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ガコンと音と共に取り出し口に出てきたペットボトルを、腰を屈めて取ろうとしたら横から伸びてきた手に先にとられた。
「?」
……なんだ?
その手の引っ込む先を眼で追うと、そのまま横に立つ女性に行き止まる。
――えーと……
「哲弘先輩、休憩ですか?」
にっこりと微笑むその顔は、
「総務の、柿沼さん」
でした。
上体を戻して、ペットボトルを受け取ろうと手を出す。
「あぁ、休憩っていうか飲み物買いにね。はい、ありがとう」
柿沼は俺の言葉を聞いてるのか聞いていないのか、小さく首を傾げて見上げてくる。
「少しだけでも、お話できませんか? なかなかお会いする機会ないんですもの」
ないんですもの……ねぇ。
いくら丁寧なお言葉遣いしても、君の本性を知ってる俺には面白いの一言しかないんだけどね。
「あー、仕事押してるんだよね。ちょっと無理かな……」
「少しだけならいいじゃないですか? ね?」
にっこりと微笑んで、腕に手を絡めてくる柿沼をうんざりぎみに上から見下ろした。
正直すげぇ面倒なんだけど。
こいつ、裏の顔けっこう持ってんだよね。
俺に対してはどうでもいいけど、ここで断ると、確実美咲が何かされそうだよなぁ――
女って、怖ぇよな……
腕を振り払うのを諦めて、引っ張られるままに歩いていく。
ラウンジには何人か休憩中の奴がいて、ちらちらとこっちに視線をよこしてました。
あぁ、面倒。
代わるよ? 喜んで代わるよ、この立場。
促されるままに座った席には、彼女が飲んでいたと思われる中身の入っていない紙コップが置かれていて。
珍しく一人できてたのかなと思ったら、目の端にラウンジを出て行く女性の集団が映って内心納得。
俺と話すために、追い出したか。
すげぇな。
思わず笑いそうになるのを、咳払いをすることで何とか押し留める。
しばらくたわいもない世間話をしていたら、彼女が黙りこんだ。
ぺらぺらしゃべってたのがいきなり黙るもんだから、どうかした? って聞いてみたら。
「哲弘先輩、企画室ってそんなに楽しいですか?」
「ん?」
いきなりよく分からない話がはじまって、首を傾げる。
「楽しいって、……別に仕事だし。どうして?」
柿沼は、どうしてって……と少し俯き加減で視線だけこちらに向ける。
すげーなー。
なんていうか、自分がどうやったらよく見えるかってのを把握してるんだろうな。
上目遣い
これをされて落ちない男はいない。
いや、好きな相手限定でね。
ほいほい落ちてたら、ただの節操なしだろ。
「だって、なかなかラウンジにも来ないですし、会う機会ってホントないんですもん」
――もん……
美咲が言うのをよく聞くけど、やべ。こいつがやると、気持ち悪さ抜群……
苦い気持ちが表情に出ないように、なんとか笑う。
「そりゃ忙しいしね。いちいちセキュリティーチェック抜けてこなきゃいけないし、面倒なことこの上ない」
「たまには、会えませんか?」
――
やべ。
話すだけのはずが、お誘いモードに変わってしまった。
まぁ、来るかなとは思ってたけど案の定か。
さて、どうするべかな。
表面上笑顔を浮かべつつ、足を組みなおす。
「俺、企画室でまだまだ下っ端だから。忙しくて、プライベートもあったもんじゃないんだよね。だから、ちょっと無理かな」
にっこり笑って立ち上がる。
猫~猫~、何匹でもいいからかぶさってくれ俺に~
猫かぶるのは得意だけど、正直早く帰りてぇんだよ。
美咲が上で待ってる。
多分、さっきの俺の言葉を気にしながら。
「時々でいいんです、ダメですか?」
柿沼のそばにおいてあるさっき持っていかれたペットボトルを取ろうと伸ばした手を掴まれて、動きが止まる。
「――うん、無理。悪いね」
どうやって、これ、振り払おうかな。
冷静に考えてしまう自分が、冷めてるなぁとは思う。
悪いんだけど慣れっこなんだよね。
女、を見せられても、少しも心は動かない。
「――忙しくても、久我先輩とはプライベートでどこか行かれるんですね」
「――は?」
いきなり美咲の名前が出てきて、手を見ていた視線を上げる。
「行かれるんでしょう?」
俺のYシャツの胸ポケットに視線を走らせる彼女に、あぁ、と合点がいく。
さっきの話、聞かれてたわけね。
亨の電話。
珈琲の缶をスラックスのポケットに突っ込むと、小銭を握る。
そのままおかしくない程度の力で、柿沼の手を振り払った。
「じゃ、仕事に戻るから」
それだけ言って、踵を返す。
紅茶はくれてやる。
もう冷めちゃってるだろうし、美咲にはあったかいのを買いなおすから。
後ろで俺の名前を呼ぶ声がしたけど、聞こえない振りで自販機に寄る。
さっき買ったものとは銘柄の違う紅茶を買って、ラウンジから出て行く。
彼女の方は、見もせずに。
突き刺さる視線が痛いけど、もうどうでもいい。
今ので、納得したかなぁ。
美咲に敵意ばしばしなんだけど。
あいつ、損な役回りだよな。
俺が付きまとうから。
その上企画室に入ったら今度は課長が美咲に構うから、女からの嫉妬が二倍。
エレベーターホールに大股で向かいながら、肩をまわして筋肉をほぐす。
デスクワークが苦手なのはホント。
営業が性に合ってたのは、認める。
でも、美咲に会える方がそれを凌駕した。
あいつの顔を見て、声を聞いて、触れて。
その方が、俺にとっては大事だった。
だから、俺
どんなに格好悪くても、足掻くよ
――頼むから、もう少し足掻かせて。
乗り込んだエレベーターが五階に着き、足早に廊下を歩き出す。
柿沼に結構時間を取られてしまったから、あいつ、遅いって怒りそうだ。
頬を膨らませて噛み付いてくる美咲の顔を思い描きながら、笑う。
綺麗な女なんて、たくさんいる。
色気を振りまく女も、たくさんいる。
好かれようと一生懸命向かってくる女もいれば、気を引こうと駆け引きをする奴もいる。
――そんな奴よりも。
セキュリティーチェックを抜けて、廊下の一番端。
企画室の、ドアを開ける。
多分美咲は、こう言うはず。
「遅いよ、哲」
ふくれっつらをした美咲の表情の方が、俺には何倍も何倍も大切なんだ。
そう言ったら、美咲
お前
笑う?
怒る?
いや……
――困る、のかな……