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13

一度目を瞑って、気持ちを落ち着かせる。


「先輩?」

その声に、にこりと笑ってみた。


うん、大丈夫。

私、笑えてる。


「ね、田口さん。ノートPC、使っても大丈夫?」

彼女の机には、今使っているデスクトップとは別に持ち運びようのノートPCが脇に置かれていた。

電源は切れているらしく、トップも伏せられたままだ。

「え? 構いませんが……?」

いきなりノートPCを貸せだのといわれて困惑している田口さんを尻目に、手を伸ばしてそれを引き寄せる。

そのまま床に座り込むと持って来たダンボールを机に、ノートPCの電源を立ち上げた。



「この資料、私やっちゃうから。田口さん、他のに手をつけてていいよ」

その言葉に焦ったのは、田口さん。

座っていた椅子から飛び降りて、私の前にぺたりと座り込む。

「わわっ、私、愚痴り過ぎました? あの、私やりますからっ。すみませんっ」

しょぼんとしたその態度に、思わず私のほうが謝りたくなる。



「……パンツ、見えちゃうよ」

にたり、と口端をあげて意地悪く笑みを浮かべると、一瞬両手でスカートを押さえた田口さんはガバッと顔を上げてきらきらとした目で私を見る。

「久我先輩になら!」

「あほか」


そんな彼女の後ろからがっつりと頭を抑え込んだのは、少し離れたところにいたはずの加藤くん。



「何の話をしているのかと思ってきてみたら、何その変態発言」

「うるさいな、加藤に見せるのは却下だからあっちいけ。先輩との間を邪魔するな」

「まったくいいコンビねぇ。向こうでも、仲良くやりなさいよ?」



掛け合い漫才のような二人の姿に、ついそう本音を漏らすと、

「「仲良くない!」」

二人に怒鳴られました。



いや、仲いいって。



私は携帯を取り出すと、昼休憩の終わる十分前にアラームをセットする。

加奈子は一時過ぎに来るって言ってたから、待たすことはないし。


「っていうか、私ずっと倉庫の片づけしててさ。違う事したいのよ。だから手伝わせてくんないかな。昼休憩が終わる前には出て行くから」

手に持った資料を軽く振って、加藤くんと言い合いをしている田口さんに声を掛ける。

「でも……」



それでも困惑したような表情を崩さない、田口さん。

なら――


「その代わり、倉庫でファイル見つけたらまた戻すのお願いしていい?」

拝むように片手を挙げると、田口さんの表情がやっと和らいだ。


「ホントすみません、じゃぁお願いできますか?」

「うん、ありがとう」





お礼を言いながら新規作成画面を開く。

すぐに書式を設定して、データ入力始めた。

田口さんと加藤くんも、それぞれの席に戻って入力作業を再開したらしい。

しんとした空気が流れる。



高校卒業と共に自分を守ってくれる人がいなくなった私は、とにかくこれからどう生きていこうか、そればかり考えていた。

大学の始めのほうはとにかくお金がないと困るから、倉庫や引越しとか、割のいい体力仕事をこなして貯金を貯めて。

そして、生活が落ち着いた頃から、取れるだけのスキルを身につけていった。


大学の友人からの遊びの誘いをやんわりと断りながら、通信講座や市でやってる無料講座に通って。

光熱費を浮かせるために、大学の空き教室や図書館を使いながら。


だから、データを纏めるのも得意。

ブラインドタッチ・テンキーだけじゃなく、DTPもAccessも、とにかく出来るだけ多くのスキルを身につけた。

そのために、一般事務のアルバイトにも行ってたし、大学の教授に無理いって教えてもらった事もある。



だから、私の事務処理能力は、低いはずはない……と、自負、したい。



無言で床に座ったままデータを纏める私の視線の先には、田口さんから借りた資料。


田口さんが、今朝、真崎から回されたというその資料は。


一昨日、真崎が手直しをするからと言って持っていったもの。

来週の火曜日には、渡せるといったもの。



私の仕事だったはずのもの。



さっき受け取った時に確認したけれど、手書きで直されている場所はない。

手直しした後、もう一度プリントアウトしたってこと?



