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……なんだろう、哲の様子が変だ……
給湯室からお茶を淹れて帰ってきたあと、課長と斉藤さんも戻ってきて、いつも通りの部署の風景なんだけど。
哲が、おかしい。
声をかければ普通に話すけど、笑顔になるけど。
PCに向ってるときの無表情は、大人になってから見たことのない顔。
怒ってる……?
ていうか、なんかもっとしっくり来る言葉があると思うんだけど……
なんだろう、この雰囲気……
かといって、皆がいる時に聞くのも憚られるしなぁ。
そんなこんなで、すでに定時。
窓の外は、すっかり夜の帳が下りていて。
課長が手を伸ばして、ブラインドを閉めていた。
もちろん、というか、基本的に企画課が定時に帰ることは少ない。
金曜日の間宮さんくらい。
例に漏れず、今日も五人全員がPCに向って各々の仕事を進めていた。
そして、また。
誰かの携帯が、メールの到着を知らせる。
間宮さん……だよね?
細かい振動パターンを覚えてしまう、私っていったい……
ちょっと恥ずかしくなりながら思わず間宮さんに向けてしまった視線を、PCに戻す。
すると、目の前に座る哲が首をごきごきと鳴らしながら、立ち上がった。
「ちょっと資料室にいってきます」
課長に声をかけて、企画室から出て行く。
その後ろ姿をじっと見ていた私は、紅茶のカップを持って立ち上がった。
「給湯室で飲み物淹れてきますね、欲しい方います?」
ぐるりと見回すと、斉藤さんだけ手を上げて意思表示。
「インスタントでいいから珈琲飲みたい、頼んでいいか?」
それに承諾の返事で答え、廊下に出る。
哲……はやっ
すでにIDチェックのあるほうへ廊下を曲がろうとしていた、哲の後姿を目の端に捉える。
慌てて駆け足でその後ろを追うと、なんとかIDチェックの手前で捕まえる事が出来た。
「哲!」
思わず叫ぶと、少し驚いたように肩を震わせて振り返る。
その姿にも、違和感。
何か、間があったような気がする。
「どうした、美咲」
スラックスのポケットに両手を突っ込んで、首を傾げて立ち止まる。
その間に一気に近づくと、右手を思いっきり振り上げて額に当てた。
「なんだよ、おい」
面食らったようにあとずさる哲の腕を掴んで、顔を覗き込んだ。
「具合、悪いんじゃないの? 今日なんかおかしいよ?」
うーん、熱いわけじゃないな。風邪ではない?
哲は苦笑い気味に私を見下ろしていたけど、何かに気づいたように右の指を私の頬に伸ばした。
「取れかけてるぜ?」
指はガーゼを止めてある、サージカルテープの端を摘む。
「あ、ごめん」
そのままテープを止めてくれるのかと思ったら、手元が狂ったのか半分以上剥がされて突然の痛さに顔を顰めた。
「いっ、痛い!」
顔を反らしながら、左手で頬をかばう。
哲は一瞬動きを止めて、ごめん、と呟いた。
「悪い、美咲。痛くないか?」
哲の態度に、瞬きを繰り返す。
「素直すぎて、気持ち悪い」
素直な感想を言ったら、頭を小突かれました。
「それだけ言えるなら、へーきへーき。俺、営業に用事があるからちょっと下に行って来るな」
「営業?」
なんで、哲が営業に……?
私の疑問が伝わったのか、哲は肩をすくめて笑った。
「よくわかんないけど、話があるみたいでさ」
「ふーん……、まぁいいや。いってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
そのままIDチェックを通って、エレベーターホールに歩いていった。
その後姿を見ながら、首を傾げて腕を組む。
おかしいような、おかしくないような。
来月引越しもあるから、疲れているとか?
「……本当に、大丈夫かな」
やっぱり、何かおかしい気がするんだけど。
とりあえず、頼まれた珈琲でも淹れようかな……
IDチェックのそばにある給湯室にでお湯を沸かす。
インスタント珈琲なら簡単でいいな。
実際、珈琲豆に凝ってるのは間宮さんで。
紅茶の茶葉に凝ってるのが私だったりして。
インスタントの方が淹れるのが難しくないから、珈琲の時はありがたい。
沸けたお湯で珈琲を淹れると、なんとなく釈然としないままそれを手に企画室に戻った。




