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しばらくして、その腕から開放された瞬間、ぺたりと床に座り込む。

慌てたような声で、課長も膝をついた。


「大丈夫か?」


私は両手を床に投げ出して、壁に寄りかかった。

「はい……」

そう言って頭を下げようとしたけれど、なんだかぎこちない動作しか出来なくて思わず苦笑する。

「すみません、力、抜けちゃって」

にへら、と笑うと、課長はほっとした顔をして私の横に同じ様に座った。

「ずっと、気を張っていたんだろう。しばらく、あまり無理しないように仕事するんだな」

まだ、倉庫の片づけがあるし……と続ける課長の言葉を遮る。


「あの……私、月曜日にはこの会社に席無いんです。課長が受け取ろうと取るまいと、退職は上に受理されていますから」

座っているから見えないけれど、課長のデスクに視線を向ける。

そこにあるはずの、茶封筒。


「その、加奈子に……無理を言って、今日で辞めさせてもらう段取りをつけてもらったんです。だから、その……本当にすみません」


早まったことをしたかな、と笑う。

迷惑を、掛けてばかりだ。


「佐和に……か」


課長は少し考えて立ち上がると、さっきデスクに私が置いた茶封筒を手に取った。

そのままビリビリと封を切ると、折りたたまれた紙を中から取り出す。


その姿をじっと見ていたら、中身を確認した課長の口元が緩んだ。


「課長?」


不思議に思って名前を呼ぶと、課長はその紙を私に差し出した。

「なんというか、本当にお膳立てされたような感が否めないな」

首を傾げながら、それを受け取って内容を確認する。

「え……?」

そこには。





――本当の望みは、何?





たった一言。

ただ、それだけ。



「加奈子……」




“美咲の望み、私が叶えてあげる”




屋上で、加奈子が言っていた言葉を思い出す。

会社を辞めさせてあげるとは、そういえば言ってなかった。


もしかしてこうなること、見越してた?

もし、こうならなかったら――私、加奈子をどう思うか分からないのに。

それでも、私の本当の望みを、叶えようとしてくれていたの?





「俺の望みは、お前」

「わっ」


いつの間にか隣に戻ってきていた課長の声に、びっくりして身体が震える。

そんな私の顔を覗きこみながら、楽しそうに課長は言葉を続けた。


「お前は?」

「――え?」

聞かれていることに気付いていつつ、思わず聞き返す。


「お前の、本当の望みは?」



何でそんなに楽しそうなんですかー


というか、ホントあまり、見つめないで欲しい――

頬が赤くなっていくのが、自分でも分かる。




「なっ……なんで、今日はこんなに強引なんですか――」


つい飛び出る、憎まれ口。


「もともと、俺はこんな奴だ」

「う、嘘……」

「嘘ってなんだ。ほら、お前の望みは?」


意地悪そうな笑みを浮かべて、私を覗き込む。

う……、言わないと終わらなそうだな……この問答。



「その、課長、です」

「秘書課長? 営業課長? 管理課課長?」


やっと言った言葉を、課長は楽しそうに言い返してきて。

あの無表情に……、感情の箍が外れかけてもここまで露わじゃなかった。

見たこともないいろいろな表情に、驚かされるより今は悔しさが滲む。



「企画課課長っ」

「ん? どこの会社の?」

「なっ――」



なんなの、この意地悪親父!

拳を握って、じっと下から睨みあげる。




「加倉井宗吾、企画課課長!!」


その言葉の勢いのまま、私の拳は課長のお腹に消えていきました。

「お前、よくこの体勢から……」

課長はなんでもないように硬い腹筋と、とっさに掴んだ手でガードして。

そのまま堰を切ったように、笑い声を上げた。



「ははっ、これでこそ久我 美咲だろ」



クリーンヒットしたボディーブローに一応満足しながら、あまりダメージを受けていない課長の姿に頭に血が上っていく。



「なんなんですか、課長、笑いすぎ!!」


さっきまで凄いシリアスだったはずなのに、何、何なのこの展開!?

課長は拳を口元に当てて笑いをおさめようと頑張りながら、その手を私の背に回した。



「お前が好きだよ、ホント」

「なっ……」

「プロポーズの順番、先に取られたけど」

「……っ」




ぷ……ぷろぽーず……


――  一生、俺の……俺だけの“美咲”で、共に生きていって欲しい ――




脳裏に浮かんだ言葉に、思わず頬が熱くなる。



あれって、えーと……そういう……こと? に、なるよね?



視線を反らすと、課長の手が頭を掴む。

「お前、今更嫌とか言うなよ。なんなら、すぐに籍を入れたっていいぞ」

「は?! なっ、何言っちゃってるんですか!」

何って……、と、急すぎる展開に焦り始めた私をにやつきながら見下ろす課長。


「最初から、そのつもりでお前を口説いてたんだ。俺にとったら、急でもなんでもない」




だから――


課長の目が、真剣なものに変わった。







「俺と、結婚してくれ」







マンガとかドラマとか、そんな世界のことだと思ってた。

こんな状況。




少し、逃げ出したい気持ちも、まだあるけど。



素直に、なれるよね?

大切な人を、大切と言える自分に……なれるよね?


哲に、気づかせて貰った気持ち。

哲を傷つけて、手に入れた心。

課長が、一番大切だって、その真実。

ちゃんと向き合おうと、そう決めた。


それなのに、自分に負けて。

逃げようと思った。

哲から。企画課や大切な人達から。


――それ以上に課長から



それなのに課長は、私を嫌わないでくれた。

好きになれなかったって、言ったのに。

見ると諦められなくなるからっていう自分勝手な感情で、ずっと避けていたのに。


見捨てないでくれた。




こんな面倒な私を……


――受け入れてくれた――





一度目を瞑って、気持ちを落ち着かせて。

そして、課長の目を見つめる。

そこに映る、自分。

さっき、倉庫のガラス窓に映った自分とまったく違って見える



辛かったけど、今でもまだ忘れられないけれど。

きっとあの事があったから、今の自分がある。

それは事実で。

受け入れるべきは、自分自身。



これが、私。

これが、久我 美咲。




こんな私と、一緒に生きていってくれるというのなら――



こんな私を、求めてくれるのなら――






課長を見つめていた目を少し細めて、ゆっくりと頷く。






「はい」






課長の両腕が、私を強く抱きしめた。





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