――ありえない



もともと真崎から渡される資料には、手書きで直されている箇所がいくつかあった。

この資料だけ、違う方法で直したとは思えない。



頭の中でいろんなことを考えながら、目と手は意識とかけ離れたところでどんどんデータを纏め上げていく。




――なんか……、気を遣ってもらってます?



資料を手直しすると言いに来た真崎に、聞いた言葉。



――別にぃ~? なんで僕が美咲ちゃんに気を遣わなきゃなんないのさ。面倒くさい



本当に面倒そうに、まるで自意識過剰だよと言わんばかりに首を傾げた真崎。






私の仕事を、他に回して。




――僕の方は意外と早めに終わりそうだから、大丈夫そうだよ




そんな嘘を、さも当然のように私に伝えて。


私を、楽にしようとしてくれている。

仕事には、容赦のない真崎が。

弱い、私の為に。


……弱い、私の所為(せい)で――



気付かれないように、視線を田口さんに向ける。

本当に焦っているようで、一心不乱に資料と睨めっこしている。


その机の上にある未処理書類を入れるトレーには、厚さが測れそうな紙の束。


多分、急遽決まった異動に付属する、引継ぎ書類を作成しなきゃいけないはず。

トレーにあるのはその規定用紙だと、自分が異動した時の事をぼんやりと思い出す。


それはきっと、田口さんだけじゃなく加藤くんも。


もしかしたら営業や広報から集まる新規部署所属社員に内定している人たち皆が、こんな状態なんじゃないだろうか。


「……」


自分の考えに、ぞくりと背筋に悪寒が走る。



本当は、私が請けるはずだった仕事を、引継ぎで忙しくなっている異動予定の彼等に振ってる。

私は……、私のこの状態は、一体どれだけの人に迷惑をかけてる……?



キーボードを打つカタカタという音が、耳にやけにこだまする。

いつもは好きなその音が、どんどん自分を追い詰めていく。



私の知らないところで、一体どれだけの人に迷惑を……



「……っ!」


いきなり音楽が鳴り出して、身体をびくつかせる。

つい振り上げた手に当たった携帯が、床に落ちたまま同じ音楽を奏でていた。


「……あ、携帯の……」


目を幾度か瞬かせてから、落ちた携帯を拾い上げる。

画面には、さっきセットしたアラームが、時間が来た! と主張するようにデジタルの数字を映し出していた。



「うわ、もう終わったんですかぁ?」

同じ様に少し驚いた様子の田口さんが、椅子の上からノートPCの画面を覗き込んだ。

私が呆けている間に、私の目と手は資料をちゃんとデータとして纏め終えていたらしい。


数ページある資料を捲っていたことさえ、気付かなかったけれど。


「ぱぱっと、見直しだけしちゃうね」


内心少し焦りながら、資料を片手に纏め上げたデータを確認する。

たまに、てにをは、が間違っていたりしたけれど、大きなミスもなく纏め終えていた。

それを保存して、田口さんに戻す。


「じゃぁ、これネットワークフォルダに入れておいて。無理言ってごめんね」


床から立ち上がって、ズボンについた埃を軽く掃う。

田口さんはぺこぺこと頭を下げながらも、感謝の表情で管理課を出る私を見送っていた。



その視線に、……私は身を竦める。


感謝なんて……、されるべきじゃない。

その仕事は、本来私のもの。

私の所為で、しなくていい苦労をさせられているんだから。




エレベーターに乗って、屋上へ向かう。



優しさなんだ。

これは、気を遣ってくれているんだ。


そう、頭の中で繰り返しながら。



仕事でも役に立たない、それ以上に他人に迷惑をかけている自分。


……どうしよう……

私の居場所が……見つけられない――




甘ったるい笑顔の、真崎。

何で美咲ちゃんに気を遣わなきゃなんないのさ……と、面倒そうに首を傾げていた真崎。


あの言葉が、嘘で。


実際、私を守るための嘘で。



私の為だと、分かっても――




何を信じればいいのか


誰を信じればいいのか




課長も哲も、斉藤さんも間宮さんも。


皆、私に気付かせないように、嘘をついていたら……?





嘘で塗り固めた私が、皆を疑うことなんて出来ないって分かってるのに――





六階でエレベーターを降りて、階段で屋上に向かう。


胃が痛くて、何も食べたくなかった。

カーディガンを、無意識に握り締める。



ただ――



無性に、加奈子に会いたかった。


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