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「みーさきちゃん、いる?」
哲が出て行ってしばらくして。
真崎さんが、企画室に入ってきた。
ドアを開けるなりそう声を掛けた真崎さんに、苦笑いしながらPC画面から顔を上げる。
「他の人がいたらどうするんですか、確認してから声を掛けてくださいよ」
真崎さんは気にもしないそぶりでドアを閉めると、私の手元を覗き込んだ。
「結構進んでるねぇ、どれどれ」
私の手から、資料を取って数枚あるそれを捲り始める。
私は纏めていたPC上のファイルを上書き保存してから、真崎に視線を戻した。
「今日中には、頂いた資料のデータ化終わりますよ。明日纏めるもの、用意しておいてくださいね」
「んー」
真崎は相変わらず資料を捲ってる。
貰う時に確認していたはずなのに、何をそんなに見る必要があるんだろう?
真崎の行動に疑問が浮かび始めた時、やっと顔を上げて頷いた。
「美咲ちゃん。これね、少し直すところがあるから。今日はここまでで終わりにしてもらっていい?」
「え?」
直し? こんなちゃらくても仕事だけは出来る真崎が、私に渡した後の資料で直すところがある?
怪訝そうに問い返すと、真崎は一番上のページだけクリップからはずして私に手渡した。
「ここまでは大丈夫だから、お願い。この後は手直ししてから渡すから、明後日まで待ってくれるかなぁ」
明後日?
「じゃぁ、明日は……」
「そうだなー、のんびり斉藤の尻拭いでもやってよ。んで、夜ご飯一緒に行かない?」
「え? えと、別に……いいですけど――。真崎さん、忙しいんじゃ……」
連日残業って……
「たまには僕も息抜きしたいしさぁ、いいじゃない。夜くらい、付き合ってよ」
ね? と、いつもの甘ったるい表情で笑みを零す真崎を見上げる。
「――なんか……、気を遣ってもらってます?」
「別にぃ~? なんで僕が美咲ちゃんに気を遣わなきゃなんないのさ。面倒くさい」
手に持った資料を脇に挟むと、空いた右手で私の頭を軽く叩く。
本当かなぁ……、なんか哲が何か言ったとかないかなぁ。
思わずじっと、見つめていたら。
「美咲ちゃん、そんなに見つめないで~。ついついっ」
そのまま両腕で私の頭を抱きしめる。
「構いたくなっちゃうじゃない~っ」
「真崎さ……っ、んぐっ」
顔面を真崎の胸に押し付けられて、息苦しさに背中を叩く。
苦しい苦しいっ
すると、大笑いしながら私から離れて、脇から落ちた資料を拾い上げた。
「何、勘繰ってんのさ。素直じゃないんだからぁ~」
にやにやと甘ったるく笑う真崎を叩こうと振り上げた腕は、あっさりとかわされて。
その腕をぎゅっと掴まれた。
「明日、なんかおいしいもの食べようね?」
「……真崎さ……」
「じゃ、また明日」
私が口を開いた途端、真崎は腕を離してそのまま企画室を出て行ってしまった。
あとに残された私は、とりあえず椅子から浮かせていた腰を下ろして
掴まれた場所を反対の手で押さえた。
勘繰り? 私、考えすぎ?
確かに真崎は、仕事になると結構容赦ない。
わざわざ、仕事を遅らせるようなことはしないはず――
ふぅ、と一つ溜息をこぼす。
諦めようとか言いながら、自分が一番気にしてるんだよね。
両手を頬に当てて、少し強めにぱちりと叩く。
「さって、じゃぁ残りをさっさとやっちゃいますか!」
一枚だけ手元に残された資料を手に取る。
ここまでって言いながら、ほとんどテキストのないグラフをスキャニングするだけのページ。
斉藤さんのデスクの横にある複合機で、取り込めばそれで終了。
やることがないから、もう、帰るだけ。
複合機でグラフを取り込んだ後、自分のPCに送信して、さっき上書き保存しておいたファイルに加えるだけ。
一分も掛からず、終了。
ファイルをネットワークフォルダに入れて、……やることがなくなった。
PCの電源を落としながら、腕時計を見る。
まだ八時過ぎ。
ここを出てしまうと、九時前にはアパートに着いてしまう。
惰性で、鞄に小物を突っ込みながら帰り支度をする。
ものの数十秒で、それも終了。
企画室を見回したって、別に何もすることはなく……
かといって、何もすることがないのにここにいても仕方ない……よね。
溜息を零して、私は家路についた。
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適当についているテレビからは、ニュースを読む女性アナウンサーの声が流れていて。
リビングにある椅子には座らずに、端においてあるクッションを抱いて隅に背中をくっつけるようにしてもたれていた。
最近あまり受け付けない食べ物を、水で流し込むように胃におさめたのは一時間前。
食事の前に浴びたシャワーで濡れている髪の毛は、乾き始めていて。
何をする事も出来ずに、時間が過ぎるのを私はただ待っていた。
私、いつも何してたっけ。
会社から帰ってきて。
ご飯食べて、お風呂入って……それから?
掃除……とか、整理とか――
何かしたいと思いながら、家にいるとたまらない気持ちになってくる。
しなきゃいけないことを、していたい。
追い詰められるくらい、何かをしていたい。
なのに、何もすることがない。
仕事、していたいのに。それも、ない。
明日一日、私は何をしていれば?
真崎と食事に行って、そのあと何をしていれば?
職場にいるときはあんまり考えなくても大丈夫なのに、一人になるとこの体たらく。
皆の前で笑顔でいようとすればするほど、一人の時の反動が酷い。
床に置いた、アルコール度数の強いお酒の缶。
それを手にとって、ゆっくりと口に含む。
寝てしまおう、何も考えたくないから。
何もすることがないなら。
寝てしまおう……
これを何回か繰り返せば、……いつかこの状態が終わるかもしれないから――




