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「あれ、美咲に惚れた?」
その言葉に、水沢さんの顔がボンッと音を出すんじゃないかと思うぐらい、急激に真っ赤になっていく。
「いえ、そういうわけじゃなくてっ。いや、その、ホントおねーさんって感じでっ」
慌てて説明する水沢さんを、じーっと見る。
「やっぱりかわいいなぁ、水沢さんて。美咲って、そう呼んでくれてかまわないですよ。ではでは、私は亨くんとお呼びしましょう」
「えっ、いいんですか?」
「じゃー、俺は?」
喜んでワントーン上がった声を出す水沢……改め亨くんに、哲が突っ込む。
「あ、これは哲でいいよ。呼び捨てで。同い年じゃない」
「いや、それは……」
亨くんが困った顔をするから。
哲の頭を掴んで、テーブルに押し付ける。
「哲って呼んでください」
「……みーさーきー」
押さえつけている私の手を掴んで引き剥がそうとする哲に、笑いかける。
「何か文句でも?」
「文句はないけど、お前に怒りは覚える」
「おほほ、そう?」
「やっぱり仲いいですね」
私たちを見ながら、微笑ましく亨くんが笑う。
「「かわいいなぁ、ホント」」
哲と声が被って、大笑い。
「じゃ、俺のことは哲でも哲弘でもどっちでも好きなように呼んで。で、俺は亨って呼ぶけどそれでいい?」
そこまで言って、哲は声を潜める。
「今度飲みに行こうぜー。うるせぇ上司ナシで」
「聞こえてるぞー、瑞貴ー」
斉藤さんてば、よく聞いてるなぁ。
「若者だけの集まりですから、年上は参加できませーん」
「久我も上じゃん」
「――何か?」
冷たい視線を送ると、斉藤さんは目を反らして反対を向いた。
「これぞ人脈作り。他社に知り合い欲しいし、亨って面白そうだし」
哲は楽しそうに携帯を取り出して、カチカチと操作している。
「さすが元営業、手が早い」
「なんかそれ、違う意味に取れる」
そう言いながら、亨くんに携帯を出すように促す。
「なんか……いいんですかね」
まだ戸惑い気味の亨くんに、にっこりと笑いかける。
「亨くんが嫌じゃなければ」
「嫌だなんて、嬉しいです。美咲さん」
その言葉に、ぐっと握りこぶし。
「やっぱ癒されるわ! ぜひぜひお友達になりましょう!」
「久我、何ナンパしてんだよ」
今度は立ち上がってこっちに歩ってきた斉藤さんが、私の頭に肘を置きながら茶化しに来る。
「だって、ホントいい子ですよ。亨くんって。一緒に仕事が出来て、嬉しいなぁ。真崎さんに感謝ですね」
「そっかー、でも僕的には美咲ちゃんを盗られた気分で、なんだか嫌な感じー」
いつの間にか真崎さんまで横にいて。
「俺、見張ってるから平気」
哲は番号を交換しながら、にっこりと笑う。
それを見ながら、間宮さんが一言。
「久我さん、もてもてだね」
「ちょっ……間宮さん……」
一気に脱力。
その時課長が立ち上がった。
少し、大き目の音を立てて椅子を引く。
「それでは用事がありますので、私はここで。企画課、もう少ししたら戻ってきてくれ」
企画課面々の返答を聞いて、久我部長と亨くんに軽く会釈をしてラウンジを出て行った。
その後姿がラウンジから消えて、ぽつりと一言。
「かっこいいですね、課長さん」
亨くんのその言葉に、くすくす笑う。
「無表情だけどね」
「口数少ないけどな」
哲と二人で真面目に言うと、斉藤さんが後に続く。
「でも、あの人だからついていけるよな」
「そうだよね。さ、俺達もそろそろ戻ろう」
間宮さんが席を立つ。
その一言で、全員が席を立った。
久我部長も亨くんも、同じ様に立ちあがる。
「では私達も帰ります。水沢」
「はい」
ぞろぞろとラウンジを出て、エレベーターホールで見送ろうと歩いていたら。
一番後ろを歩いていた私に、ゆっくりと久我部長が近づく。
「あの、久我さん」
―― 一瞬冷たい視線を送りそうになって、小さく唾を飲み込んだ。
ミンナガ、イル――
顔に、何かが貼りつく感覚。
無表情から、にこやかな笑顔に変える。
「はい、なんでしょうか」
一歩前を行く哲が、視線だけこちらに流したのがちらりと見えた。
久我部長は少しほっとしたように、微笑む。
「水沢のこと、よろしくお願いしますね。久我さんと仕事ができて、とても嬉しいですよ」
――ワタシハ、ウレシクナイ
心が、冷えていく。
少し足元に落とした視線を、再び久我部長に向ける。
「それはありがとうございます。水沢さんの事は、久我部長がご心配なさらなくても大丈夫ですよ。私は……」
小さく、息を吸い込む。
「――約束は、必ず守りますから」
久我部長は、目を見開いて表情が固まった。
それを一瞥すると、視線を前に戻す。
すぐにエレベーターホールに付き、久我部長と亨くんは丁度来た下階行きに乗り込む。
「それでは失礼いたします」
頭を下げて挨拶をする久我部長を、私はもう見ることはなかった。