12
斉藤さんとのんびりと仕事をしながら、夕方になって、広報部の真崎が陣取る小会議室で打ち合わせ。
広報部の人達は真崎さんがいるからか、私を見る眼が優しい。
多分噂を聞いてると思うし内心は分からないけれど、顔には出さず大人の対応をしてくれるから、打ち合わせでここに来るのはそんなに苦痛じゃない。
どちらかって言うと、一階の事務課なんだよね。
総務・経理は女性社員が多いし、柿沼のいる部署だから特にね。
内心、自分の置かれた立場を悲しみながら、打ち合わせで使った書類を纏めてファイルにしまいこんだ。
小一時間の打ち合わせを終えて、真崎は両腕を上げて身体を伸ばす。
「美咲ちゃん、とりあえず定期的な打ち合わせは今日でおしまいね。来週には製造が動くから」
斉藤さんから心配してもらってほんわか温まった私の心を、何倍にも幸せにしてくれる真崎の言葉に思わずにっこりと微笑む。
その顔に少しムッと来たのか、目を細めてじろりと睨まれた。
「なにそのあからさまな嬉しい顔。美咲ちゃんとの約束破って、抱きついちゃおうかな。今ここで」
「勘弁してください」
速攻で謝る。そんなことされたら、噂が増長する。
つまんないなぁとブツブツ言いながら、壁際においてあったポットで紅茶を淹れて私の目の前に置いた。
真崎さんはかなり凝り性だと思う。
紅茶も、ちゃんと茶葉から淹れるんだもの。
その銘柄は、駅ビルに入っている紅茶専門店のもの。
そのうち、珈琲ミルとかバリスタとか置かれるんじゃないだろうか。
「なんかどんどん真崎さんの私物が増えてますね、この会議室」
ポットやティーセットが、壁際で異彩を放ってる。
真崎は目の前の椅子に座って、頬杖をついた。
「だって、過ごしやすい環境って必要でしょ? たとえ僕が短期出張でここにいるとしてもさ」
「まぁそうですけど、片付けるの大変そうですね」
手伝いませんけど、と内心呟きつつ。
真崎さんは、ティーカップをソーサーごと持ち上げて、おいしそうに紅茶を飲んでいて。
なんだかこんなにほんわりした時間って久しぶりだな、なんて思ってしまう。
飲み会以降、気の休まる時があまりなくて。
なんか、眠くなってきた。
出そうになる欠伸を口元に手を当てて抑えながら、紅茶に口をつける。
向かいの席で紅茶を飲んでいた真崎さんが、そうそう、と思い出したかのように顔を上げた。
「――で、美咲ちゃん。僕はいつの間に君と付き合ってたのかな?」
「っ!」
噴出しそうになるお茶を、片手で押さえて何とか飲み込む。
カップを持ったまま真崎を見ると、面白そうに笑いながら私を見ていて。
「今日、ラウンジに行ったらそういう話を聞いたんだよね。って、まぁ少し前に耳には入っていたんだけど。直接聞かれたの初めてだったからさ」
――ラウンジ……鬼門!
驚いた分、一気に疲れが押し寄せる。
「あ……あー、その、聞かれちゃったら仕方ないんで。私、根拠のない噂流されちゃってるんですよ。真崎さんも適当に否定するなり、流すなりでご協力お願いします」
背もたれに寄りかかって、溜息をつく。
「そう? 別にホントでもいいのに」
にやりと笑う真崎の顔を、じっと睨む。
己が言うと、冗談に聞こえなくなる!
真崎は肩を竦めて、紅茶のカップを手に取った。
「はいはい、一応否定しておいたよ。でも斉藤が真っ青な顔して挙動不審な奴になってたから、あいつの態度で憶測呼んでも、怒んないでいてあげてね?」
ははは、斉藤さんはそういう人。
想像がついてつい苦笑いをしてしまう。だってアドリブきく人じゃないから。
「怒りませんよ、そんなことで。まぁ、そのうち消えるでしょうから、流しておいてください」
くすくすと笑いながら、右手をふる。
真崎さんは少し考え込むように、息を吐いた。
その仕草が何か嫌な雰囲気を醸し出していて、俯いて手元を見つめる。
綺麗な水色。
紅茶の茶葉の種類とかわからないけれど、いつもはミルクティ派の私でも、ストレートで飲みたくなる渋みの少ない飲みやすい味。
話を変えようと口を開いたら、真崎さんの方が早く、間にあわなかった。
「まぁ、僕はおまけみたいなもんなんだろうからさ。それよりも、噂の中心であろうあの二人がこの状況に気付いてないのが、僕的いらつく」
真崎にしては珍しい物言いに、紅茶の水面を見ていた視線を上げた。
眉を顰めて私を見るその表情は、呆れているような怒っているような。
「私は知られてなくてほっとしてるんですよ。できれば最後までばれたくないです」
沈んだ気持ちを打ち消したくて、紅茶を飲み込む。
おいしいはずなのに、気持ちを映しているのかなんか苦く感じる。
「美咲ちゃんって、本当に――」
真崎さんは言葉を途中で切って手に取っていたカップを机に置くと、頬杖をついて私を見た。
「あのさ――ここにいづらいって、そういう気持ちだけでもいいんだよ?」
いきなり優しい声になる真崎の顔を、カップに落としていた視線を上げて見つめる。
「その理由で、僕のところに来てくれてもかまわないんだからね」
――あ……
思わず口を右手で隠すと、真崎は苦笑いで目を細める。
「はははー忘れてたでしょう、美咲ちゃん」
カップを机に置くと、頬に手を当てて頭を下げる。
「すみません、ホント忘れてました」
なんか飲み会からこっち、哲のこととか課長のこととかいっぱいあって……
「でも、そんな理由で真崎さんと仕事をするのは、申し訳ない気がします」
「そう? どんな理由にしろ僕のところに来てくれるなら、それでいいんだけどね」
再び心を占め始めた罪悪感を、さらりと真崎は取り去る。
そんなものは、関係ないと。
動機じゃなく、来てからの結果だ……と、いいたいのだろうか
考え込んで俯いている私の頭を軽く撫でると、カップに残っていた紅茶を飲み干した。
「そうそう。今度、斉藤と二人でやった時の企画の書類、全体通しての奴見せるからさ。この後の流れ、確認しておいてくれる?」
「はい、分かりました」
頷いた私を見ながら、立ち上がる。
「じゃ、この先打ち合わせが必要になったらその都度連絡するから。あ~あ、美咲ちゃんと会えないの、寂しいなぁ」
「何言ってるんですか」
一緒に立ち上がりながら、苦笑い。
でも。
いつもは面倒にしか思わなかった真崎の言葉に、思わず涙が出そうになるくらい嬉しくなる。
この会社で、私を必要としてくれている人が、ここにいる。
企画課という、家族のような人達以外で。
それだけで、頑張れる気がする。
自分の居場所が、まだここにあるのなら。
私を見下ろして笑う真崎さんに、内心、ありがとうと呟いた。