呼子鳥の花嫁
猫の肉球ぷっにぷに
「はぁ、はぁ、良かったわ大介」
「ああ、愛してるよ聡美」
私は大介と口付けを交わす。
もう20年近くの関係になるが、身体の相性は変わらずとても良い。
事後、ベッドの中でまったりしながら少し世間話をする。
「真奈がね、結婚したい人が居るんですって」
「ははは、可愛いじゃないか」
大介が笑う。
その瞳には複雑だが慈愛の色が浮かんでいる。
彼は真奈の事をどう思っているのだろう。
いつかは名乗り出るつもりがあるのだろうか?
「真奈も、もう15歳か」
「ええ、凛ちゃんも同い年よね?」
「ああ、最近はネットで知り合った友達と仲が良いらしい」
大介の顔が男から父親の顔になる。
それは私のモノではないので、少し胸がズキンと痛む。
「ネットって、大丈夫なの?出会い系とか?」
若い娘を狙って悪い男がネットを利用するのはよく聞く話だ。
「ああ、心配した栞が付き添いで会いに行ったら、普通に同い年の女の子だったそうだよ。名前はハンドルネームって言うのか?お互い本名も名乗らずに遊ぶらしい。ちょっともうおじさんにはつい行けないよ」
そう言って彼は自虐的に笑うが、ジム通いしている大介の身体は同年代の男達と比べて引き締まっていて魅力的だ。
栞さんが羨ましい。
大介の妻である栞さんは私より若く、ふんわりした雰囲気の育ちの良さそうな人だ。
良家のお嬢様とはまさに栞さんみたいな人を言うのだろう。
「あいつら明日、女2人で旅行に行くらしい。まったく、男2人は寂しく留守番さ」
「あらあら」
「長男は料理も家事もしないからな、嫁が留守の時は俺の仕事だ」
「頑張ってパパ」
「まぁアイツも子供じゃないからな。別につきっきりじゃなくっても平気さ。気ままに友達と外泊もよくする。まったく誰に似たんだか」
「明らかにあなたでしょ?学生時代のプレイボーイさん?」
「こりゃ耳が痛いね」
2人で苦笑してしまう。
私達2人、恋多き男、恋多き女として異性にはモテたが同性には嫌われたものだ。
2人でひとしきり笑った後、なんとも言えない空気が流れる。
「もう帰るわ、夫が怪しむ」
私は先にホテルを出る事にする。
「バレてるの?」
大介の顔が一瞬険しくなる。
私は心配無いと首を横に振って伝える。
「いいえ。私にも娘にも優しいわ」
「なら良いんだけど」
「だけど真奈がね。段々あの子、あなたにも似てきてる」
「そうか」
大介にも家族が居る。
今更別れて一緒になるのは無理だ。
「じゃまた明日ね」
「ああ、また明日」
私達はキスをして別れる。
明日はたまたま、お互いの家族がそれぞれ旅行に行ってしまうのだ。
私達も久しぶりに外泊出来る。
温泉なんか良いだろう。
2人でドライブしながら観光地を見て回ろう。
「重い。こんなに要らなかったかしら?」
私は急に入った仕事の出張という名目で出かける事になるため、擬装のための仕事道具を家に持ち帰っている。
必要の無い資料やノーパソを持ち歩くのは酷く億劫だ。
ようやく我が家へ帰宅する。
「ただいま・・・あら?」
出迎えは無かった。
しかし寝るにはさすがにまだ早いだろう。
脱衣所に行くと娘の衣服や下着が洗濯籠に入っていた。
風呂に居るのは娘か。
夫は何処だろう?
