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加奈子は、昼休憩を終えて屋上から出て行く美咲を座ったまま見送った。
今日はこのあと、会長に従って神戸に一泊の出張を控えていて、その出発の時間までフリーだった。
階段に腰掛けたまま、両手を後ろについて背を反らす。
そのまま、にこりと微笑んだ。
「私の意図は伝わるかしら? 盗み聞きくん」
途端、気まずい空気の流れる屋上。
「あら、私から逃げようとしても無駄だって事、分からないあなたじゃないわよね?」
じゃりっ、とコンクリートを踏みしめる音が微かに聞こえてきて、笑んだ口元をさらに引き上げる。
「瑞貴くん?」
見上げたその物置の屋根の上、ひょこっと瑞貴が顔を出した。
「ばれてましたか」
そのまま身を乗り出すと、コンクリを蹴って佐和の座る階段の前に降りる。
加奈子はそらした上体を戻すと、床についていた手の汚れを払った。
「そこがあなたの定位置になったんだものね、あの時から」
「……佐和先輩、鋭いなぁ」
片手で首元を押さえる後輩に、加奈子は目を細める。
「で、あなたは何を企んでるのかしら?」
「多分、佐和先輩と同類じゃないかと」
「担当は、課長?」
「佐和先輩は、美咲って事ですね」
言葉の掛け合いのような会話に、自ずと笑みが零れる。
「瑞貴くん、あなたはそれでいいの?」
俯いても身長が高いだけに表情が見えてしまう可哀想な後輩を見上げながら、やはり寂しそうだと加奈子は感じてつい聞いてしまった。
答えなんて分かっているのに。
案の定、瑞貴は笑顔を貼り付けて顔を上げると大きく頷いた。
「いいんですよ。はっきりしてくんねーと、俺だって前に進めない」
まだ、この子の心は、美咲に向いているのに。
冷たいことを言ってしまったと、少し後悔の念を抱かせた。
瑞貴の、健気にも見える反応に。
「かわいいわね、本当に」
「は? かわいい?」
誰が、俺が? と一人突っ込みを始めた瑞貴を微笑ましく見ながら、加奈子は立ち上がって歩き出す。
「私には弟も幼馴染もいないから、瑞貴くんの気持ちは分からないけれど。頑張りなさい、おねーちゃんの為に」
横を通り過ぎていく加奈子に、瑞貴は自嘲気味な笑みを零す。
「ホントは、結構きっついんですけどね」
その言葉に、思わず足を止めて斜め後ろの瑞貴を見上げる。
「俺の付け入る隙、自分で潰してるって事、理解してるんですけどね」
冷たい風が、加奈子の髪を揺らす。
大きなはずの瑞貴が、とても小さく見えてなんとなく目が逸らせなかった。
肩を竦めていた瑞貴が、そのまま両手をスラックスのポケットに突っ込む。
「あいつの笑顔が見たいからとかそんなこと思う俺って、ウザイ奴かもしれねぇけど……」
最初、加奈子は顔だけを向けて話を聞いていたけれど、ちゃんと瑞貴に向きあった。
じっと、見上げる。
「……俺、まだあいつのこと好きですよ」
美咲も、加倉井課長を好きな気持ちを持ったまま諦めようとしている。
逃げ出すことで。
瑞貴くんも、美咲を好きな気持ちを持ったまま諦めようとしている。
逃げ出さず自分で退路を断ちながら。
好きなまま、美咲の幸せを願ってる。
きっと、心の中はそんな綺麗ごとなんかじゃ推し量れないんだろうけれど。
加奈子はゆっくりと右手を伸ばして、瑞貴の髪に触れる。
俯いていた瑞貴は、少し驚いたようにぴくっと反応した。
「あなたは、強いわね。誰よりも強いわ」
「……そんなことないっすよ」
一瞬顔を赤くした後、否定するように苦笑する瑞貴の頭をもう一度撫でる。
「でも、抱え込みすぎちゃ駄目。美咲にとってあなたが弟なら、私にとってもそう。話したいことがあるなら、……美咲に言えないことがあるなら、私を頼りなさい?」
真っ赤になりながら幾度も瞬きを繰り返す瑞貴を、目を細めて見つめる。
「美咲のことが上手くいったら、さっき自分で言ったように……。瑞貴くん。あなたも前に進みなさいね。幸せになれるように」
瑞貴の髪から離した手で背中を軽く叩くと、加奈子は綺麗に笑う。
「上手くいくことを願うばかりね。それじゃ……」
そう言って離した手を二・三回ひらひらと振って、加奈子は屋上から出て行った。
屋上と社内を隔てたドアが閉まる音が聞こえてきて、瑞貴は思わず脱力して座り込む。
なんでこんなに鋭いんだろう……と、呟いた。
「さすが、佐和先輩。人の感情を読むのに長けていらっしゃる」
頭の中はそれはもう、複雑な心境で。
一番欲しかった言葉をくれた加奈子に、瑞貴は内心嬉しさを滲ませながらも苦笑した。




