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番外編 立場を変えて

「ねぇ、純太郎。私もコーヒー淹れてみたい」


 ダラダラと駄弁っていると、突然しずくがそんなことを言い出した。


「別にいいけど……初めてだな、しずくがコーヒーを淹れたがるの」


「そう言えば一度もやってみたことなかったなーって」


 しずくはワクワクした様子を見せながら、そう言った。


 俺たちは今、喫茶メロウにいる。今日は店が定休日。他の客はおらず、俺としずくだけが好きに使わせてもらっている。


 夏休みも中旬になり、俺たちが付き合い始めてから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。しずくと一緒にいられる時間は少ないけれど、いつも通りお店に来てくれたり、こうやってわずかな休日を共に過ごせるだけで、俺は概ね満足していた。


「じゃあ準備するか。教わりながらのほうがいいか? それとも自分でやってみるか?」


「教わりながらやりたい! 豆を無駄にしたくないしね」


 俺としずくは、カウンターへと移動する。

 プライベートで淹れるとき、俺は自分で買った豆を使う。店にある豆を使いたいときは、どれくらい使ったのかをメモしておいて、後日バイト代から引いてもらうようにしていた。

 実際、歌原さんがバイト代から本当に豆代を引いているかどうかは分からない。正直、まったく減ってる気はしないのだが、少なくとも俺から提案させてもらったときには「分かったよ〜」と言っていたし、訊いてもはぐらかされるだけだろうから、これ以上は何も言わないけれど。

 それでも俺は、決してはぐらかすことなく、きちんとすべてメモに取って歌原さんに渡していた。


「さて、何を淹れようか」


「アイスコーヒーがいいな。深煎りの苦いやつ」


「分かった、いつものだな」


 俺はいつもの豆と一緒に、コーヒーを淹れるための道具を用意していく。


「それじゃ、まずは豆を挽くところからだな」


「うん」


 手動のミルを使って、しずくは豆を挽き始める。ゴリゴリという気持ちのいい音が響き、ほんのりコーヒーの香りが漂ってくる。


「おお……気持ちいいね、これ」


 いい塩梅になるまで細かくしたら、豆を紙フィルターに入れて、ドリッパーにセットする。あとはここにお湯を注げば、コーヒーの抽出は完了だ。


「お……とっと……」


 慎重にお湯を注ぐしずくだったが、気を抜くとすぐにドバッと出てしまうことに苦戦していた。逆に慎重になりすぎると、お湯が途切れてしまう。この塩梅が、なかなか難しいのだ。


「ふー……これ、大丈夫なのかな」


 自分で淹れたアイスコーヒーを見て、しずくは不安そうな表情を浮かべた。何はともあれ、飲んでみなければ出来栄えは分からない。


「……うん、美味しいぞ?」


 初めて淹れたにしては、十分美味しいと思う。風味もしっかり出ているし、上手く抽出できている。


「どれどれ、私も一口……」


 しずくも俺に続いてコーヒーに口をつける。

 しかし、その表情はどこか浮かない。


「どうした?」


「……純太郎、無理して飲んでない?」


「え?」


「純太郎が淹れてくれるのと比べると、やっぱ全然違うよ。ちょっとえぐみがあるっていうか……」


「うん、まあな」


「ほら! やっぱり我慢して飲んでた!」


 焦り始めるしずくを見て、俺は思わず笑ってしまった。練習もしないまま淹れたって、上手く抽出できる可能性は極めて低い。そんなことは分かっているし、えぐみが出てしまったとしても、それは予想の範疇に過ぎない。


「しずくがコーヒーを淹れてくれたってだけで、俺は嬉しいんだ。えぐみが出てるとか、そんなのどうでもいいんだよ」


「そういうものかなぁ……まあ、純太郎がいいならいっか」


 そう言って、しずくはお茶目に笑った。


「また淹れてくれよ」


「いいよ。次はもっと上手く淹れてみせるから」


 しずくと共にいる時間は、あっという間に過ぎていく。

 最近の仕事の話や、新しくできたカフェの話をしているうちに、気づけばすっかり日が暮れていた。


「おっと、そろそろ帰らないとだね。明日の待ち合わせ場所は大丈夫?」


「分かってる。渋谷の駅前に十時だろ」


 明日はしずくと渋谷で買い物をする約束がある。

 言わずもがな、デートというやつだ。


「よろしい。それじゃ、行こっか」


「ああ」


 片付けを終えた俺たちは、喫茶メロウをあとにする。

 

 普通のデートが、まさかあんなことになるだなんて、このときの俺は考えもしなかった。

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