王宮研究棟にて(1)
セドリック・ハウフォードは、2つの悩みを抱えていた。
一つは目の前の魔法道具――古代の文字で刻まれた魔術式をどう解読するか。
二つ目の問題は――結婚相手をどうするか、という問題だ。
朝陽が柔らかく差し込む王宮の研究棟ーー学生研究用スペースの一角。無数の魔道具と書物が無造作に積まれた机の上に、一人の青年が目を凝らしていた。黒髪に金色の瞳がよく映える整った顔立ち。彼はセドリック・ハウフォード公爵令息、次期公爵という肩書きを持つ青年だ。
「……これで駄目なら、次はどの術式を試すべきだ?」
低く響く声に、部屋には彼の独り言だけがこだましている。目の前には分解された魔道具。
この魔道具は先日、市井で突如として売り出された品で、これを家に置くと、部屋を温めたり冷やしてくれたりできるらしい。飛ぶように売れるその魔道具を、公爵家のツテを使いなんとか手に入れ、一端の魔道具研究オタクとして、機構を地道に解析しているのが今である。どのような仕組みで動くのか、まるで解けない謎にセドリックは頭を悩ませていた。
このような「便利な」魔道具は最近突如として市井で売り出されている。
しかも、利益を貴族だけに享受させるのではなく、一般市民にも手を出しやすい価格帯や売り方で売られており、魔道具の流通と共に国民の生活も豊かになっている。
商品に記された双剣のロゴマークも、王家の紋章と似ている部分が多くあり、噂では、王家の誰かが手がけているプロジェクトなのではないかと言われている。その為なのか、今や、王族の国民からの人気は鰻登りだ。
元々貴族からの人望も厚かった王家だったが、この国民人気も相まって、更に人気を高めることになった。貴族の間では、どの派閥がいち早く王家にとり入り、縁続きとなれるか、水面下で熾烈な婚活競争が行われている。
「……結婚、か」
ふと漏れた呟きに、自分で苦笑する。重たい溜息をつくと、ペンを手に取り、無造作に回し始めた。
この学園では、貴族の子息や令嬢たちは初等学年のうちに「婚約者探し」を終えるのが通例となっている。高学年および卒業後はそれぞれの家を継ぐ準備が始まるため、早めに婚約者を決めておくのが通例だ。だが、今年はセドリックを含め、いくつもの名門貴族の家はその流れに乗っていない。
その理由は――王家の存在だった。
16年前、王宮で王族の子供が生まれたという知らせが公にされた。性別や名前などは一切伏せられたものの、王族は例外なく王立学園に入学するという慣例がある。ゆえに、有力な貴族たちは「もしも学園に通う王族と親密な関係を築ければ」と考え、自らの子息や令嬢の婚約を保留にしてきた。
セドリックが生まれたハウフォード公爵家も、その例に漏れず、いわゆる「王女(または王子)待ち」の状態を続けてきた。
最近では、透き通るようなプラチナブロンドに美しいサファイア色の瞳を持つノエル・ウィンチェスターという令嬢が「王女ではないか」と噂されている。彼女は学園の中でもひときわ高貴な雰囲気を持ち、勉学に熱心なことで知られていた。特に「魔法研究に打ち込む姿」がしばしば話題に上る。
「もし、彼女が本当に王女だとしたら……?」
そう考えたところで、セドリックは首を振る。
セドリックの家も他の貴族と同じように「王女待ち」の状態を続けてきた。そして、つい最近になって、両親からもノエルへのアプローチを促す声が強くなっている。
「ノエル嬢は、きっとあなたのような才ある青年に興味を持つわ」
「ハウフォード家の未来のためにも、この機会を逃してはならん」
親たちの言葉を思い出し、セドリックは苦笑する。アプローチしろとは言うが、そもそも彼はノエル嬢とまともに話したことすらない。結局、これまで両親の意向を無視してきた彼だが、卒業まで半年を切った今、無視し続けるのも難しくなってきている。
もっとも、セドリック自身には婚約相手を見つける気などさらさらない。周囲にいる令嬢たちは、みな彼の次期公爵としての地位と容姿を目当てに寄ってくるばかり。そんな打算的な姿勢に、心を動かされることなど一度もなかった。
「興味本位で近づくのは、どうにも性に合わないんだよな」
セドリックは眉間に皺を寄せながら、手元の魔道具に目を戻した。これまで多くの令息がノエルに近づこうとして失敗したという話を耳にしている。学園の中では彼女に好意を抱く者も多いが、ノエル自身はそのすべてを淡々と躱しているという。
セドリック自身は、「王女かもしれない令嬢」に特別な興味を抱くこともなく、ただ静観していた。周囲のざわめきに流されることなく、彼が向き合ってきたのは、目の前の魔道具や魔法理論の研究ばかりだ。
「……だが、卒業まで半年しかないとなると、さすがに悠長にもしていられないか」
セドリックは深く息を吐いた。自分に寄ってくる令嬢たちの甘ったるい声や馴れ馴れしい態度を思い出す。その計算高い態度と見え見えの下心に、彼が心を動かされることは一度もなかった。
とはいえ、婚約を決めなければならない時期が近づいているのもまた事実だ。このまま研究に没頭していれば、両親からの説得や命令は避けられないだろう。
「全く、どうしてこんな面倒事ばかり押し付けられるんだ……」
愚痴をこぼしながらも、セドリックは机に積まれた魔道書に手を伸ばした。今は婚約のことなど考えず、目の前の解析に集中する方がずっと建設的だ――そう思いながら、ただ目の前の魔道具に集中し、手を動かし続けた。
王宮の研究室にこもって数時間が経過していた。セドリック・ハウフォードは魔道具の解析に集中していたものの、どうしても解けない部分に差し掛かっていた。
「熱変換の魔法式……これが肝だというのに」
広げた古代式の魔法書をにらみつけながら、セドリックは低くつぶやく。机に並べられた魔道具は、すでに何度も分解と再構築を繰り返された痕跡が残っている。それでも問題の箇所だけは何度修正を加えても、うまく動作しないままだった。
額を押さえながら、セドリックは深いため息をついた。そのとき、不意に背後から声がかかった。
「熱変換の部分でお困りですか?」
驚いて振り返ると、そこには琥珀色の瞳をした少女が立っていた。目に入るのは、柔らかなブルネットの髪をきちんとまとめた清楚な姿。そしてその瞳は、ただの好奇心だけではなく、理知的な意志を秘めているようだった。
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