第三十九話 純太郎のしたいこと
あらかた腹を満たしたところで、しずくはコーヒーに口をつけた。
普段しずくが飲んでいるものは、苦味が強く、酸味が少ないもの。コナコーヒーはその対極にあるコーヒーだが、果たして彼女の口に合うだろうか。
「……! なるほど、フルーティってこんな感じか!」
そう言いながら、しずくはまたコーヒーを飲む。
どうやらお気に召したらしい。
「確かに酸味はあるけど、全然飲みやすいね」
「それはよかった……結構酸味が苦手っていう人多いからさ」
「私も正直怖がってたけど、癖になる風味があるよ」
しずくはあっという間にコーヒーを飲み干してしまった。
空になったカップを名残惜しそうに置き、彼女は腕時計を確認する。
「どうしよう、結構時間あるね」
時刻はまだ十三時過ぎ。六景島シーパラダイスはほとんど回ってしまって、特にやることがなくなってしまった。もちろん、これで解散なんて言うつもりは毛頭ない。しずくと丸一日過ごせる機会なんて、そうそうないのだから。
「ちなみに、純太郎はどこか行きたいところってある? 私のやりたいことは……ま、まあ、達成できたと言えばできたし、できてないと言えばできてないけど……」
「ん? なんかやり残したことがあるのか?」
「ううん! 大丈夫! 今はちょっとそういうムードじゃないし……」
「……?」
しずくは目を泳がせながらも、俺に選択権を委ねてきた。
……どうしようか。こういうとき、パッと意見を出せたらよかったのだが。
「……ま、純太郎となら、どこかでダラダラ駄弁るだけでも十分楽しいけどね」
しずくのそんなフォローを受けて、俺は気づく。
「そうだ……ひとつ、しずくとやってみたいことがあったんだ」
「お、それは?」
前のめりになったしずくに、俺はずっとやってみたかったことを告げた。
六景島シーパラダイスをあとにした俺たちは、横浜駅を訪れていた。
横浜駅で降りたのはこれが初めてだった。しずくは撮影で何度か来ているようで、広い駅中をスイスイと進んでいく。
「こっちでいいんだよね?」
「ああ、問題ないはず」
スマホで目的地を確認しながら、俺はしずくについて行く。
立地を知っている彼女は、俺の拙い説明でもすぐに場所を割り出したらしい。なんとも頼もしいことだ。俺一人だったら、きっとまだ駅をぐるぐるしていた。
駅を出てしばらく歩くと、お目当ての場所が見えてくる。
「ここか、純太郎が行きたいって言ったカフェって」
「そうだ。なかなか雰囲気いいだろ?」
「うん、メロウとはちょっと違うっていうか……新しい感じだね」
喫茶メロウは老舗の喫茶店といった雰囲気だが、ここにあるカフェは、SNSで映えるような目新しい外観をしていた。
俺がしずくとやりたかったことは、カフェ巡りである。
コーヒーを極める上で、様々な店のコーヒーを飲んでおくことは、とても大事なことだと歌原さんは語っていた。その店の豆や、カップの種類、店全体の雰囲気まで、どれもコーヒーを楽しむ上で欠かせない要素なのだ。
そう言われてから、ひとりで色んな店を巡ってみたことがあった。
しかし、俺自身が喫茶メロウに惚れ込んでいるせいか、主観が入りすぎて得られるものが少ないと感じてしまっていた。
しずくというフラットな立場にいてくれる人がいれば、その感覚は薄れるかもしれない。それが、カフェ巡りを提案したきっかけである。
「悪いな、俺の趣味に付き合わせるみたいになっちゃって」
「いいよ、これが純太郎のしたいことなんでしょ? だったらそれに付き合うことが、私のしたいことだから」
しずくは得意げにウインクした。
本当に、いい友達を持ったものだ。
「ありがとう、じゃあ早速入ろう」
喫茶店の中は、若い女性やカップルで溢れていた。ちょうど二人席が空いていたため、俺たちはそちらへ通される。
「メニューもオシャレだな……」
「うん、まさにSNS映えって感じ」
二人して語彙力をなくしながら、丸みを帯びたフォントで書かれたメニューを眺める。とはいえ、頼むものは大体決まっていた。ブレンドコーヒーと、スイーツ一品である。
「ねぇ、純太郎。ひとつ提案なんだけどさ」
「ん?」
「純太郎はブレンドを頼むんでしょ? じゃあ私はカフェラテを頼むから、あとで交換しない?」
ありがたい提案だった。コーヒー以外のメニューも、できるだけ知っておいて損はないはず。
「助かる。ありがとう」
「お、お安い御用だよ」
「……?」
しずくは何故かそわそわした様子で、メニューを閉じた。
どうしたのだろう。心なしか顔も赤い。
「……大丈夫か?」
「え? あ、うん! 大丈夫だよ⁉」
「そうか……」
しずくが最近よくこうなっているところを見るが、理由はなんなのだろうか。
……そんな風に考えていた数分後のこと。俺はしずくが頬を赤らめた理由を、この身をもって知ることになる。