君だけを見つめていた 2
side 哲
「……親父さん」
久我部長に、呼びかける。
「さっきの話、引き受けますよ」
それだけ言って、踵を返す。
「ありがとう」
後ろから久我部長の声が聞こえたけれど、俺の目は美咲だけを映していて。
あと一時間もたたずに他の男のものになる美咲を、……まだ独身の美咲を目に焼き付けておきたかった。
まだ、……まだ俺はお前に恋心のまま触れることができる。
俺の方に近づこうとして、佐和に窘められている美咲に向かって歩き出した。
「美咲」
諦めて俺が近づくのを待っていた美咲が、ドレスを軽く持ち上げてにこりと笑う。
「褒めていいよ」
得意げに反らす身体を、本当は抱きしめたい。
俺の為の白いドレスなら、どんなにか嬉しいのに。
「馬子にも衣装」
にやりと口端をあげて笑うと、美咲は「お約束」と噴出す。
こんなやり取りも、幼い時からの俺達だけに通じるもの。
それがあるだけでも、俺は課長とは違う立ち位置で美咲の特別なのかもしれない。
そう思うだけで、幸せな気持ちになれる。
だけど。
「綺麗だよ、お世辞抜きで」
せめて課長より早く、この言葉を伝えたい。
子供っぽい、嫉妬心だとしても。
美咲は一瞬呆気に取られたような顔をして、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「何、哲ってば。素直すぎて変よ?」
動揺しているのか、少し朱のさした頬が可愛い。
「……綺麗だよ、美咲」
本当に、綺麗だよ。
今まで、見た中で一番。
誰よりも――
今だけは、……今だけは素直に言葉を伝えたい――
「や、え……えと、哲?」
一気に顔に血が上ったのか、顔はもとより首元まで真っ赤に変わる美咲が、本当に可愛い。
知らず、微笑む。
……なぁ、課長
――これくらいは、許して。
「てててっ、哲が変だよ。加奈子」
美咲は動揺しすぎてパニックに陥ったのか、隣にいる佐和先輩に助けを求めるように視線を向けた。
佐和先輩は少し困ったような表情を浮かべていたけれど、美咲と目が会った途端、いつものように笑みを口元にのせる。
「まぁ美咲ったら。瑞貴くんが変なのは、今に始まった事じゃないでしょう? それよりも早く控え室に行かないと、加倉井課長の眼光に貧血起こしそうだわ」
その言葉に、さっきまでいた控え室に視線を向ける。
丁度新郎の控え室から出てきた課長が、じっと美咲を見つめながらこちらに歩いてきていた。
「……課長」
美咲が、嬉しそうに呟いた声。
声は届かないけれど、「みさき」と、呟いた課長の口元。
今まで俺だけを映していたその瞳が愛しそうに細まり、課長を見つめる。
佐和が小さく会釈をして、課長を迎えた。
「控え室に、二人で行ってくださいな。皆待ってますから」
「……あぁ」
そう言って佐和先輩から美咲の右手を受け取ると、それを自分の腕に絡ませて俺を見た。
その無表情に、何かしらの感情をのせて。
「課長、オメデトーゴザイマス」
口端を上げて、祝いを述べる。
課長は頷いて、そのまま美咲に視線を落とした。
美咲は俺とのことがあったからか、少し慌て気味にさっきの言葉を課長に伝える。
「どうです? 褒めてもいいですよ?」
――まだ敬語かよ
いや、突っ込むところは、そこじゃないんだろうけど。
課長は少し口を噤んで、ゆっくりと頷いた。
「綺麗、だな」
その声は、とても甘く、低く心に響く。
「じゃ、先に控え室行くね」
嬉しそうに微笑んだ美咲は佐和に小さく手を振って、課長と一緒に控え室へと歩いていった。
後に残されたのは、俺と佐和先輩。
「……困った子、ね」
その言葉には苦笑が含まれていて。
「もう、終わりますよ」
何を、と言わずそれだけを伝える。
「あの時、ちゃんと前を向きなさいって言ったはずなのに」
「向きましたよ、俺。後悔ないですから」
あるとするなら、二年前の俺。
課長が告白する前に、何もアクションを起こせなかった事。
「弟に、なるって言ったのにねぇ」
いきなり後ろから小声で囁かれて、顔をそちらに向ける。
いつの間にか、真崎が俺と佐和先輩の間に立っていた。
「そうありたいと、この一年半、努力しましたよ。美咲には、そう思ってもらえているだろうから、俺的には大成功なんですよ」
家族を感じて欲しかったから、提案した同居。
真崎たちもいてくれたから、充分、そうなれたと思う。
「……成功なの?」
相変わらず俺を見ずに、佐和先輩は呟く。
「……成功ですよ。……俺の気持ちを変えられなかったのは、勘弁してください。もう、二十年近くもあいつだけを見てきたんだから」
「……珍しく、素直」
驚いたような、真崎の声。
その言葉に、肩を竦めておどけたように笑う。
「まぁ、今日は切ない自分に酔うだけ酔って、女々しく心で泣きますよ」
「やっぱり、素直じゃない」
それに苦笑して、俺は歩き出す。
「――もう、終わりますから」
ずっとずっと消せなかった、恋心。
ずっと守ってきた美咲を、俺の手から課長に渡すその瞬間に。




