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「まったく、頭にくるよね久我って」
壁に背中をついて息を吐いたときだった。
物置の裏の方から、とげとげしい声が聞こえてくる。
――ぎりぎりセーフ……
口を押さえて思いっきり溜息をつく。
やばいなー、やっぱり怒ってるよ。
めちゃくちゃ怒ってるよ。
少なくとも声からすると、三人以上の集団さんらしい。
多分その中心で息巻いている声の持ち主は、柿沼 清香。
総務部で権勢を振りまいている、入社二年目の二十四歳。
なんでそんな事を説明するかというと。
久我、と呼び捨てにされている私、久我 美咲は入社五年目の二十六歳……いや誕生日が来れば二十七歳の三つも上なのだ。
そこを一応強調しておこう。
三期上の先輩。
しかも同じ会社とはいえ全く職場の違う企画課に所属する私とは、ほとんどといって接点がない。
なのに。
「普通課長を殴る? しかもお腹! こう、拳をみぞおちにめり込ませたんだよ。女じゃないね、久我って」
めっちゃ呼び捨てです。
めっちゃタメ口です。
しかもあたかもそこにいたように仰ってますが、あなたあの時おられませんでしたよね。
けれどそんな私の思いとは裏腹に、柿沼さんヒートアップ!
「なんであんなに手が早いのかしら、あれ、絶対男と付き合ったことないね。優しさのかけらもないって感じ」
――余計なお世話だ。
あるぞー、付き合ったことくらい!
……高校時代……
嫌な事を思い出してぷるぷると頭を振ったら、邪魔くさいと哲に小突かれる。
「なのに加倉井課長ってば、慌てて走り去った久我の事を何にも言わずに、普通にご飯食べに行っちゃって。なんて優しいんだろう」
いや、それは本当に何も感じていないんだと……
柿沼の周りでは、彼女を宥めているのか同意の返事が返る。
「だいたい哲弘先輩もかわいそうよねー、あんなのが幼馴染だなんて。私が代わりたいくらいだわ」
私の隣でその哲弘先輩が、当然のような笑いを見せております……。
――できるものなら代わってくれ。涙流して喜ぶぞ、私は。
「ま、あんな女だから加倉井課長と哲弘先輩の近くにいても、ちっとも気にならないんだけどね。ま、あれじゃねぇ?」
あはは、と勝ち誇ったような笑いが響く。
もういーよー、あれでもそれでもどれでも。
さっさとどっかいってくれー
柿沼はとりあえずいいたいことをいいのけたのか、私の願いが届いたのか、あーすっきりしたとか何とか言って、集団を引き連れて屋上から出ていった。
しーんと静まり返る屋上。
しばらくしてから、三人でふはぁっと息を吐いた。
「なるほどね、俺の幼馴染殿は加倉井課長にボディーブローかまして逃げてきたわけだ」
じとーっと向けられる視線が痛いぜ。
「だって、いちいち冷静に人の神経逆なでるんだもん」
「まぁねー、あれは加倉井課長の方が悪いとは思うけど」
同意してくれた加奈子にがばっと抱きつく。
「だよね? 原因はあっちだよね?!」
「んー、でも手を出した時点で美咲の負け」
勝ち負けなの? ねぇ、勝ち負けなの?
「でもね、こんな幼馴染を持つと、口も手も悪くなると思わない?」
「責任転嫁すんじゃねぇよ」
すかさず同情をひいてみようと思ったけど、哲に一刀両断阻止される。
「ま、なんにせよ柿沼さんには会わないようにしたほうがいいんじゃね? 凄い言葉遣いだな、お前を先輩とひとっつも思ってねぇ」
「お前もだ、哲! お前も私より年下なんだよ。先輩って呼べ、敬語を使え!」
加奈子から離れてびしっと人差し指で指すと、その指をぐにっと曲げられた。
「敬語に値する先輩になったらな」
「いてててて!」
指を押さえて痛がっている私を置いて、加奈子はさっさと梯子で屋上に降りていた。
哲は屋根から直接屋上に飛び降りる。
――むかつくわー、こうなんでもさらっとやる奴って。
「あら、美咲まだそこにいるの? もうそろそろ戻らないと、加倉井課長にまた何か言われるわよ」
加奈子がペットボトルを抱えて、私を仰ぎ見る。
哲は私に背中を向けたまま、加奈子を見た。
「佐和先輩、あんな馬鹿放っておいて戻りましょう」
加奈子には敬語かいっ
私はその場に立ち上がると、狙いを定めて屋根から飛び降りる。
着地点は……、ふふふ……
「おりゃっ」
哲の背中!
「うわっ」
狙い通りに哲の背中に飛びついて、屋上に着地する。
「あらあら、いいマット」
「佐和先輩……」
苦笑いの哲の声。
「うんうん、お役目ご苦労」
ぽんぽんっと背中を叩くと、哲はじろりと私を見下ろす。
「そんなんだから敬語使われねぇんだよ。少しは、佐和先輩を見習え」
「はいはい~と、あっ、本気で遅刻しそうだ! 早く戻ろう!」
哲の言葉を軽く流して、加奈子の手を掴んで走り出す。
「あらあらあら」
屋上から社内に入ると、今までの涼しさが嘘のように暑い。
意外と秋口の方が屋内って、暑い気がするよね。
夏場は冷房がかかってるけれど、九月も終わりだと止められてるから。