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沈み行く課長に気付いた加藤くんが、焦ったように口を開く。
「いやっ、でもあのっ。閻魔様とまで呼ばれてる加倉井課長が、あんなセリフ言うとは思いませんでした!! すげ、格好良かったですっ」
後ろで、閻魔様……と真崎が笑いを堪えている声がする。
「っていうか、久我先輩、結婚されるんですかーっっ! おめでとうございます!!」
田口さんが、食器棚に頭をぶつけたまま固まっている私に横から抱きついてきた。
「けっ、けっ……ちょっ、田口さんっ。田口さん落ち着こう!」
自分より身長の高い田口さんを受け止めながら、背中を軽く叩いて落ち着くよう試みる。
「落ち着けませんって! てっきりお相手は瑞貴先輩かと思ってたら、まさかの閻魔様! 難攻不落の加倉井課長、よく落としましたねーっ!」
「おっ、落としてないし!」
「そうそう、落とされたんだよなー」
「哲、黙れ!」
口を挟んできた哲を、おもいっきり睨みつける。
哲は笑いながらカウンターに頬杖をついた。
「ってーかこの二人、凄い根性。課長目の前にして、閻魔連発」
「――」
一気に、しんと静まり返りました。
後輩二人、ちょっと顔が青くなっています。
哲はそんな二人を見ながら、黒い笑みを浮かべた。
「大丈夫、多分聞いてないから。……撃沈してるし。“悪いが俺は嫉妬深い”あたりから」
田口さんから少し離れてカウンターの向こうを除くと、床にしゃがみこむ課長の姿。
「閻魔様も、かたなしだねぇ」
「……黙れ、真崎」
真崎の言葉には、反応するみたいです。
「無表情の閻魔様って噂ありましたけど、意外に情熱的だったんですね。加倉井課長って」
追い討ちを掛ける、加藤くん。
「そのくらいにしてあげよう、な? さすがに今日中に浮上されなくなると、俺が面倒」
哲が苦笑い気味に、加藤くんをやんわり止める。
しゃがみこむ課長の耳は、真っ赤です。
照れてる課長も、レアですな。
「でも、いいなー。真崎先輩、久我先輩と一緒に住むなんて。羨ましい」
身体は離したけれど私の上着の裾を握ったままの田口さんが、口を尖らせてそんなことを言い出した。
「その言い方、凄く語弊があると思う」
田口さんを見上げて訂正しようとしたら、真崎がぽんっと手を叩いた。
「いっそ、皆で住もうか! 瑞貴んちに」
「って、おい!」
漫才のような突込みが、哲から繰り出される。
真崎は頬杖をつきながら、いーじゃん、と笑った。
「僕たち三人だけ、引越し組みなんだよね。部署の他の人間は、今住んでるところから通えるんだけどさ。ここからなら、神奈川まで通えない距離じゃないし。ねぇ、二人とも住みたいよね? 美咲ちゃんと」
「「はい!」」
「って、美咲目当てか!」
突っ込みつつ、哲は楽しそう。
多分、撃沈している間に課長が嫌がる方向へと話が流れていっているのが、面白いんだと思います。
「ほらー、美咲ちゃんがここを出て行く日まででいいからさー。家賃助かる」
「本音は、そこだな」
「私は久我先輩!」
「俺も久我先輩!」
「……もてもてだな、久我先輩……」
幾分ひきつったような表情を、哲は浮かべております。
「ははは……。哲、どーすんの?」
確かに部屋は人数分以上あるけれど、各部屋に鍵もついてるけど、後輩達と哲は面識ないし……。
哲は少し目を瞑って考えた後、あっさりと頷いた。
「まぁいーか。とりあえず掃除・洗濯・料理は分担な」
「そこか!」
「いや、あと一つ。これ重要」
高い身長を少し屈めて、後輩二人に近寄る。
何を言われるかと、少し緊張した雰囲気が流れて。
「俺の本性は、会社でばらさないように」
――
後輩二人は小さく頷いて、ほっと溜息をついた。
「確かに、いつものクールで微笑むばかりの瑞貴先輩じゃないですもんね。ちょっとびっくりしてました」
そう言いながら、加藤くんが人差し指を立てて田口さんを見た。
「そうそう、クールって言うか人の話全部流してるよ? 的な?」
田口さんも人差し指を立てて、うんうんと頷く。
「そこがいい~って同期もいたけど、どこがいい~? 的な?」
「今の方が、人間ーっ、的な」
「誰にも教えたくないーっ、的な」
「「絶対今より人気が出る!」」
二人の会話に若干の疲れを感じましたが、とりあえずギブアンドテイクが成立したようです。
