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「あー、やっちゃったなぁ」
アパートへの道を駅から歩きながら、盛大に溜息をつく。
いかにも意識してますなあんな態度、二十六歳がとるものじゃないよねぇ。
高校生じゃないんだからさ――
大体、哲で意地悪いのとか口悪いとかそういうのは慣れてるんだけど、甘いこととか一つもなかったからなぁ。
課長すみません。
仕事なら頑張れそうですが、色恋沙汰は頑張れそうにありません。
心の中で置いてけぼり食わせた課長に、合掌。
まぁいいや。
そうだ、課長にも悪いところはある! 私だけじゃないぞ!
くそぅ、あんな反則的表情を隠し持っているなんて!!
なんか悔しい!
だいたいさ、俺の事をそんな風に見れないだろ? とか言ってさ。
そりゃそーさっ、突然そんな風に見れないもん。
だから、それはありがたいと思ったけどっ
その後も普段どおりだったら、どうやって意識して見ろと言うんだ!
うぅ、なんだか負けたくなくなってきたぞ!
勝ち負けじゃないの分かってるけど!!
「打倒、課長!!」
「は?」
――
拳を振り上げて叫んだ私の声に、なぜか疑問が投げつけられる。
「え?」
あれ? 私一人で帰ってましたよね?
しかも今の声って……
ゆっくりと後ろを振り返ると、
「哲――」
怪訝そうな表情の、哲が立っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「びっくりするから、最初っから声かけてよ」
アパートの鍵を開けて中に入りながら、哲に不満の言葉を投げる。
哲は続いて部屋に入って、ドアの鍵を閉めた。
「なんかすげぇ考え込んでたから。ここで声かけたら、脳みそから全部旅立っちゃうんじゃないかなーと遠慮してみた」
「そんな遠慮はいらん」
リビングの電気をつけて、そのまま寝室にいく。
哲は冷蔵庫からソーダを出して、勝手に口をつけていた。
襖を閉めてスーツから普段着に着替えると、洗面所で化粧を落とす。
「大体、今日来るなんて聞いてないわよ。おばさん、海外出張なの?」
「そー」
あっそ。
文句言っても仕方ない、もういるんだし、いつもの事だし。
哲んちは共働き。
もともとおじさんの秘書がおばさんで。
結婚を機におばさんは退職したけれど、産休を経て職場復帰。
その後おじさんは海外の支社で働き、おばさんは日本での補助役となって今日に至る……と。
だけど直接じゃないといけない仕事があるらしく、たまに海外出張がやってくる。
こんな時にしか会えないから、休暇もかねて長期になるらしいけれど。
そうなると哲は自炊になるわけで。
でもご飯も炊けないコイツは、外食に飽きる頃にこうやってうちに夕飯をたかりにくるわけです。
いつものことで、慣れました。
でも――
「いつもは連絡くらいするのに、どうしたの?」
さすがに急にって事は少ない。
「今日言おうとしたら、お前展示会でいねぇんだもん。俺は午後出社だったから言いそびれたんだ。悪いか」
洗面所から出てキッチンの冷蔵庫を漁る。
「別に悪かないけど……メールとか……携帯とか……」
ぶつぶついいながら、脳内で作れそうなレシピをフル検索。
う~ん、食材が少ない。
何が出来るかな……
そんな事を考えていたら、いつの間にか後ろから哲が覗き込んできた。
「――何?」
近いな……動きづらい。
迷惑そうな顔を哲に向けると、奴は嫌そうな顔を返してきた。
「いきなり来たら、不都合なことでもあんのかよ。美咲のくせに」
その言葉に首を傾げながら、別に……と呟いて冷蔵庫を漁る。
「ただ、食材が足りないってだけなんだけど……」
そのまま哲の方を見上げたら、子供みたいなふくれ顔に思わず噴き出した。
「あんた何拗ねてんの? 子供じゃないんだから、甘えたって何も出てこないわよ」
会社とは大違い。柿沼に見せてやりたい。
「甘えてねぇよ!」
中腰になって話していた哲は、むっとなって立ち上がる。
その姿にますます笑いがこみ上げてきて、お腹を抱えながら立ち上がった。
「美咲のくせにって、何? 私はあんたのなんだってーのっ。ほらほら拗ねてないで向こう行っててよ。美咲おねーちゃんが適当に何か作りますよー」
「おっまえ、ホントにむかつく」
「あんたほどじゃないっての」
