5
「遅かったな、久我」
企画室に行くと、課長が間宮さんと話していた。
「ついでにご飯食べてきたんで。間宮さんも残業ですか?」
サンプルの入った紙袋を机の脇に置きながら、パソコンの電源をつける。
「うん、もう帰るけどね。課長はまだやっていくんですか?」
間宮さんは課長から書類を受け取ると、自分の机から鞄を手に取った。
課長は顔も上げずに、コトバだけで答える。
「そこの奴に残るなと言われている」
――
思わず顔だけ課長に向けると、視界の中で間宮さんが首を傾げて私を見た。
「久我さんに?」
やべ……
「いえ、お顔がお疲れだなーっと思いましてね。お早くお帰りになって、お休みされたほうがいいんじゃないかなーっと」
少し可愛らしく人差し指を立てながらどうにかこうにかごまかそうと説明を並べたら、間宮さんがきょとんとしているのが見えて余計に焦る。
だいたい、私、何回“お”をつけてるのやらっ。
「ほら、課長っていつ帰ってるのか分かんないーっ、なんて噂も出ていることですし、ここはいっちょ間宮さんと帰って、帰宅してるのをアピールしてみるとかっ」
「――そんな噂でてるのか?」
冷静かつひくーい課長の声に、ゆっくり頷く。
いえ、柿沼が言ってたのを聞いただけなんだけど。
あいつはこの会社の噂を作り上げてるから、あながち嘘ではない。
「ようするに、お前。俺に帰れって言ってるんじゃないか」
「――広義の意味では」
間宮さんには私の意図が伝わってしまったようで、課長に見えないように口を押さえて笑ってる。
ちっ、ばればれだったか――
「俺といたくないなら、お前が帰ればいいだろう」
そんな的確なお言葉。
「――仕事あるので」
「俺もあるぞ。お前が代わりにやるか?」
「無理です」
「じゃあ我慢しろ」
「……はい」
――くっ、ちくしょう……
「給湯室行ってきます」
課長にそういうと、私は企画室から出る。
後ろから「俺にも珈琲」なんていう、コトバ付き。
ちっ、時間潰して来ようとしたのに。
まぁいいや。せめて、少しでも離れていよう。
出てすぐ間宮さんが後ろから追っかけてきた。
「そんなに、課長と一緒にいるの嫌?」
「……嫌っていうわけじゃないんですけど、なんとなく」
「なら、帰ればいいのに」
「なんか負けた気がするじゃないですか」
並んで歩きながらむすっとした声で返すと、間宮さんは笑いながらお先ねと帰っていった。
その後ろ姿を見送りながら、給湯室に入る。
やかんを火にかけながら、お湯が沸ける間シンクにもたれながらため息をつく。
なんで私って負けず嫌いかな……。
やっぱ帰ろうかな。
なんか、やっぱ、嫌だよね。二人っきりで仕事してんのって。
別に明日残業したっていいわけだし、あぁ、気になったらすぐにやらないとすまないこの性格、どーにかして欲しいわ。
しゅんしゅんと蒸気を噴出しはじめたやかんを火から下ろして、ポットマットに置く。
あー、今までだったら気にもしなかったのになぁ。
二人だけで企画室にいるのとかさ。――課長の奴め。
マグカップを一つ出して珈琲を淹れる。
――うん、帰ろう。
腕時計の針は、十時過ぎを指している。
電車は気にしなくていいし。駅からアパートの間も、まだ人のいる時間。
マグカップを手に企画室に戻る道すがら、言い訳を脳裏に巡らす。
友達と約束? 疲れたので? 目が痛い……腰が痛い……
――急用が出来たから!