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企画室に戻ると、そこには哲と斉藤さんの姿。
金曜日なので、間宮さんは定時に上がったらしい。
さすがの、段取りです。
尊敬ものです。
「おかえりー、二人とも」
斉藤さんが両手を上げて、身体を伸ばしながら欠伸をしていた。
「そういえば斉藤さん、仮眠室出勤でしたっけ。今日」
始業間近にいつも出勤してくる斉藤さんが、今日は私よりも早くここにいて間宮さんと話しながら朝ごはんを食べてたから。
伸び上がった身体を元に戻すと、涙の浮かんだ目を私に向ける。
「そうそう。久しぶりに頑張ったのはいいんだけどさぁ、ねむいったらありゃしない」
その後ろをすり抜けて椅子に座った課長は、パソコンを立ち上げながら小さく溜息をついた。
「寝るなよ、斉藤。寝たら、仮眠室泊まった意味がない」
同じようにパソコンを立ち上げながら、その言葉に苦笑い。
斉藤さんは、分かってますよと呟いて欠伸を一つ。
「でも、欠伸までは止まんないんですよ。さぁて、あと少し。頑張るかなぁ」
あまりやる気の見られないような声音に、思わず哲と顔を見合わせる。
そこで、哲の視線が止まった。
「どうした? 具合悪いのか?」
心配そうな声に、びくっと肩が震える。
「……そう見える? 亨くんにも言われたんだけど、少し貧血気味なだけよ。たいした事ないわ」
おかしくない声音で、それに答える。
哲は視線を課長に一瞬向けて、すぐに戻した。
「それならいいけど、貧血気味ならもう帰れば? 送ってくよ」
俺、車で来てるから……、そう続いた言葉を頭を振って断る。
「ぜんぜん平気。心配性ねぇ、哲ってば」
「美咲……」
私を呼ぶ声に、笑みを返す。
哲はこれ以上言っても無駄と思ったのか、息を吐いて椅子の背もたれに体重をかけた。
「厳しそうなら、明日無理しなくていいからな? お袋、何もずっと帰らないわけじゃないんだし」
「明日? なんかあるのかー?」
私たちの話しを聞きながらキーボードを打っていた斉藤さんが、画面から視線を上げて私たちを見た。
「うちのお袋が仕事の関係で明後日には海外に引っ越すもんですから、明日美咲と会いたいっていわれてて。っていうか、俺的には庭掃除やらを手伝ってもらおうかという画策があったんだけど。無理そうだな、その様子じゃ」
最後は私に向けられた言葉に、眉を顰めて抗議の声を上げる。
「嫌よ、哲んち広いんだもの。掃除なんてしたくないよ」
「え、そんなに瑞貴んちって広いの?」
がっつり話しにのってきた斉藤さんに、哲がにやりと笑って右の人差し指を立てた。
「夕飯ご馳走しますんで、大掃除の手伝いに来てもらえませんか? もちろん、豪華な食事!」
「まじで!? いくいく、豪華な食事!」
目をきらきらとさせながら、斉藤さんが右手を高く上げて賛成。
哲は視線を仕事を始めていた課長に向けて、課長は? と呼びかけた。
「あ? 俺が行っても、役にたたんだろう」
「いえいえ、男手はいくらあっても嬉しいっすよ」
嬉しそうに言う哲から視線をはずして、課長は私を見た。
「そんなに、こいつんちはでかいのか?」
私はそれに頷いて、苦笑する。
「広いですよ、百坪はゆうにあるんじゃないですかね。庭に三軒位は家が建ちそう」
「は!? 百坪!!」
課長じゃなくて、斉藤さんが大きな声で叫んだ。
「百坪っていうか、それ以上。そこにこれから俺一人で住むんすよ。でかすぎですよねぇ」
百坪以上あったのか……、確かにでかい家だとは思っていたけれど。
課長も驚いたのか動かしていた手を止めて、珍しそうに哲をみた。
「まぁ、手伝いになるなら行くのもやぶさかではないが、お前の母親、明後日の日曜日に向こうへ行くんだろう? そんな時に、初対面の俺たちが行っても大丈夫なのか?」
課長の言葉に、思わず頷く。
あぁ、そうだよね。
準備とかそういうの、やりづらいんじゃ……
哲は、なんでもないように頭を振った。
「今までもいない時が多かったですからね、慣れっこですよ。こっちこそ来て貰えると、すげぇ助かります」
ものすごい愛想がいいのは、確実に作業員と考えてのことだな。
中学生の頃に大掃除手伝っていた事があったけど、窓を拭いたりするだけでも結構大変だったもの。
斉藤さんは携帯を取り出すと、必要なら……と哲を見た。
「真崎にも連絡してみるか? あいつ、絶対飯に食いつくぜ」
「まじっすかー、頼みます!」
にこにこと笑う哲に、素朴な疑問。
「あれ、哲って真崎さんのこと苦手じゃなかったっけ?」
確か、すごい敵視していた気がする。
「何言ってるんだよ、美咲。働いてくれるなら、嫌いだろうが苦手だろうが、俺に取っちゃあいい人さ。その時だけはね」
「黒い……黒いな、瑞貴」
斉藤さんがメールを打ちながら、怖いものを見るような目で哲をじとーっと見ている。
「黒くていいでーす、俺が楽になるなら」
「先輩を使い倒そうという、お前の性格。なかなかいいもの持ってんな」
「あはははは。そういえば間宮さんだけ連絡しないのもあれですが、彼女といるのに野暮っすよね」
気づいたように、隣の席を見る。
すでに、彼女の元にいるだろう間宮さんの席。
斉藤さんはそれに頷いて、携帯を机の上に戻す。
「無理無理、あいつに金土日は連絡しちゃまずいぜ。ホント、彼女のこと大切にしてるからな。月曜にでも、瑞貴にこき使われたーって言いまくってやろう」
「なんですか、それ」
話している間に真崎から了承のメールが来て、哲の喜びは最高潮。
確かに、あの家の大掃除は骨が折れそうだけれど。
「美咲は、家の中でお袋の相手してくれればいいから。こんだけ人数いれば、終わるよ」
その言葉で、気付いた。
私を楽にするために、皆を呼んだ?
様子がおかしいから。
それをさらっとやりのける哲って――
……ホント、私にはもったいない幼馴染ですよ……
哲に気付かれないように小さく息を吐いて、口端をあげる。
「うん、ありがと。でも、私も働くよ。おばさんには印象よくもって貰わないと!」
「なんだそれ、既に実の息子より可愛がられてるくせに。……まぁ、無理はすんなよ」
諦めたように笑う哲に頷いて、視線をパソコンに戻す。
今は、忙しく働いていたい。
余計なこと、考えなくてすむもの……