「ねえ、お母さん明日は出張入っちゃって…」
私は何気なく風呂場の扉を開き―――
「あっ!あなたたちっ!何してるのっ!?」
驚愕で腰が抜けそうになった。
なんと、広めの浴槽に夫と娘が一緒になって入っていたのだ。
しかも、その姿勢だ。
夫の伸彦と娘の真奈が向かい合って浴槽に浸かっている。
「あ、お母さん」
「おかえりー」
まるで男女の交わりでもしている様な格好で、2人は呑気に自分に話しかけて来る。
「早くっ!早く出なさいっ!」
私が吐き気と怖気で全身の毛が逆立つのを感じる。
胃の中の物が逆流しそうだ。
男親と娘が一緒に風呂に入るには、真奈は成長し過ぎている。
来年からは高校生なのだ。
「何よ〜私達、近所でも有名な仲良し親子なんだから、ね〜〜〜〜」
「ね〜〜〜〜」
最後のね〜〜〜をハモらせる伸彦と真奈に苛立ちが募る。
「いいからっ、すぐに出なさいっ!」
私の声は裏返り最早絶叫に近い。
伸彦の見た目は段々と劣化してきている。
弛んだ腹に、薄くなってきた頭髪。
それに最近は枯れ始めたのか、夫に抱かれた記憶がここ数年無い。
レスと言うやつだ。
私が仕事の疲れを理由に拒否する様になって、向こうからも誘ってこなくなり、性欲が減衰したのだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし、まさか。
いや、この娘に関してまさか、そんな。
「どうしよう、なんてこと」
2人が着替えて出てくるのをリビングで待つ。
もしもの場合は両親も義両親も呼ばないといけなくなるかも。
母として、娘を守らなければ。
「明日の旅行も中止させなきゃ」
勿論大介との出張も中止。
それどころではない。
明日は伸彦と真奈が2人っきりで泊まりの小旅行をする予定だった。
私はあまり良さが解らないが、日本で1番有名な夢の国へ遊びに行くのだ。
私は人混みが苦手だし、ジェットコースターやパレードにも興味が無いのでいつも遠慮していた。
日帰りでよく2人で出かけていたので、その延長だろうと特に疑問は浮かばなかった。
私も2人が夢の国へ行く度に大介とデートが出来ていたので、今回もそれに便乗する様な形で温泉旅行を企画した。
その予定が全部狂う事にも怒りが湧いて来る。
着替えた夫と娘がリビングに現れた。
「2人とも、話があります」
私が睨みつけると、伸彦はニコニコと笑いながらある名前を出してきた。
「大介のヤツ、元気にしてるかなぁ?ああ覚えてる?高校の時のアイツだよ。懐かしいよね」
突然大介の名前が出て来て、私は激しく動揺してしまう。
浮気、托卵してたのを知ってるの?
と思わず問いかけそうになる。
私が何も言えず黙ってしまうも、伸彦はニコニコと笑ったままだ。
結婚前からずっと変わらない、私へ向ける優しい笑み。
「すまないが明日早いんだ。もう休むね」
夫はそう言って2階へと上がって行ってしまった。
私は呼び止める事も出来ず、呆然とその背中を見送る事しか出来ない。
「お母ぁぁさん」
変に間延びした呼び方にギクリとなる。
「ま、真奈っ!?あのね、聞きなさい。もうお父さんと一緒にお風呂に入っちゃダメっ!」
真奈がくすくすと笑っている。
私に似てきた。
大介にも面影が似ているが、本当に私に似ている。
学生時代の私。
異性にモテ、調子に乗って何又もかけて顰蹙を買い女から嫌われていたあの頃の私。
それすらもブス共の僻みだと嘲笑っていたあの頃の私に、そっくりだった。
「お母さん、私を産んでくれてありがとう。お母さんが産んでくれたから私、お父さんと出会えたの」
その言葉に嘘は無い様だった。
真奈からは心の底からの感謝を感じる。
だが言葉の内容に引っかかる。
「お母さんがあの人と会ってる時、私も嬉しかったのよ?」
あの人?誰の事だろう?いや、決まっている―――
「な、何を、言って―――」
真奈がニッコリと笑う。
「出張って嘘吐いて行く温泉旅行は楽しかった?明日も同じ温泉?あんまり遠くに行けないもんね」
ギクリとした。
(ど、何処まで知ってるのっ!?)
伸彦は?やはり伸彦はこの事を知ってるの?
「お母さんとあの人がお出かけしてる時、私はお父さんと2人っきりだったのよ?」
頭がくらくらした。
それは、つまり―――
「私の事、お父さんはたっくさん愛してくれてるよ?」
真奈は服の上から、まだ未熟だが育ってきた胸をゆっくりと右手で撫でる。
左手は下腹部を愛しげに撫でる。
真奈の左手薬指には指輪があった。
あんなもの、してたっけ?
