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第三十六話 勉強会

「うおぉ……」


 喫茶メロウに、そんなうめき声が響いた。

 テーブル席にいるしずくは、教科書とノートを広げながら、苦悶の表情を浮かべている。この姿だけを見れば、彼女が大人気モデルだなんて誰が信じるだろう。


 店の中に俺たち以外の人影はない。

 今日は喫茶メロウの定休日。テスト勉強するなら店内を使っていいと言ってくれた歌原さんの厚意に甘え、俺たちは店のものを自由に使わせてもらっている。


「休んでた日が多かったからなぁ……言い訳しても仕方ないけど」


 しずくは雑念を払うように頭を振る。

 相当苦戦しているらしい。期末ということもあって範囲も広いし、こうなってしまうのも無理はない。

 そんな彼女に、俺は淹れたてのアイスコーヒーを差し出した。


「時間はあるし、しずくならきっと大丈夫だ」


「うん……せっかく純太郎が授業内容をまとめてくれたし、なんとか活かせるように頑張るよ。あ、コーヒーいただきます」


 しずくが学校を休まなければならない日は、俺ができる範囲で授業内容をまとめ、あとで共有していた。

 学校側も、出席日数は配慮できても、テストの点数までは看過できない。進級するためには、きちんと勉強するしかないのだ。


「今やテレビでも雑誌でもネットでも引っ張りだこのスーパーモデルが、まさか学校では赤点だらけなんて……かっこ悪いにもほどがあるもんね」


 そう意気込んで、しずくは再び教科書と向き合う。

 何事にも真剣に取り組む姿が、きっと多くの人の心を突き動かすのだろいう。こんな立派な友達がいることを、俺は誇りに思った。


「うううぅおお……」


 まあ、このうめき声はどうかと思うが……。

 

 一旦しずくのことは置いておいて。

 逆に俺はというと、しずくのために授業をまとめていたおかげか、やけにテスト範囲への理解が深まっていた。このままテストに挑んでも、平均点以上は取れる自信がある。

 とはいえ、余裕を見せられるわけではない。

 俺は地頭がいいタイプじゃないし、しっかり勉強して身につけないと、すぐに内容が頭から抜けてしまう。

 しずくを見習って、俺も教科書やノートとにらめっこすることにした。


「純太郎、ここどう解くの?」


「これはこっちの式で求めたXの値を代入して……」


 数式を解いていたしずくに、詳しいやり方を教える。

 そんなやりとりがしばらく続いたあと、燃料が切れたのか、しずくはテーブルに突っ伏した。


「ごめん、ちょっときゅうけい」


「ああ、いいと思う」


 俺は苦笑いを浮かべ、一旦教科書たちを閉じた。

 なんやかんやで、二時間くらい勉強に集中していた。

 しずくは度々俺に質問してくるけど、どれも出席できなかった授業の内容ばかりで、それ以外の部分は特に躓くことなく解いている。

 

「しずくって一年の頃の成績はどうだったんだ?」


「悪くなかったよ。テストも常に平均点以上だったし」


「すごいな……モデルもやりながらだろ?」


「そうだけど、去年はそこまで忙しくなかったからね。授業に置いていかれることもなかったし」


 そう言いながら、しずくは手元にあった数学の教科書に目を落とす。

 

「変なプライドなんだけど……仕事を言い訳にしたくないんだよね。勉強ができないのは、仕事が忙しいからですなんて……自分から選んだ道なのに、なんかかっこ悪いじゃん?」


「……しずくはえらいな、ほんとに」


「え? そ、そう?」


 しずくは驚いた様子で、目を丸くする。

 彼女の努力は、大いに褒められるべきものだと思う。むしろ彼女が褒められ慣れていないことが、不思議でならない。

 

 逃げ道があるなら、逃げ出したくなるのが人間だと思う。

 俺は決して勉強が好きなわけじゃない。コーヒーの修行をして、いつか店を任せてもらうことが、俺の夢だ。そのためなら、努力は惜しまない。

 だけど、普段授業を受けていると、果たしてこれは俺の夢のために必要なのかと考えてしまうときがある。こんなことより、コーヒーを淹れる練習がしたいと思ってしまう。

 現実逃避であると分かっているのに、やめられないのだ。


「……私だって、モデルとして頑張ってるんだから、勉強がおそろかになったっていいじゃんって思うときはあるよ?」


 しずくは自虐気味にケラケラと笑った。

 

「でもさ、やっぱり私って負けず嫌いだから、周りから(つつ)かれたくないっていうのもあるかな」


「突かれる?」


「『芸能人って成績悪そう』ってクラスの子から言われちゃってさ。言い方がすごいバカにしてる感じっていうか、仕事が忙しいから仕方ないよねーみたいな? ……なんか、すごい悔しくてさ」


 しずくは、残り少ないアイスコーヒーに口をつける。

 そのまま最後まで飲み切ると、コップの底からズズッという音が鳴った。


「だからさ、勉強もちゃんとこなしたら、そういう偏見を持ってる人たちをまとめて倒せるでしょ? そのほうがきっと気分がいいと思うんだ」


「……いい性格してるな、お前」


「褒めてる?」


「もちろん。強かなのはいいことだ」


「ならよかった」


 俺のほうに身を乗り出しながら、しずくはニッと笑った。

 

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