哲をリビングに追い払って、冷蔵庫から食材を出す。
本当に簡単なものだな、これ。
一昨日作って冷凍しておいたギョウザと、中華スープとチャーハン。
ちゃっちゃか作って、哲に早くお帰り願わないと。
時計はもう十時近くを指している。早く食べてさっさと寝ないと、明日が辛い。
リビングの哲は、適当にテレビをつけて見始めていて。
横目でそれを見ながら、少し安堵する。
見た目がよくて背が高くて、確かに哲はずっと女性に好かれていた。
高校に入った頃から適当にあしらう術を持っていたし、大学以降は顔だけで近づいてくる女性を判断することも出来ていた。
それでも小中学校の頃は、強がってはいたけれど結構傷ついていたから。
私も奴の所為で傷ついたこともあったけれど、もともと両親不在の多い哲の家庭環境で、中身じゃなくて見た目だけで寄ってくる人の中で、どれだけの人が哲そのものを見てくれていただろう。
両親のいない間はうちで預かることが多かったから、家族で心配していたしさり気なくフォローしたりしてた。
でもあいつは、ほとんど自分の力で復活した。
あの、生意気な性格を作り上げて。
――そうやって自分を守ろうとしていることが分かるだけに、哲が普通でいてくれることに凄くホッとする。
母性本能とでも言うんだろうか、こういうのって……
「ほら、テーブル片付けて」
チャーハンをのせたお皿をテーブルに運ぶ。
椅子の上なのに膝を抱えていた哲は、面倒くさそうにテーブルの上にあった新聞をソファに放り投げた。
残りのお皿を持ってくると、さっさと箸に手を伸ばす。
「哲、ギョウザ好きだったよね。沢山食べていいよ」
なんだか幼い頃を思い出して、少し優しい気持ち。
「てめーが太らない為に、仕方なく食ってやるよ」
「――仕方なくなら、食うんじゃない」
取り上げようとするお皿を片手でかこって取られないように箸を動かす哲が、なんだか微笑ましい。
いつか、この子をちゃんと分かってくれる人が現れてくれればいい。
外見だけじゃなくて内面も見てくれる、哲にとって大切な人が。
それまでは、美咲おねーちゃんが相手してあげるから。
ニコニコしながら見ていたら、哲がちらっと顔を上げて私を見る。
「じろじろ見んなよ、気持ち悪い」
――早く、現れろよ? 私の堪忍袋が耐えていられる間にな……
一つ溜息をついて、自分のご飯を食べ始める。
うん、一人暮らしが長いから料理だけは人並みだな。
相手が哲とはいえ、まずいものを食べさせるのは私のプライド的に許さない。
「そう言えば、なんか課長が哲の事気にかけてたよ」
「んあ?」
餃子を頬張っていた哲が、怪訝そうな声を上げる。
「いや、瑞貴は仕事に慣れたかって。本人頑張ってますよ~って言っといたけど」
その言葉に、嫌そうな顔をする。
「頑張ってるとかいうなよ、俺にとっちゃ余裕だね」
「ないない。私が余裕じゃないのに、どうして新人くんが余裕かね」
「お前と、頭の出来が違うから」
――ほんとーに可愛くないな
ぶつぶつ言いながらチャーハンを口に運んでいると、哲がぽつりと呟く。
「――他は?」
「ん? 他?」
他って……
あの時は哲の話で呼び止められて、それで……
思わず顔に血が上ってしまいそうになって、慌ててぶんぶんと頭を振る。
「何やってんの」
「えっ?」
哲の声に、顔を上げる。
何ってその……
「ごめん、なんでもない」
あははー、と笑いながらチャーハンを思いっきり口の中にかきこんだ。
そのまま一気に食べ終わると、キッチンにお皿を持っていく。
「それはそうと、哲。明日早いんだから、さっさと食べて帰ってよね」
「へいへい」
気のない返事を背景に、自分の分のお皿を洗って水切り籠にのせる。
リビングに戻ると、ちょうど哲が食べ終わるところだった。
「お皿洗っちゃうから、頂戴」
「ん」
差し出されたお皿を持つと、残りは哲が持って立ち上がる。
「持ってく」
「――なんか、哲が変」
一緒にキッチンに持って行きながら、怪訝そうに顔を見るとふてくされたような顔のまま。
「俺、帰るわ」
「ん? うん」
そのままシンクにお皿を置くと、来た時と同じさっさと部屋から出て行った。
残された私は、首を傾げたままドアをつい見つめてしまう。
「なんていうか……、昔と違って考えが読めん」
ため息をつくと、水道の蛇口をひねった。