7
「あーしんど」
非常階段に座ると、思わず大きな溜息が出てしまった。
久しぶりのあの雰囲気は、しんどいわ。
あまり飲んでもいないから、つぶれた振りして寝る事も出来ないし。
さぁて、どうしようかなこの後。
私物は持ってきたから、このまま帰れるけど。
哲も亨くんも、嫌だろうなぁ。あそこにいたら。
でも、私が一番いづらいのよ。
少し悩んで、携帯を取り出す。
どうしようかな。
逡巡していたら、後ろから声を掛けられてびくっと肩を竦めた。
「美咲さん? どうされました?」
振り向くと、少し赤い顔をした亨くんが中腰で私を見下ろしていた。
「なかなか帰ってこないんで、もしかしたら……と思って」
「あ、そっか。ごめんね」
亨くんが、横に腰を下ろした。
狭い階段。少し触れる身体が、ほんのりと温かい。
「哲弘はモテモテですね。美咲さんのこと気にしてるみたいだったけど、抜けられなそうでしたよ」
その言葉に、想像ができて苦笑い。
「昔っからあぁだから、適当にあしらえるんだろうけど。内心すごい怒ってるよ、あの雰囲気」
あはは、と乾いた笑いを零して、そのまま深く息を吐いた。
「私も慣れてるつもりだったんだけどねぇ、久しぶりだったからちょっと女の子達の積極性にあてられちゃった気分」
「あー。……もしよければ、このまま美咲さん帰ります? 伝えておきますよ?」
――
正直、ありがたいお申し出……
俯いたまま、視線を亨くんに向ける。
すると亨くんは自分の右の手のひらをじっと見た後、少し迷いながら私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「……亨くん?」
目を瞬いて、顔をあげる。
可愛らしいその顔は、優しく笑っていて。
年下なのに、年上に思える。
「もう、充分だと思いますよ」
「……」
じわり、と込み上げてくる“何か”に、思わず目を伏せた。
これ以上、亨くんに迷惑掛けたくないし……こんなとこ見せたくない――
人前で泣くのは、卑怯だ。
「……そう、かな」
小さく呟くと、亨くんはもう一度軽く叩いて頭から手を離した。
「えぇ、充分です」
我慢していた分、亨くんの優しさに甘えたくなる。
でも、それじゃ……
「亨くんに悪いよ」
あんな、見も知らない人間の中に、一人残していくのは。
なんとか引っ込んだ涙を隠しながら顔を上げると、亨くんは少し得意そうに笑った。
「いいですよ、適当にやりますから。これでも俺って、そーいうの得意ですよ。威張ることじゃないですけどね」
――君の優しさが、胸にきゅんとくるよ。
「ありがとね、……じゃあ帰ろうかな。哲には仕事で呼ばれたって言っておいてくれる? 今までもこういう事あったから、多分通じると思うんだよね」
亨くんは分かりましたと頷いて、立ち上がった。
「帰り、気をつけてくださいね。できれば家に帰ったら、メールとか欲しいですね。俺、心配性なんで」
ぽんぽん、とスーツの胸ポケットを叩く。
「うん、分かった。今日はごめんね」
そういって、一万円札を渡す。
「え? いいですよ美咲さん――」
返そうとする彼の手を、やんわりと押し返す。
「いいのいいの。ホント、今日は迷惑掛けたから」
何度か受け取る受け取らないでもめながら、最終的に彼のポケットに押し込む。
困ったように笑う彼は、小さく息を吐いた。
「じゃ、次は俺がおごりますからまた飲みに行きましょう。楽しみにしてるんで」
「うん」
ぴらぴらと手を振って、亨くんの後姿を見送る。
溜息をついて、立ち上がった。
亨くんが哲に話す前に、早くここから帰らないと――
多分哲は一人だったら、彼女達を振り切って帰ったと思う。
私達――、というか、私がいるから多分我慢してるわけで。
柿沼に目つけられちゃってるからね、既に。
私がいなくなれば、早めに切り上げて帰れるだろうし……
手に持っていたコートを羽織って、階段を歩き出す。
それでも哲、嫌がるだろうな。
私の気持ちも理解して、それでもやっぱり。
それが分かっていながら帰る私って、酷いなぁ。
一段一段、踏みしめながら降りていく。
なんか、もう、誰の負担にもなりたくないのよ。
ただでさえ、課長や哲に対して、罪悪感がぬぐえない今。
彼女達の視線が物語る。
あんたがいるから、私達は近づけない――
どこか行けばいいのに
帰ればいいのに
付き合ってもいないのに
邪魔しないで――