでしょう」
彼女はそう言うと、自分の持っていたノートを取り出し、さらさらとペンを走らせた。そこには新たな魔法式の案が記されており、それはセドリックが見落としていた視点を補うようなものだった。
「……これを試してみるというのか?」
「はい。ただ、少しリスクがあるかもしれませんが……」
エレノアの瞳は真剣だった。
「リスク…ね……。これ、試して見てもし間違っていたら、この魔道具が使い物にならなくなるってことだよね?」
セドリックは試すことへのためらいを隠さずに言った。公爵家の力を使えば、新しい魔道具など手に入るだろうが、今回の魔道具は人気商品。手に入れるのには少々骨が折れる。
「わかっています。でも、どうしても行き詰まっているのなら、試してみる価値はあると思います」
その言葉に、セドリックは一瞬言葉を失った。彼女の自信と覚悟が伝わってくる。
「……君、なかなか面白いな」
思わずそう呟いたセドリックに、エレノアは控えめに微笑んだ。
「面白いかどうかはわかりませんが…ここは、私を信じてください。きっと貴方の満足いく結果を提供できるでしょう」
そう言い残すと、エレノアは軽く一礼して研究室を後にした。
残されたセドリックは、机の上に置かれた彼女のノートを見つめながら、深く息を吐いた。彼女の筆跡は美しく、文章も分かりやすく書かれていた。書いた文字から人格が見える、などという人がいるが…もしそうであるのなら、彼女はよほどしっかりした、芯のある美しい女性なんだろうな、と考えながら書かれた文字をなぞる。
「私を信じて…か」
セドリックは机の上に広げた魔道具の解析図を見つめながら、エレノアの指摘通りに改良を施していった。彼女が教えてくれた「熱変換の最適化」についての案を慎重に組み込み、魔法陣を再構築する。その間、頭の中で何度も試行錯誤を繰り返したが、全ての作業は驚くほどスムーズに進んだ。
「これで……よし」
深く息をつき、緊張で乾いた手を軽く振る。最後の確認を終え、セドリックは魔力を魔道具へと送り込んだ。すると、今まで頑なに作動しなかった部分が、驚くほど滑らかに動き始めた。
「す、すごい……」
信じられない思いで魔道具を眺める。エネルギー効率も以前の数倍に改善されており、設計者の意図そのものが正確に再現されているかのようだった。セドリックは思わず目を見張った。
「こんなの、俺でも思いつかなかったぞ……。まるで魔道具の制作者にしかわからないような視点だ」
魔道具に心酔し、これまで無数の失敗を重ねてきた自分ですら見落としていた解決策。それをエレノアはほんの短い時間で見抜き、完璧な助言を与えてくれたのだ。彼女の天才的な知識に感心しつつ、セドリックは羨望とともにほんの少しの嫉妬を感じずにはいられなかった。
「……感謝を伝えなくては」
セドリックは立ち上がり、エレノアが去っていった方向へ向かう。心なしか、どんどんと早足になり、心臓がドキドキする。彼の胸の中に湧き上がるのは、ただの好奇心や義務感ではない。何とも言えない高揚感と、新たに芽生えた期待。その気持ちが、セドリックの足取りを加速させた。
連載開始しました。読んでいただいた方、本当にありがとうございます!
コメント、ブクマ、★評価、大変励みになります!