18
柿沼に突き飛ばされた。
そう気付けたのは、もう階段から足が浮いている状態になってからだった。
暗い笑みを浮かべた柿沼の顔が、遠ざかって……
やばい――
思わず、目を瞑る。
「……っ」
それは、一瞬だった。
長い時間にも思えたけれど。
床に倒れこむ。
思ったよりも軽い衝撃に、目を開けると――
「……大丈夫か?」
耳元で、課長の声。
顔を後ろに向けると、私の身体を受け止めたまま床に尻餅をついた状態の、課長の姿。
「あ……、すみませんっ」
慌てて横に退く。
「すみません……、怪我してませんか?!」
落ちてくる人を受け止める方が、衝撃は大きいはず。
「お前は? 久我は、怪我ないか?」
「私は全然、びっくりしただけで」
ほっと溜息をついて、そのまま視線を階段の上に向ける。
手すりにつかまってこちらを見ながら、微動だにしない柿沼と。
踊り場で固まったまま、私を見つめている哲の姿。
その顔に、胸が苦しくなる。
そんな表情、しないで――
「哲、私は大丈夫だから」
複雑な表情のまま、哲は階段を降りてきて。
座り込んでいる私の前に、膝をつく。
「み……さき」
掠れたその声は、とても震えていて。
私に向かって伸ばしたその手は、届く前に動きが止まる。
「ごめん……、美咲……」
その姿が、小学校の時の哲と重なる。
哲のことを好きだった女の子に突き落とされて、頭に怪我をした時。
あの時も、顔を歪めて歯を食いしばってた。
自分を、責めるように――
あぁ、そっか……
雰囲気がおかしいって思ってたけど、……そうだったんだ。
哲、ずっと泣きそうな顔、してたんだ……
私の目の前から下ろされていく手を見ながら、哲を両手で抱きしめる。
腕の中で、哲の身体が震えた。
「大丈夫、哲。私は大丈夫。安心して」
小さい子を宥めるように、背中に回した手でゆっくりと叩く。
「ほら、どこも怪我してない。大丈夫」
哲は大きく息を吐き出して、強張っていた体から力を抜いた。
「――、ごめん」
それでも、いつもより小さな声で私の耳元で呟く。
「謝ることは、何もないよ。ね?」
これで最後と、ぽんぽんと背中を叩いた途端、おなかにまわってきた腕が私の身体をいきなり引いた。
「わっ」
哲の体から腕が外れて、そのまま後ろに背中をつく。
それは、温かいモノで。
後ろを見ると、課長がさっきと同じ体勢のまま私の身体を片腕で引き寄せていた。
「ちょっ、何するんですかっ」
一気に頭に血が上って、顔が熱くなる。
「何って……、なんかむかついて?」
面白くなさそうに眉を顰めた課長の腕を、両手で掴む。
「あのですね、そーいう場面じゃないでしょ?! いいから、離してくださいってばっ」
「嫌だ」
やだって、あんたは子供か!
「ふ……っ」
私たちのやり取りを見ていた哲の口から、笑いが漏れた。
思わず課長の腕を見ていた視線を、哲に向ける。
「課長、余裕なさすぎ」
そう言って、哲は私の手をとる。
課長は面白くなさそうな声、継続中。
「そんなもの、最初からない」
そう言って、体に回す手に力を込める。
私はその腕が気にはなったけれど、今はそれどころじゃなくて。
哲の顔をじっと見つめる。
少し目が赤いけれど、それでもさっきみたいな表情じゃなくて。
笑んでいる顔に、ほっと息を吐く。
「……哲」
哲は目を細めて笑うと、ぐいっと掴んだ手に力を入れた。
「ほら、美咲を離してくださいよ。課長、セクハラですよ」
「それを言うなら、お前もだろう」
「いいから離せ、二人とも」
さっきまで深刻な状態だったはずなのに!!
もう一度叫ぼうとした私の横で、勢いよく非常階段のドアが開いた。