「うふふ」
娘が違う生き物に見えた。
「り、離婚するわっ!伸彦と、あなたを一緒には出来ないっ!」
真奈はきょとんとした顔をする。
「え?そうしたら私はお父さんについて行くよ?」
「なっ!?」
私はその言葉に衝撃を受ける。
「それに離婚してどうするの?あの人にもご家族が居るでしょ?上の息子さんは今度の春から大学生だし、下の娘さんはお受験だっけ?ああ〜お金たくさんかかるわね〜」
そう、彼の娘は志望校合格に向けて一生懸命頑張っている今が大事な時。
娘は日頃の模範的な態度と完璧な成績、私譲りの人誑しな性格も駆使してあっさりと推薦枠で高校受験はクリアしてしまっている。
「だいたい、お母さん貯金とかしてる?また新作バッグ買ってたでしょ?住む所もどうするの?私だって次から私立だよ?大学にも行きたいし。お父さんの経済力は必須だよー?」
「それなら、伸彦から、養育費と慰謝料を―――」
私がうろ覚えの知識で抗う。
そんな私を言って聞かせる様な口調で窘めて来る娘。
「あのね?慰謝料は有責の方が払うの。お父さん、何か悪い事した?」
「あ―――」
悪いのは、私だ。
托卵して産んだ娘をここまで育てさせた。
そして未だに大介と切れていない。
ダブル不倫が発覚すれば、大介の嫁からも慰謝料請求が来る。
とてもじゃないが、私1人で娘を育てられない。
「あと養育実績だっけ?家事や料理は私とお父さんで出来てるし。お母さん別に要らないんだよね」
特になんでもなさそうな風に私を残酷に切り捨てる娘。
「じゃお母さん、おやすみなさい」
そう言って真奈はトントンと軽快に階段を登って行く。
そしてバタンと扉の締まる音。
夫とはもうずっと寝室は別だった。
今、真奈が入って行ったのは真奈の部屋のはず。
2階から、夫の部屋からギシギシとベッドが軋む様な音が聴こえて来る気がする。
「幻聴よ、幻聴」
そう言い聞かせて私は、2階からする音の正体も、娘が部屋で1人で寝ているかどうかすら、確かめられずにいた。
「あの人に知らせなきゃ」
私はスマホの電話帳を開いて、そこで固まる。
「なんて、言えばいい?」
私達の関係がバレていた?
あなたの血を引く娘が夫の女になっていた?
「うううー」
私は唸り声を上げてリビングの床にへたり込む。
駄目だ。
なんて言えば良いかわからない。
積み上げて来た人生が音を立てて崩れていくのを、私はその時確かに耳にした。
「…うっ」
気づくとリビングに朝日が差し込んで来ていた。
リビングでへたり込んでいるうちに眠ってしまっていたらしい。
「じゃぁお母さん、留守番よろしくね」
ふと気づくと、出かける準備を完了した娘が玄関側の扉の向こうから覗き込んで来ていた。
「あっ!?ま、待って、待ちなさいっ」
止めなければ。
父親と娘がそんな、許される訳が無い。
「どうしたの?凄い顔してるよ」
くすくすと真奈が笑う。
女の顔で笑っている。
表から車がアイドリングしてる音がする。
夫はもう準備が出来ているらしい。
「あ、あなた、好きな人って―――」
私の口から飛び出て来たのは、そんな脈絡の無い言葉だった。
確か最近クラスメイトから告白されたとか言っていた。
その男の子の事じゃなかったのか。
「えー昔から言ってるじゃん?将来お父さんと結婚するって」
真奈が可愛らしく唇を尖らせる。
「だから、血の繋がったお父さんとは結婚出来ないって知って、ショックで大泣きしたなぁ」
しみじみと語る仕草がわざとらしい。
私はそこに食いつく。
もう浮気がバレてるのは構わない。
だが2人の関係だけはなんとしても引き裂かないと。
「戸籍、そうよ戸籍よっ!戸籍上親子なんだからっ!結婚なんか出来っこないわっ!」
だが、真奈の笑顔は変わらない。
「で?」
「え?」
私が言葉に詰まる。
「それは後の話ね?本当に結婚する時になったら、お母さんとあの人の事、ちゃんと皆に知って貰うから大丈夫」
急に切り返される言葉の刃に、私の背筋を冷や汗が伝う。
「や、やめて、あの人にも、家庭が―――」
くすくすくすくすと真奈が笑う。
気持ち悪い。
得体が知れない。
罵られたり怒りをぶつけられた方が余程マシだった。
「するとね、お父さんとは晴れて赤の他人になれるのっ!あははっ!だからねっ!」
娘が面白くって仕方無いと言った具合にゲラゲラと笑っている。
「お母さんとあの人の事が知れて、本当に良かった」
そこで突然テンションが下がる。
駄目だ。
もうこの娘の事が何も解らない。
「でも逆に、お父さんはその事知った時、ショックで死んじゃいそうだったの」
細められた瞳には、大好きなお父さんを傷つけた私への、深い深い憎しみがある。
私が彼氏を寝取ってやった親友とかがよくしていた、見慣れた瞳。
「うふふ、泣いてるお父さんが可愛くって愛しくって、いっぱい慰めてあげたの。例え血が繋がらなくても、私はお父さんの事大好きで愛してるって」
くすくすと目の前の女が笑う。
私の娘の顔をした、得体の知れない生き物がそこに居た。
言いたい事だけ言ってスッキリしたのか、娘が踵を返してリビングを出て行く。
「い、行かないで。待って、話を―――」
私が玄関になんとか辿り着くと、そこには夫と、その手を握る娘が居た。
2人ともお互いを見つめ合って微笑んでいる。
その姿を見て、私は何も言えなくなる。
「聡美、それじゃ留守番よろしくな。ああでも、出張に行きたかったら、いつでも行っていいぞ?」
伸彦の優しい笑顔を見て、私は口をパクパクと阿呆みたいに開くのみだ。
「お父さんとは今夜一緒の部屋に泊まるの。だって親子だもん。何もおかしい事無いよね?じゃ、行って来まーす」
そう言って2人は出て行った。
しばらく呆然としていた私だったが、玄関先で突然悲鳴をあげ、周りの物を手当たり次第に投げつけ始めた。
靴箱の上に飾ってある、親子3人仲良しの写真。
3人の家族旅行で買った、よくわからない置物とか。
「あ、ああっ!ああああああっ!」
投げて投げて壊しまくる。
私は魂の底から絶叫していた。
学生時代、私はたくさんの男を弄び、たくさんの女から恨みを買った。
その報いなのだろうか?
