24
哲はゆっくりと身体を起こすと、少し乱れた私の服を直して壁に寄りかからせてくれた。
「卑怯なのは、俺だよ。お前を傷つけても、壊してほしかったんだ。そうすれば、諦められると思った。……そうすれば、俺にお前を縛り付けなくてすむと思ったんだ」
私の隣の壁に寄りかかって、足を投げ出す。
その哲を見上げて、頭を振った。
「違うよ、哲。縛り付けていたのは、私」
「……そう思ってると、分かってた。でも、それこそ違う。確かにお前は俺を家族として、縛り付けてたかもしれない。でも――」
でもな――
「ずっとそばにいることで、俺はお前の世界を縛り付けてたんだよ。俺に依存するように」
最低だな? と、そう笑う哲の腕に手で触れる。
「哲に、甘えてたんだよ……私。」
少し目を細めた哲はゆっくりと私の手を外すと、反対に私の手を握り締めた。
「お前だけじゃねぇよ……、お互いに、だ」
あったかい哲の手は、ほっとする。
身近なその温もりは、幼い頃からそばにあったもの。
「お前を壊さなくてよかった。お前に、この気持ちを壊させなくてよかった」
「哲?」
「これからも、幼馴染としてお前を縛り続けられるから」
「哲……」
また零れそうになる涙を、懸命にこらえる。
「すぐには、美咲への気持ちは消せない。それくらいは、許して」
握られた手に、力が入る。
「それに……ホントはこんなこと言うの悔しいんだけどさ。……美咲、課長のことどう思ってる?」
さっき脳裏に浮かんだ、課長の声が響く。
それを押し込めるように、小さく頭を振った。
「――わからない……」
「違うな。美咲は分からないんじゃない、分かりたくないんだろ? さっき、俺に襲われてる時、少しでも課長のこと、考えなかった?」
襲われてる――、思い出して思わず哲から目をそらす。
哲は私の態度にどう思ったか分からないけれど、苦笑い気味に溜息をついた。
「本当は課長のこと、気になってるんだろ? ただ美咲は大事なものを作るのが、怖いだけなんだよな。……親のことが、あるから」
本音を言い当てられて、俯く。
確かに、課長のこと、気にしてる。
意識、してる。
触れられるだけで、たまに見る笑顔を見るだけで、鼓動は高鳴る。
でも。
でも――
怖い。
大事なものを作って、それがなくなるのが怖い。
そして、その大事なものを信じることが出来ない、自分が怖い――
身体を強張らせた私に気付いたのか、哲は私の肩に手を回した。
「な、美咲。人間ってさ、皆誰かを縛りつけながら、誰かに縛られながら生きてるって思わないか? ……俺達は言葉が悪かったんだよ」
「言葉?」
「そ、言葉。お互い、縛り付けてきたんじゃなくってさ」
肩に乗せられた手に、少し力がこもる。
「くさいけどさ。こーいうのを、絆っていうんじゃねーのかな」
きずな?
私の、汚い気持ちが、人を巻き込んで縛り付けてきたと思ってきたこの黒い心が。
……絆?
その言葉に、括られるの?
少し上にある哲の顔を、見上げる。
哲は照れたような表情で、口元を揺るめた。
「確かに俺達はお互いに欲してた形は違うけど、それでもきっとずっとこの先まで繋がってく」
黒い黒い、先の見えない自分の感情を、哲が綺麗な言葉に変えていく。
それは、皆が持つものだと。
それは、“絆”と呼ばれるものだと
「課長がいなくなっても、俺がいるから。もしお前が課長を好きでも、他の誰かと付き合っても。もしこの先、俺に好きな人が出来ても。俺達の関係は、変わらない」
そう言って、哲は幼い頃のような優しい笑顔を浮かべた。
「俺達は、血はつながっていないけれど……。家族だろ?」
な? 美咲ねーちゃん――
ずっと、ずっと。
大人になってからも、ずっと年下の幼馴染の哲としか思っていなかったけれど。
私をそう呼んで微笑む哲に、私は初めて大人の男を見た気がした――




