第二十六話 恋愛経験者
「あ、でも、あなたのいいところはたくさん吹き込んでおいたわ。しずくちゃんがいると、現場が締まるって話をね」
「締まるって……」
「しずくちゃんのおかげで、役者もスタッフもみんなすごいやる気よ? こんなに充実してる現場、本当に初めてなんだから」
そんな風に言われると、こっちも照れてしまう。
私は別に、自分が足を引っ張らないよう、できる限りのことをしているだけだ。
ただ、それが周りの人にいい影響を及ぼしているのであれば、これほど嬉しいことはない。
「……純太郎のほうは、私のことなんか言ってました?」
「すごく心配してたわよ? 大事にされてるのね」
玲子さんは、からかっているときのニヤケ顔を見せてきた。
反撃できないのは歯痒いけど、純太郎が気にかけてくれていると聞いて、少し嬉しくなる。
「しずくちゃんの元気の源は、彼なのね」
「……はい」
エプロン姿の純太郎は、どこか大人びて見えた。
物静かで、決して愛想がいいわけではないが、それこそが彼の魅力である。
表情変化が少ない彼が、私の前では照れたり、慌てたりしてくれる。
この特別感が、たまらない。
「……彼のことが好きなら、早めに捕まえたほうがいいと思うわ」
「え?」
「私、自分でも結構見る目があるほうだと思ってるんだけど……まだ見つかってないだけで、純太郎くんは結構引く手数多な感じがするのよね」
「なっ……!」
急にこの人は何を言いだすのだ。
「無害そうな男の子って、結構貴重なのよ? 色々経験して、燃え上がるような激しい恋愛を求めなくなったって子は、純太郎くんみたいな人に惹かれることもあるわ」
私をからかってるところもあるんだろうけど、玲子さんの言葉は、半分以上は真剣なアドバイスだった。
クラスメイトたちは、誰も純太郎に注目していなかった。
いつも話すのは、周りからかっこいいと言われがちな先輩や、隣のクラスの男の子の話ばかり。
失礼な話だけど、だから私は、変に余裕を覚えていたのかもしれない。
このままゆっくり距離を詰めていけば、誰にも邪魔されず、純太郎に振り向いてもらえるって。
「――――ねぇ、君の名前教えてくれない?」
突然、離れた席からそんな声が聞こえてくる。
その席には、二人の女性が座っていた。
彼女たちの接客をしている純太郎は、困惑した様子を見せている。
「み……御影です」
「下の名前も教えてよぉ」
「……純太郎です」
「あー! だからマスターに純くんって呼ばれてるんだね!」
ニヤニヤしている二人の女性は、困っている純太郎へさらに喋りかける。
「ねぇねぇ、彼女とかいるの?」
「……お答えできかねます」
「あー、いないんでしょ? 隠さなくていいのに」
キャピキャピとした笑い声を聞いて、思わず拳を握りしめた。
なんなんだ、あの女たちは。
これ見よがしに純太郎に迫りやがって。
「落ち着いて、しずくちゃん。モデルの顔じゃなくなってるわ」
「これが落ち着いていられますか……⁉︎」
「ふふっ、本当に純太郎くんのことが好きみたいね」
玲子さんがあんな話をするものだから、気持ちが焦って仕方ない。
相手は、年上の女。
つまり、私にはない魅力を持った人たちということだ。
純太郎が簡単になびく人じゃないことは理解しているが、この不安は、簡単に拭いされるものではない。
結局、純太郎にちょっかいをだした女たちは、マスターの介入によって引き下がった。
確かに、玲子さんの言う通りだ。
うかうかしていると、純太郎を誰かに取られてしまう。
「……確か、デートの約束をしたのよね」
「え? は、はい……」
「撮影がすべて終わったらって話だったかしら」
その問いかけに、私は頷く。
「いい? しずくちゃん。約束をしたところまではいいけど、お付き合いが始まるまでは、ちゃんとアピールし続けないとダメよ? いくら彼のことを信頼していても、この世に絶対なんてないんだから」
「アピール……ですか」
「男の子と付き合った経験は?」
「な、ないです」
「だったら、恋の駆け引きなんてしてる場合じゃないわ。がむしゃらに攻めなさい。あのときこうしていれば、ああしていればなんて後悔をするくらいなら、全部やって撃沈したほうがマシよ」
撃沈はしたくないのだが、玲子さんの言葉には強い説得力があった。
「……つかぬ事を聞くんですけど、玲子さんって、結構恋愛経験豊富だったりするんです?」
「もちろん。私ほど恋愛経験を積んだ女は、なかなかいないと思うわ」
「おお……!」
そんな風にドヤ顔で言い切るものだから、胸がドキドキしてきた。
これからは、演技の指導だけでなく、恋愛の指導もしてもらうべきだろうか。
「まあ、全部乙女ゲームだけど」
「……」
玲子さんは、すました顔で静かにコーヒーを啜る。
先に言っておくが、稲盛玲子は本当に素晴らしい女優だ。
女優としての私は、間違いなく彼女によって育てられている。
すごく尊敬しているし、本当の姉のように思っている
ただ、恋愛について相談するのは、金輪際やめておこうと心に誓った。