親子である伸彦と真奈が旅行に行くのも止められない。
あの2人の関係を周囲に漏らせば私の不貞も明らかになる。
「いや、確実に、潰される―――」
堂々と結婚するために、あの娘は確実にやる。
私と大介の不貞を明らかにし、伸彦との親子関係を否認し戸籍も抜いて、改めて結婚するはずだ。
頭の良いあの子の事だ。
深く傷ついた夫を守るため、自分が母の、妻の代わりをするとかなんとか、耳障りの良い物語を用意するのだろう。
私と大介は、彼女が幸せを掴むための生贄に過ぎないのだ。
嫌だ、それは嫌だ。
なんとか回避出来る術は無いだろうか?
相思相愛だろうが血の繋がりが無かろうが、今のあの2人は戸籍上親子なのだ。
近親相姦になる。
(なんとか引き離して、真奈の考えを改めさせて―――)
その時、スマホがメッセージの着信を告げる。
そうだ、もう隠していても仕方無い。
大介に全て話そう。
協力を仰ごう。
私と彼の2人が力を合わせれば、あの魔女にもきっと対抗出来るはず。
私が慌てて携帯を開いて凍りつく。
発信者は愛しい彼ではなく、私の娘からだった。
『今着きました〜』
可愛らしいスタンプも同時にたくさん送られて来る。
年相応で実に中学生らしい。
『今、お友達の親子とも一緒なの。凄い偶然!私の友達も今日来てたんだって』
ふとその画像を見た私は、戦慄する。
伸彦と腕を組む真奈、その隣に居る仲良さそうな母娘は―――
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
大介の妻である栞と、その娘である凛だ。
私の心臓がバクバクと跳ねて爆発しそうになる。
『なんとなんと!友達の泊まる部屋と隣同士だったの。こんな偶然あるんだね〜』
次々送られて来る写真は真奈と凛が仲良くツーショットしてるものとかだ。
それを見守る栞と伸彦が並んでいると、まるで仲良し4人家族の様に見えてくる。
悪夢だ。悪夢がやって来た。
『今晩はお互いの部屋に遊びに行くつもりです』
偶然?偶然出会った友達が私の浮気相手の妻子?
(凛ちゃんがネットで知り合った友達って―――まさか)
偶然部屋が隣?そんな偶然あるの?
『お父さんもいいよって』
夫に抱きついてる娘の画像が送られて来る。
『それにお父さん』
何故か伸彦と栞と凛のスリーショットの画像も送られて来る。
『3人くらいなら別に平気って言ってた。お母さん、お父さんの事枯れてるとか思ってるみたいだけどそんな事ないよ?いつもすっごく元気だよ』
何が?何が平気なの?何が元気なの?ねぇ?
『それじゃお仕事頑張ってね。出張お疲れ様です。お土産買って帰るね〜』
そこで娘からのメッセージは終わっていた。
入れ替わりに、タイミング良く大介からメッセージが入る。
温泉地の宿が取れたと、呑気に喜んでいる。
私はもう何も考えられなかった。
私はスマホの画面に写る栞と凛、そして伸彦と真奈の4人の笑顔を、いつまでもいつまでも眺め続けたのだった。
猫吸い隊体操第一はじめ〜
ワン
ニャン
みぎゃあああああ!