苦笑気味の年上三人を尻目に、後輩達は勢いよく右手を上げて哲に向きなおった。
「じゃぁ、今日から荷物運びます! アパート決まるまでしばらく神奈川支社の仮眠室使おうと思ってたけど、引越し準備だけは進んでるんですよ!」
「私もー」
「僕なんか、もう引越し業者に預けてあるもんねー。電話一つで、瑞貴んちに到着~。ので、このまま居座り~」
加藤くんを筆頭に、手を上げて喜んでます。最後は真崎。
なんか、三兄妹みたい。
ノリが一緒。
哲は呆気に取られていた顔に笑みを浮かべて、面白そうに後輩達を見下ろす。
「じゃぁ後輩達のは、明日、車出すから荷物運ぶか。その前に、今日は部屋の掃除して。空き部屋は、マジで掃除してねぇ」
「どんだけ部屋があるんですか」
哲が加藤くん達を連れて、リビングを出て行く。
何だかんだいって、面倒見がいいねぇ。哲は。
キッチン側からリビングの方に廻ると、まだ撃沈中の課長の姿。
真崎は面白そうにそれを見ながら、哲たちの後を追って二階へと上がっていった。
その後姿を見送りながら、課長の横にしゃがみこむ。
「課長、もしもーし」
「……」
返答は、無し。
首まで真っ赤な課長。見たことありません。
「なんか、昨日から課長の印象変わりっぱなしです」
「……」
「無表情のはずが、なんかいっぱい表情あるし。あんましゃべんないはずが、凄い饒舌だし」
「……」
「なんか、あんな強引な課長、凄いレアですね。会社の人が見たら、驚きますよ」
斉藤さんや間宮さんでも。
「見せるか」
くすくす笑っていたら、やっと課長がしゃべった。
伸びてきた手が、腕を掴む。
「お前以外に、何で見せなきゃならん」
「……課長」
俯いた顔、向けられる視線。
顔、真っ赤。
……やばい、可愛い(笑
頭、撫でたい。
つい、にやけそうになる表情を、かろうじて止める。
だって、怒られれそう。
「皆とここに住むことになっちゃいましたけど、課長、反対します? 嫌がられながら住むのは、さすがに気が引けるので……」
「……週末は、うち」
――はい?
言われたことに驚いて瞬きを繰り返していたら、やっと顔を上げて課長と目が合った。
「お前に対してだけなら、俺は瑞貴を信頼してる。田口もいるし、諦める。ただ条件は一つ、週末は俺のとこに来い」
なっ、なんか――
思わず噴出す。
笑い声を上げた私を、課長は少しふてくされた表情で眉を寄せながら見ている。
「なんか、課長ってば子供みたい」
拗ねた子供のような表情と言葉に、もう、笑いが――
「……だから言っただろ。お前以上に、俺はお前を縛り付けるって」
そのままふぃっと、横を向いてしまいました。
くっ……、頭、撫でたいっ
いけないと思いつつ右手がふるふるとしてきた私の横の開きっぱなしのドアから、真崎がひょっこりと顔を出した。
「もー、場所考えていちゃついてよー。二人ともさー」
「いちゃついてないし!」
慌てて右手をぎゅっと握り締めた私を、くすくす笑いながら見ていた真崎は右の人差し指を階段の方に向けた。
「ほら、自分の部屋掃除しないとね。大家さんが呼んでるよ」
「あはは、哲うるさいからなー。はい、じゃあ行きますね」
そう言って、課長に掴まれている手を外そうとしたら、反対に引っ張られて立ち上がる。
「俺も、手伝う」
「課長? いいですよ、自分で……」
歩き出した課長の後ろをついていきながら遠慮すると、反対は許さない的な無表情が返ってきました。
「お前のことは、俺のことだろう?」
「――!!」
一気に顔に血が上る。
「うわー、牽制しに行くんだ。完膚なきまでに瑞貴を潰す気だー。どこが信頼してんだろ。課長って閻魔様ってか、鬼」
後ろから真崎が、こわーい、とか言いながらついてくる。
私は赤い顔を隠すように掴まれていない手を頬に当てて、苦笑する。
「まさか課長がそんなこと……」
そのまま視線を上げて階段を上る課長を見たら――
にやり
この表現が大変にあっていらっしゃる、黒い課長がおられました。
嬉しいんだけど。
ホント、幸せだなって思うんだけれど。
「人んちで、いちゃつくな!」
二階に上がってすぐの所にいた哲が、思いっきり突っ込んできました。
それをかわしつつ、私の腕は離さない課長。
「ほらね」
呆れたような、真崎の声。
あはははは……はぁ――
――なんか、先が思いやられる気がします――




