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「おはようございます」
翌週月曜日。
いつもと同じ時間に、企画室のドアを開けた。
「おはよう、久我さん」
そこには、間宮さんの優しい笑顔。
「いつもながら、早いですね。……あ、そういえば先週の月曜日は寝坊されたとか? 珍しいですね」
ドアを閉めて、自分のデスクに鞄を置く。
間宮さんはニコニコしていた笑顔を一瞬だけ固めて、すぐに元に戻した。
「うん、誰に聞いた?」
――体感温度がマイナスに変化いたしました!
冷たっ。何か、ドライアイスでも何処かにあるような、ひんやりとした……
聞いちゃいけないことだったみたいです。
いや、先週たまたま斉藤さんに聞いただけなんだけど……
「久我さん?」
視線を合わせないようにコートを脱ぎ始めていた私を、冷たい声が呼ぶ。
「あ……、誰、だったか……なー」
なんか、言ったら、斉藤さんが大変なことになりそうです。
忘れちゃったなー、とぶつぶつ言いながら脱いだコートを椅子に掛けてそのまま腰を下ろしたら。
「……俺の声、聞こえてるよね?」
「――!?」
地を這うような低い声が聞こえてきて、びっくりして間宮さんを見る。
間宮さんは相変わらず冷たい笑みを浮かべたまま、私を見ていらっしゃいます。
今の声、間宮さん?!
間宮さんとは思えないんですがっ。
思わずきょろきょろと部屋の中を見回しても、他に誰もいるはずがない。
「で? 誰に聞いたの?」
戻った口調と反比例の冷たい笑顔に、ひきつった笑みを浮かべた。
「……斉藤さんです、すみません」
っていうか、すみません斉藤さん。私は、自分が可愛いいです。
間宮さんは冷気を引っ込めて、そっか、とお笑いになりました。
私から視線を外した間宮さんを見ながら、やっと緊張を解く。
怖いんだって、ホント。
いろんな側面があると申しますが、本当に、……人って奥深いよ。
間宮さんは腕時計を見ながら、まだ皆は来ないか……と呟くと、再び私に視線を向けた。
「久我さん、元気になった?」
……っ
「はっ、はい! あの、ホントいろいろとご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした」
がばっ、と頭を下げる。
先に、私が言わなきゃいけなかったことだ!
間宮さんは笑いながら、いいから、と話を続けた。
「その話は後で聞かせてもらうとして。久我さんにね、俺も謝りたいことがあるんだ」
「……謝りたいこと?」
その言葉に、下げていた頭をぎこちない仕草で上げていく。
「謝られることなんて……、一つもないですよ? 逆に、謝りたいことならたくさんあるんですが……」
思い当たること、一つもない。
間宮さんは申し訳なさそうな表情で、私を見ている。
「久我さんがね、事務の子にいろいろされてた時。久我さんを守ってあげないとって思いながら、その実、昔出来なくて後悔していたことを、やり直していたんだ。久我さんを代わりにして」
事務の子にいろいろって言うのは、その、柿沼のことだよね……?
私を代わりにしてって……やり直しって?
意味が分からなくて、首をかしげたまま間宮さんを見る。
「あの、よく分からないんですが……」
「久我さんが幸せですねって言ってくれた、俺の彼女の代わり」
――間宮さんに鞄をプレゼントした、十年来の彼女?
「あの、もっとよく分からなくなってるんですけど――」
仲、いいよね?
なんたって、週末はずっと一緒にいるって……
間宮さんはデスクに頬杖を着いて、そうだよね、と呟いた。
「俺の彼女……ね、高校の時のいじめが原因で足が少し不自由なんだ。普段生活する分には、平気なんだけど」
その告白は、私の思考を止めた。
いじめが原因……?
間宮さんの表情は変わらない。
「そのいじめの原因は、俺でね。今回の瑞貴の立場。だけど俺は彼女がいじめを受けてること、ちっとも気付かなくて」
知ったのは、彼女が怪我をしたその時。
あの光景は、忘れられない。
「後悔したよ、もっと早く気付けなかったのかって。だから、……あの時に出来なかったことをやり直してたと思う。無意識にでも」
私の為じゃなかったって、言いたいのかな。
でも、それは違うよね。
「やり直しでも何でも、間宮さんに助けていただいたのは事実ですから。いろいろと、ありがとうございました」
間宮さんは目を細めて視線を俯けたけれど、すぐに顔を上げてこちらこそありがとうと笑ってくれた。
「でも、課長と上手くいってよかった。俺も頑張ってみるかなぁ、彼女口説くの」
「だって“彼女”なんじゃ……?」
付き合ってるのに、口説くって?
意味が分からず聞き返すと、間宮さんはPCに向き直ってキーボードを打ち出す。
「怪我を気にして、俺が彼女と一緒にいるって思われててね。なかなか素直になってくれない。もう何年も傍にいるのに、難しいんだよ心の傷は」
肩を竦めて、キーボードを叩き続ける間宮さん。
「久我さんが幸せになってくれて、俺も少し救われた。ありがとう」
「……間宮さん……」
「久我さんに、懺悔。皆には、ナイショでお願い」
少しおどけたような声音は、間宮さんからはあまり聞かないもの。
それだけに、間宮さんの本音だと実感する。
彼女も、間宮さんも、お互いに想い合ってるんだと思う。
でも、お互いがお互いに持つ罪悪感が、なかなか拭えないのかもしれない。
高校時代、学生の世界はとても狭い。
そこで受けた心の傷は、癒すのはなかなか難しい。
哲がらみで私もいろいろあったから、彼女の気持ち、分かる気がする。
けれど、これは私が言うことじゃない。
きっと、分かってることだろうから。




