第四十話 レモンタルト
結局俺たちが頼んだのは、ブレンドコーヒーとアイスカフェラテ、そしてこの店の名物になっているレモンタルト。
レモンタルトは上に輪切りにされたレモンが載っており、なんとも可愛らしい外見をしていた。これがSNS映えするスイーツなのだろうか?
「わっ……これめっちゃ可愛い。ね、写真撮っていい?」
「ああ、もちろん」
食べる前に、しずくはレモンタルトを写真に収める。
「最近SNSにも力を入れようかなって考えてるんだよね。まあ、こうやって写真撮ってあげるだけなんだけど」
そう言いつつスマホをしまったしずくを見て、俺は首を傾げる。
「あれ、もう投稿したのか?」
「ううん。あとで加工して、それから上げるんだよ。リアルタイムで投稿すると、特定して私を探しに来る人もいるしね」
「そんなことがあるのか……⁉」
「実際モデル仲間でそういう被害に遭っちゃった子がいたんだよね。友達とご飯食べてる画像を上げたら、料理からお店を特定されて突撃されちゃったって」
今のご時世、有名人はそんなことにまで気を遣わなければならないのか。一般人からしたら、想像を絶する話である。
「ファンって本当にありがたい存在だけど、熱意がよくない方向に行っちゃう人も珍しくないんだよ。でも、そういう人たちって悪意があってそうなっちゃうわけじゃないっていうかさ」
しずくは、ストローでカフェラテをかき混ぜる。その様子は、どこか言葉を選んでいるようだった。
「誰も、自分が相手を傷つけてしまうとは思ってないんだよ。もちろん悪いのは行動を起こしちゃった人だけど、どんなに注意したって伝わらない人には伝わらないし、人の気持ちが分からない人にやめてほしいって訴えかけたって、絶対分かってくれないでしょ?」
「そうだな……」
俺は、喫茶メロウを出禁になった人たちを思い出していた。
そういう人たちは、何も一回の騒ぎで出禁になったわけじゃない。こちらは何度もやめてほしいと訴えかけたのに、それを無視して迷惑行為を続けたから、最終的に出禁にせざるを得なかったのだ。
根本的に、生きている感覚が違う。そうとしか思えない人間というのは、確かに存在するのだ。
「相手をどうにかできないなら、こっちが気をつけるしかないじゃん? 理不尽に負けないためにも、できるだけ自分のことは自分で守らないとね」
「そうだな……その通りだと思う」
世界は綺麗事だけじゃ回らない。しずくの生きる世界のことは、俺にはよく分からないけれど、それでも懸命に戦っていることだけは理解できる。
「よし、暗い話は終わりにして、タルト食べよ? それとコーヒーも!」
「……ああ」
しずくの言う通り、今は暗い話なんていらない。
俺はまず、ブレンドコーヒーに口をつけた。香ばしさがふわりと広がり、鼻に抜ける。うん、美味しい。ただ……。
「飲みやすいにもほどがあるな……」
「え、いいことじゃないの?」
俺が残念そうにしているのを見て、しずくは首を傾げた。
「ああ、それが悪いとかじゃなくて、すごく美味しいんだけど……」
俺は言葉につまる。美味しいのは間違いないのだが、あまりにも癖がないのだ。尖った特徴のない、丸い味とでも言うべきか。俺はもう少し苦いほうが好みだし、もっとフルーティな風味が好きな人もいるだろう。
「ちょっともらっていい?」
「もちろん」
しずくがカップに口をつける。
しばらく考え込む様子を見せた彼女は、納得したようにひとつ頷いた。
「なるほどね、確かに美味しいけど、万人受けって感じがする。私は、もう少し濃くて苦味が強いほうが好きだな。酸味もちょっと抑え目がいい」
「……そうか。それだ」
万人受けという言葉が、このコーヒーにはぴったりだった。
コーヒー、特にブラックが苦手という人は、世の中にたくさんいる。そんな人たちでも、きっとこのコーヒーは飲みやすいはずだ。
これまで、人の好みに合わせるということばかりを考えていた。この店のコーヒーは、俺の理想とはまったく違うものだけれど、多くの人を楽しませている。こういう道もあるのだと知れて、俺は嬉しくなった。
「誰もが好きな味か……ちゃんと味わって、覚えておかないとな」
「こっちのカフェラテも美味しいから、飲んでみてよ」
「ああ、ありがとう」
しずくが差し出してきたグラスを受け取り、ストローに口をつける。コーヒーの風味とミルクのほんのりとした甘み。普段ブラックしか飲まない俺だが、たまにはこういうのも悪くない。
「確かに美味し……い……」
グラスを返そうとして、俺は気づく。
――――今のはもしかして、間接キスというやつでは?