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第三十一話 最後の日

「しずくちゃん、大丈夫?」


「はい……」


 ロケバスの中で、私は強烈な眠気と戦っていた。

 バスの中に玲子さんしかいないからって、少し気が抜けてしまったらしい。


「疲れてるみたいね……無理もないわ。四日連続で朝から晩まで撮影だもの」


「大丈夫です……今日が最終日ですし、あとひと踏ん張りですから」


 そう言って、私は笑顔を見せた。

 もちろん、空元気だ。体は熱っぽいし、頭はボーっとするし、連日のアクションシーンの撮影で、全身は酷い筋肉痛を訴えている。最後はド派手がいいというプロデューサーの意向で、やたらと激しいアクションが満載だった。


 ただ、厳しかった撮影も、いよいよ終わりだ。

 私と助手役の立川さんが橋の上で話すシーンを撮って、すべての撮影が終わる。

 長かったような、短かったような。たくさんのことがあった三か月だった。私は上手くやれていただろうか? もうすぐ終わると思うと、色んな後悔が押し寄せてくる。もっとああしていれば、こうしていれば。疲れのせいか、考えても仕方がないことばかりが頭の中に渦巻いていた。


「しずくちゃんは、よく頑張ったと思うわ」


 そんな玲子さんの一言で、私は現実に引き戻される。


「ハードな撮影スケジュールの中で、よく食らいついてきたと思う。私が新人の頃なら、きっとあなたと同じようにはできなかった」


「急にどうしたんです? あ、もしかしてまた私をからかってるんですか?」


「ふふっ、どうかしらね」


 玲子さんが本音で褒めてくれていることは、私も分かっていた。

 茶化してしまったのは、泣いてしまいそうだったから。今、優しい言葉を受け入れたら、きっと何かの栓が決壊してしまう。そしたらもう、立ち上がることは難しい気がしたのだ。


 それにしても、やっぱり玲子さんは本当にすごい。

 レギュラーキャラを演じている彼女だって、私に負けず劣らずのハードスケジュールだったはず。私と違って他の仕事もあったはずなのに、人の心配ができる余裕まで見せている。


 いつか、彼女のようになれるのだろうか?


 ――――それは私次第か。


 モデル業も、女優業も、これからは両立するって決めた。

 他ならぬ、純太郎に誓ったんだ。

 だったら、やらなくちゃ。


「SHIZUKUさん! 出番です!」


 外からスタッフの声がする。

 いよいよ、最後の出番だ。


「行ってきます」


「ええ、行ってらっしゃい」


 玲子さんに送り出され、私はロケバスを出た。

 これが終わったら、あの喫茶店へ行こう。仕事終わりの一杯は、きっと何よりも美味しいはずだ。


◇◆◇

 

 バイト中、俺はふと外を見た。

 すでに日は暮れ、帰宅ラッシュなのか、多くの人が駅のほうに向かって歩いている。

 夏場になり、日没の時間はかなり遅くなっていた。仕事に集中していると、そのことに気づかないときがある。こうして外を見たときに、ようやく気づくんだ。


「そろそろ終わったのかしら、しずくちゃんの撮影」


 洗い終わった皿を拭きながら、歌原さんがそう呟いた。


「……どうでしょう。ぼちぼちだと思いますが」


 しずくからは、大体これくらいの時間に終わると聞いている。

 そのあとは、一度この店に寄ると言っていた。疲れているだろうに、どうしてもコーヒーを一杯飲んで帰りたいらしい。

 なにはともあれ、仕事中の俺にできることは、彼女が来るのを待つことだけだ。

 

 そのとき、お店の電話が鳴った。

 

「はい、喫茶メロウです」


 すぐに歌原さんが受話器を取る。

 店に電話とは、中々に珍しい。予約できるわけじゃないし、仕入れの業者とはほとんどメールでやり取りしていると歌原さんは言っていた。

 妙な胸騒ぎを覚えていると、歌原さんが受話器を差し出してきた。


「純くんに代わってくれって」


「俺に……?」


 受話器を耳に当て、電話の相手に代わったことを伝える。


『もしもし、稲盛です』


「い、稲盛さん? どうしたんです?」


 電話の主は、稲盛玲子さんだった。

 何故彼女がわざわざ店に電話なんて。胸騒ぎは、いつの間にかはっきりとした嫌な予感へと変わっていた。


『さっき最後の撮影が終わったんだけど、しずくちゃんが寄りたいところがあるって言って、先に帰ったの。でもすごいふらふらしてて……一応電話してみたんだけど、繋がらなくて。もしかしたらどこかで動けなくなっちゃってるかもしれない……』


「なっ……」


 何をしているんだ、しずく。

 この店に寄るにしろ、マネージャーやスタッフに送ってもらうことくらいできたんじゃないのか?


『寄りたいところがそのお店なら、多分純太郎くんが駅まで迎えに行ってあげたほうが早いと思ったから、連絡させてもらったわ』


「……教えてくれてありがとうございます」


 なんてことだ。俺は彼女を探しに行くため、電話を切ろうとした。しかし、その前に稲盛さんが受話器越しに俺を呼び止める。


『ごめんなさいね、純太郎くん。心配させるようなことして』


「……どうして稲盛さんが謝るんです?」


『色々事情があったの。……あとですべて分かると思うから、今はしずくちゃんをよろしくね』


 その言葉を最後に、電話は切れた。


「っ! マスター、すみません。俺ちょっと……」


「しずくちゃんが行方不明にでもなった?」


「え?」


「しずくを探しに行かなきゃ! って、顔に書いてあるよ。ここは大丈夫だから、迎えに行って? あの子もこっちに向かってるんでしょ?」


「……ありがとうございます」


 やっぱり、歌原さんには敵わないな。

 俺はエプロンを脱ぎ、そのまま店を飛び出した。

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