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「え? まだ出来てないんですか?」
「あはは、ごめんねぇ」
翌朝企画課に向かう前に、広報部にいる真崎に纏める資料を貰おうとしたら、
申し訳なさそうな笑顔が待っていました。
一昨日手直しをすると言った資料が、まだ出来ていないとの事。
とりあえず来週の火曜には出来ると思うけど、と他の仕事もないことを先に言われてしまいました。
「倉庫の整理、結構時間かかりそうなんでしょ?
僕の方は意外と早めに終わりそうだから、もう大丈夫だよ。斉藤の尻拭いを思いっきりやっちゃって」
「そうですか? じゃぁ、何か用が出来たら呼んでください。
あれだけ残業続きだったのに、よかったですね。終わりが見えてきたのなら」
真崎は嬉しそうに頷くと、差し入れ~、と明るい声で紅茶のティーバッグの入った缶を私に差し出した。
「そろそろ僕も片付けに入らなきゃいけなくてさ。それ、あげるから飲んでね」
ひらひらと手を振る真崎にお礼を伝えて、広報部を出た。
そっか、あと一週間と少しなんだ。
真崎がここを出て行く日は。
こっちに来た時は面倒だなぁって思ったけれど、あの甘ったるい顔に助けられたのも事実。
いなくなるのは、寂しい気もするけれど……
サラリーマンじゃぁ、仕方ないことだもんね。
私も、一生懸命、仕事をしよう。
課長も哲も自分から遠ざけた私には、仕事しか残っていない。
それさえも出来ない私じゃ、ここにいる意味がなくなってしまう。
そうよ、こんなことなんでもないっ!
ぎゅっと、右手で握りこぶしを作る。
今までだって、辛いことたくさんあった。
それを、乗り越えられてきたんだから、今回だって大丈夫。
もう終わったことをうじうじ悩むのは、私らしくない。
ていうか、もう悩むこと自体に疲れる!
企画室に荷物を置いて、倉庫の片付けに取り掛かった。
始める前から感じてはいたけれど。
「どーやったら、ここまで汚くできるの?」
お昼近くになってへとへとの私の口からは、そんな言葉しか出てこなかった。
午前中一杯掛かって、崩した山はたったの二つ。
気合を入れて取り掛かった割りには進まない状態に、溜息どころか思わず笑いが漏れてしまう。
しかも――
ゆっくりと振り返って、壁際に視線を向ける。
そこには、一抱えあるダンボールに入れてあるファイルの山。
全部、商品管理課用のファイル表紙。
だから、斉藤さん……
一体、どれだけ持ち込んでんのよ。
まだあるとしたら、持って行くのが面倒だよね。
本来ならここにあってはいけないもの。
あまり大量のファイルを管理課に持っていったら、斉藤さんの行状がばれてしまうことになりかねない。
いや、いっそのことばれて反省すればいいんじゃないか……なんて考える私。
間宮さんの思考に染まってるかしら?
邪魔だからとはずした腕時計を手に取ると、十二時を少し過ぎたところ。
加奈子から一時に休憩に入るってさっきメールがはいったから、今のうちにファイル、管理課に持って行っちゃおうかな。
休憩に入りたてなら、残っている人も少ないだろうし。
最悪誰もいなきゃいないで、昔所属していた部署。
勝手知ったる場所だから、さっさとこっそり返してしまおう。
一度両腕をあげて全身を伸ばすと、掛け声をかけてファイルの入ったダンボールを持ち上げた。
久しぶりに訪れる四階の商品管理課は、昼休みということもあって思った通り閑散としていた。
フロアに残っている少ない社員の中から、顔見知りの後輩を見つけて傍による。
「田口さん、元気? お昼まで仕事なの?」
管理課時代の後輩の田口さんが、一心不乱にキーボードを叩いていた。
顔を合わせるのは、真崎の歓迎会以来だ。
私の声に、ぱっと顔を上げると彼女は満面の笑みを零す。
が、すぐにその表情が曇った。
「久我先輩……、先輩は……お元気ですか?」
心配そうな声音に、微笑み返しながら頷く。
「えぇ、元気よ。あのね、うちの倉庫からファイルが出てきたものだから届けに来たの。後ででいいから、管理課の倉庫に入れておいてくれないかな」
できれば内緒でと小さな声で伝えると、ずいぶん古いものですねぇと、空いているスペースにそれを置いた。
「うん、うちの先輩が持ってきちゃってたみたいで。私の二つ上なんだけど、もともと管理課にいたものだから」
「って、それ……斉藤先輩ですか? 真崎先輩の同期の」
私の言葉に少しうんざりしたような表情で、田口さんが問い返してきた。
「それはそうなんだけど……」
なんで、真崎の名前……?
私の疑問を感じたのか一度開こうとした口を、少し逡巡して噤んだ。
その態度に、答えが浮かぶ。
田口さんの耳元に口を寄せて、ぽつりと呟いた。
「……それって、新規部署絡み?」
確か田口さんも、新規部署のメンバーに入っていたはず。
彼女は私の言葉に、がばっと顔を上げた。
驚きで見開いた目と、縋るようなその表情に思わず笑みが零れる。
「先輩知って?」
「えぇ、関係者ではないけれど少し仕事を手伝ってるものだから」
彼女は泣きそうな表情で、私のカーディガンを掴んだ。
もうそれは、縋るような必死さで。
「誰かに話を聞いてもらいたかったのに、誰にも言っちゃいけないって言うからぁ……」
情けない表情に、思わず頭を撫でる。
「ストレス溜まっちゃったの?」
「はいっ」
まるで挙手でもしそうな勢いに、苦笑を落とす。
そうだった。
負けん気が強くて前向きな子だけど、甘えん坊なところがあったんだわ。
田口さんはがっつり私の方に向き直ると、横の席の椅子を私に勧めた。
「だっていきなり異動だからとか言われてテンパッてるのに、もう仕事が回ってきたんですよーっ? まだ私管理課なのに、早すぎだと思いませんかぁ?」
あらら、真崎も一杯一杯なんだろうな。
あれ? んじゃ、さっき言ってたのはなんなんだろう。
早く仕事が終わりそうとか言ってなかった?
「なのに誰にもその愚痴も言えず、やってることはナイショにしろとか。しばくぞコラって感じでーっ」
かわいい顔と口の悪さの、ギャップはある意味ステキだわ(笑
「今日の朝だってがっつり仕事回しやがって、あの甘ったるい顔、一度殴り飛ばしたろか……」
「はいはいストレス溜まりすぎだから、田口さん。言葉怖いわよ~」
そう言ってもう一度頭を撫でると、少し焦ったよう手を振る。
「久我先輩には、絶対向けません♪ こんな言葉」
てへ☆ みたいな雰囲気だけど、目が怖いから。マジで。
私は彼女の手元にある資料に、視線を向ける。
「この資料、データ化するの? 私も同じ事やってるのよ」
そう言って、その資料を手に取った。
田口さんに仕事を回すなら、私に回せばいいのに。
この様子だと、加藤くんも既に使われてるんだろうな。
そう思いながら視線をあたりに廻らせると、案の定、PCと向き合う加藤くんの姿が見える。
彼も話に加わりたそうに、ちらちらとこっちを見ていた。
くすくすと軽く笑いながら、手に取った資料を見た途端。
「――これ……」
私の呟きに、田口さんが反応する。
「どうしたんですか?」
手元を覗き込む彼女の横顔を視界に入れながら、一瞬真っ白になりかけた意識を強引に引き戻す。
これ……
この資料は……




