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「哲の、おかげ。本当に、ありがとう」
ピクッと、哲の手が震える。
視線を上げると、穏やかに笑う哲の顔。
「よかったな。なんか、いつもの美咲に戻ってら」
ぽんぽん、と軽く叩いて手を下ろす。
前のめりになっていた身体も、さっきのように背もたれに戻した。
「……ぶっちゃけさぁ、話聞いたら落ち込むかとか思ったけど、そーでもねぇや」
「哲……」
なんて言ったらいいのか分からずに、口を噤む。
けれど哲は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「だって、なんか美咲だ」
「え?」
意味が分からず首を傾げると、
「美咲だよ、うん」
と、何か納得したように笑う。
「あとはいっぱい飯食って体調戻せば、完璧だな」
いつもの意地悪そうな笑みじゃなく、他で見せる貼り付けた笑顔じゃなくて。
私に見せる、私だけに見せる幼馴染の哲の笑顔。
こそばゆい気もしつつぎこちなさ気に笑い返すと、哲の爆弾が落とされました。
「で、結婚すんの?」
――
「は!? なんで知ってんの!!?」
大声で叫んで、両手で口を押さえる。
何ばらしてんの私!
知るはずないのにっ
落ち着いてきたはずの頬の赤みがまた復活してきているみたいで、もう、顔が熱い。
今、二月だよねぇっ
何でこんなに汗かいてんの私っ
いやーな汗が額に浮かんで、思わず視線を彷徨わせる。
哲は面白そうに笑うと、知ってるよ、と言葉を続けた。
「だって、課長に言われたんだよ。お前、俺の弟にもなるかってさ」
「なっ……」
あの、課長のヤロウ……
私のいないところで、何、話し進めてるわけ?
内心怒りで沸騰しそうな私だったけれど、実は、哲に頼みがあったり……
言うまで、大人しくしてないと。
こっちの気持ちを知ってか知らずか。
哲はなんか勝手に話しを進めてる。
「んで、いつ籍いれんの? うわー、お前ってば加倉井 美咲になるわけ? えらそーな感じー」
よべねーとぶつぶつ言っている哲に、気恥ずかしい気持ちのまま頭を横に振る。
「まだ、すぐってわけじゃ……」
私の言葉に、意外そうな声を上げる。
「なんで? すぐに入れちまえばいいじゃん。課長はその気満々だった気がするけど」
「いやだって……ほら、向こうの親御さんの事もあるし」
課長のご家族はお父さんと、お兄さんが一人。
お母さんは、課長の小さい頃に亡くなっているらしい。
もういい歳だから何の文句も言われないと、課長からも籍だけでも先に入れようって言われたりもしたんだけど。
それを哲に伝えたら、そりゃお前、と笑われた。
「お前、ほっといたら勝手に逃げ出しそうだもんな。早く捕まえておきたいんだろ」
「私は、何かの獲物か」
そう呟きながら、溜息をついた。
「あのさ。私……昨日、退職しようとしてたんだよね」
「――あぁ」
そっと伺うと、少しも動じていない哲の姿。
「……知ってた?」
「お前の単純思考回路の導き出す答えくらい、二十年以上幼馴染やってりゃ嫌でも気付く」
――可愛くない
まぁ、いいや。
今は、我慢。
「てことはさ、もう一つ、なんか気付くことってない?」
「もう一つ?」
怪訝そうに聞き返されて、なんとなくひきつった笑みを浮かべる。
気付け! 私が言う前に!!
目は口ほどにものを言うというし!
じっと、睨み付けるように哲を見つめる。
哲は最初こそ首を捻っていたけれど、何か気付いたようで一気に表情がこわーく変化していく。
「おっ……お前、お前もしかして……?!」
ぱんっと音を響かせて、両手を顔の前で合わせる。
「哲、お願い! 保証人になって!!」
しーん
リビングの空気が凍りました。
もう、それはがっつりと。
哲は口をパクパクさせていたけれど、溜息をついて片手で額を押さえた。
「お前、本当にこっからいなくなるつもりだったんだな……」
盛大に、溜息をつかれてしまいました。
そんな哲の言葉に、いたたまれない気持ちになって首の後ろに手をやって押さえる。
「いや……、ほら。ちょっと思いつめちゃってたりしてさ。こう、いっそのこと全て終わりにしてやれーっ……と」
「してやれーっと?」
じろり……と、睨む哲弘くん。
綺麗なお顔がお怒りになると、とても恐ろしゅうございます。
ここに加奈子もしくは間宮さんがいたら、もう永久凍土並みに私は凍りつくな。確実に。
「荷物まとめて、アパートの契約切っちゃった」




