2
「美咲ちゃんの馬鹿ぢからぁー」
腹をさすりながら口を尖らせる真崎を後に、広報部を出た。
八時を廻った社内に残っている社員はほとんどいない。
三階の営業と、五階のうちくらい。
しかも今日は私以外、皆外回りで直帰だから四階から上だと私しかいないのかな?
ま、それを見越して真崎のところに行ってきたんだけどね。
新規部署のことがオープンになっていない以上、人に知られるような行動はやめたほうがいいと思うし……
光量の落とされた廊下を早足で進んで、エレベーターを経て企画室に戻る。
「あぁ、戻ったか」
そこには、課長の姿。
「あれ、課長。直帰じゃなかったんですか?」
後ろ手でドアを閉めながら、中に入る。
確かメーカー廻って直帰って、ホワイトボードに書いてあったはず……
自分のデスクに手をつきながら、壁に設置されているホワイトボードを見る。
課長の欄は、直帰になってる。見間違いじゃないよね。
課長は、まぁな、と溜息をつきながらパソコンの電源を落とす。
「明日一件打ち合わせが急遽入ってな。ほら、真崎につけられたマーケティングの部長のトコ。それの資料を取りに来たんだ」
動きを止めた私は、椅子から立ち上がった課長と目が合う。
「あ、そうなんですか。私は、水沢くんと打ちあわせしに行きますよ」
すぐに、視線を反らす。
私の言葉を聞いて、課長が面白くなさそうな声を出した。
「水沢か。あれもお前に懐いてるよな。ふぅん……なんだかちょっと、気分が悪い」
ふて腐れたような言葉に、思わず噴出す。
「気分悪いって、ホント子供みたいな事いわないでくださいよ。課長ってば」
声を上げて笑っていたら、いつの間にかそばに来ていた課長は腰に手を当てて溜息をつく。
「お前のことになると、本当に情けなくさせられるよ。駄々捏ねてやる、このやろう」
「なんですか、それ」
笑いを納められないまま、課長を見上げると。
そこにはいつもの無表情のまま、何か逡巡するように口元に手を当てる姿。
よく分からずに首を傾げて見上げたままいると、それに気づいた課長は少し息を吐き出して口を開いた。
「このあと、食事に行かないか?」
「……え?」
突然の誘いに、思わず固まる。
ぽかん、と口をあけて見上げる私に、課長はもう一度ゆっくりと言葉を伝える。
「俺と、食事にいってくれないか?」
課長と、食事?
っていうか……
「や、あの……なんでそんな口調……」
私相手に、何でかしこまってるの?
やっと言っている言葉を理解して顔を赤くさせている私を、課長は口元を少し緩めて見下ろす。
「前に誘ったら怒られたからな。少し学習してみた」
は? 怒るって……
「あの、ごまするって奴ですか?」
頷く課長は、口端を下げた。
「あれでも、俺にしては頑張ったんだけどなぁ。お前には通じなかった」
って、
「通じるわけないでしょ、あんな言い方!」
確実に、ただの冗談でしょ、あれじゃ。
「それにしたって……」
気恥ずかしいんですが。
課長は小さく、ふぅん、と呟くとにやりと笑う。
「それで? 久我さんは俺と食事に行ってくれるのか?」
は? 久我さん?
「ちょ、やめてくださいよっ」
人が慣れないのを知って、調子に乗ったな!
「あぁ、もういい。面倒。で? めし行くか?」
あ、口調が戻った。
返事がないのに少しやきもきしたか、口調が戻った課長に小さく頷く。
「いいですよ、はい」
そういうと、課長は微かに笑った。
表情の変化が、目に焼きつく。
幸せ、だと思う。
今、感じた感情は。
自分だけを見てくれる、自分も見つめている相手。
まだ、本当は怖いけれど。
それでも。
課長と……、自分の気持ちと向き合うと決めたんだから。




